
昨日はまずうちの町会の詰め所にご挨拶に。祭りの装束に身を包んだご近所さんがいらしたので、写真撮っていいですか?「照れるなぁ」。別のご近所さんに「暑いですね」と声をかけたら、「そうなのよ〜。子供神輿を担ぐはずの小学生高学年の子達はおりこうさんだから、暑いから出てこないのよ、集まってくるのは低学年以下の子供達ばかりよ」と嘆いておられた。この狭い音羽地区に9つも町会がありそれぞれに子供神輿があるので、そりゃ人材不足にもなろうってもんだ。

音羽通りを下ると、隣の音八の神輿と太鼓

音羽の旧町名は護国寺に近い方から1丁目・2丁目と振られて9丁目まであった。そのため今の町会の名前も旧町名を反映して、音一文化会、音二町会、音羽三和会、音羽四丁目町会、音羽五丁目町会、音六町会、音羽七和会、音八会、音羽九桜会となっている。今宮神社に一番近い町会が音羽九桜会。今宮神社の短い参道には露店が出ていた。神社向かって左手の駐車場の周囲にお神輿を片付ける倉庫が並び、お祭りの日はその駐車場にも露店が出て椅子とテーブルが並んだ食事エリアも設えられる。

音八の提灯はシンプルなデザインになっていた

護国寺に近い方の隣、音六は子供神輿がちょうど出るところ
途中他の町会の神輿が練り歩くところを見学しながら、さらに護国寺の方に歩く。うちの鎮守の今宮神社は五代将軍綱吉の母桂昌院の発願で、護国寺建立の際に京都紫野の今宮神社から御分霊を迎え鎮座。明治の神仏分離によって当時音羽9丁目と言われていた今の場所に遷座。うちは毎年ゆく年くる年が終わり、うちの中でお互いに新年の挨拶を交わした後で、今宮さんにお参りするのがここに越してきてからの習慣。今年のお参りの時に、お守りをいただきながら、紫野の今宮神社にお参りができるかもしれませんと神主さんとお伝えしたら、実現するといいですねと言ってくださった。日付が変わってすぐにお参りする人には、地元の青年会が甘酒を振る舞うのも習慣で、今宮さんは地元に根付いているなぁと実感する。

音四の神輿はこんな感じ、提灯は白地に赤の文字だ

さらに護国寺に近い音二の神輿

あっという間に護国寺の正門まで来た

振り向くと音羽通り、大人神輿はこの交通を遮断して行われる
今宮神社のお祭りが終わったら、来週は小日向神社と正八幡神社の例祭。祭りの登りのはためく道を通勤するのもあとちょっとかぁ。
おじさんはいなせだし。
御神輿担ぐような地域、素敵だなって思います。
うちの近所は丘の上はお屋敷町、下は下町なんで、こんなもんです。
来週末は他の神社のお神輿が出ます。