民主党の小沢代表が企業献金全面禁止の法案の提出に向けて、党内に調査するように指示したという報道を受けて、自民党の議員からは「あの人にだけはいわれたくない」とかいう批判・妄言が続出したといわれている。
そういう批判ってどういう了見なのか?政党助成金なるものを導入するときに、企業と政治の癒着がこれで解決できるなどといったのは、どこのどの党なのか?お手盛りで自分たちに160億円(自民党だけでこの金額)も毎年流れるような法律を作っておきながら、他方で企業から献金を受ける抜け穴を残し平気でいられる鈍な神経などでは、この経済危機にあえいでいる一般国民の痛みなど想像もできないだろう。
企業献金が悪くて個人献金が善いってわけでもないだろうとか、党本部への献金ならよくて個人に対する献金はダメにするのかとか、パーティー券に流れちゃ意味ないだろうとか、テクニカルなことを言い始めればキリはない。保身にだけは敏感なセイジカが抜け穴を作るであろうことは容易に想像が付く。それでも国民は、政治とお金のみならず、セイジカとお金の関係を透明にする法律を持つ権利を有していると思う。あたしたち不本意ながら政党の「大株主」なのだから、ガバナンス(政治と資金使途の両方において合法かつとりうるベストな策であったことをきちんと説明を受ける権利)とリターン(投下した資金が国民にとって真の意味でメリットになってるかどうかを立証してもらう権利)を求めるのは当然の権利だ。
共産党の志位委員長が「法律が無くても(企業献金を受けないことは)できる」と発言したそうだ。たしかに個人の良心の問題であり、個人からしか献金を受けていないと胸を張る議員が何人かいることは知っている。でもセイジカと呼ばれる人たちの良心にすがっていては、多分来世紀になっても何も変わらない気がする。やっぱり法律でばっさりと網をかけて、だんだん網の目を小さくしていくしかないのではないかと思う。
個人が政治献金する社会じゃないから(企業献金が必要)というのも、企業献金をやめられないとする理由に挙がっていた。
じゃぁなぜ、個人が政治献金しないか考えてみたらどうか?あたしの理由ははっきりしている。そもそも政権交代がない政治において、献金する人は、セイジカの親戚か、よほどの物好きか、節税対策か、政治フェチか、なんか(ってなによ?)だろうから、あたしはそれらのどれにも当てはまらないだけのこと。
それと民主主義は多数決が原則だから基本的に党でやるものだと思うので一枚岩でいて欲しいのに、そうじゃないことばかりが横行するからだ。同じチームなのに戦術を共有してないひとがゴロゴロしていて、お互いの足を引っ張ったり、スタンドプレーしてそれまでに構築したゲームをだいなしにしたりする選手がいるようなチームのサポーターにはなれないのは明らか。スタンドで暴れるサポ(デモしたりとか)が出ないのは、そもそもサポがいないからであって、愚かなプレーに満足しているわけではない。できれば早くやめて欲しいと思っているので、政治資金という「補給」を断ってるだけだ。
それに、比例で当選したあと離党しても議席を党に返さないなど国民の投票権という憲法で保障された権利を全く無視するような人たち、「コウヤクはいつまでも貼ってるとかぶれる」とかいって公約に対して選挙の前と後では別人になる約束を守らない人たち、自分の議決行動を政治活動の自由が阻害されるとして公表しない透明性の無い人たち、へんてこな歴史認識を繰り返す無知な人たち、政治家としての権利だけ享受して義務を全うしない、何ゆえ権利を与えられているのか全く理解していない無能な人たち、にくれてやるお金などないからだ。
そういう人たちには、そのアホにつけ入って利用しようとするヤカラしかお金を出さないのだということを、肝に銘じるべきだ。この期に及んで何もしない言い訳を吐くセイジカの名前をちゃんと覚えておこうと思ってる。来る総選挙でぶち落としてやるざます!
マロは「尻尾巻いてどっか視界から消えて欲しいにゃ~、こうやってねぇ~」と尻尾をくるりと巻いてます。残念なのはセイジカに巻いて去るべき尻尾がないことやね・・・
そういう批判ってどういう了見なのか?政党助成金なるものを導入するときに、企業と政治の癒着がこれで解決できるなどといったのは、どこのどの党なのか?お手盛りで自分たちに160億円(自民党だけでこの金額)も毎年流れるような法律を作っておきながら、他方で企業から献金を受ける抜け穴を残し平気でいられる鈍な神経などでは、この経済危機にあえいでいる一般国民の痛みなど想像もできないだろう。
企業献金が悪くて個人献金が善いってわけでもないだろうとか、党本部への献金ならよくて個人に対する献金はダメにするのかとか、パーティー券に流れちゃ意味ないだろうとか、テクニカルなことを言い始めればキリはない。保身にだけは敏感なセイジカが抜け穴を作るであろうことは容易に想像が付く。それでも国民は、政治とお金のみならず、セイジカとお金の関係を透明にする法律を持つ権利を有していると思う。あたしたち不本意ながら政党の「大株主」なのだから、ガバナンス(政治と資金使途の両方において合法かつとりうるベストな策であったことをきちんと説明を受ける権利)とリターン(投下した資金が国民にとって真の意味でメリットになってるかどうかを立証してもらう権利)を求めるのは当然の権利だ。
共産党の志位委員長が「法律が無くても(企業献金を受けないことは)できる」と発言したそうだ。たしかに個人の良心の問題であり、個人からしか献金を受けていないと胸を張る議員が何人かいることは知っている。でもセイジカと呼ばれる人たちの良心にすがっていては、多分来世紀になっても何も変わらない気がする。やっぱり法律でばっさりと網をかけて、だんだん網の目を小さくしていくしかないのではないかと思う。
個人が政治献金する社会じゃないから(企業献金が必要)というのも、企業献金をやめられないとする理由に挙がっていた。
じゃぁなぜ、個人が政治献金しないか考えてみたらどうか?あたしの理由ははっきりしている。そもそも政権交代がない政治において、献金する人は、セイジカの親戚か、よほどの物好きか、節税対策か、政治フェチか、なんか(ってなによ?)だろうから、あたしはそれらのどれにも当てはまらないだけのこと。
それと民主主義は多数決が原則だから基本的に党でやるものだと思うので一枚岩でいて欲しいのに、そうじゃないことばかりが横行するからだ。同じチームなのに戦術を共有してないひとがゴロゴロしていて、お互いの足を引っ張ったり、スタンドプレーしてそれまでに構築したゲームをだいなしにしたりする選手がいるようなチームのサポーターにはなれないのは明らか。スタンドで暴れるサポ(デモしたりとか)が出ないのは、そもそもサポがいないからであって、愚かなプレーに満足しているわけではない。できれば早くやめて欲しいと思っているので、政治資金という「補給」を断ってるだけだ。
それに、比例で当選したあと離党しても議席を党に返さないなど国民の投票権という憲法で保障された権利を全く無視するような人たち、「コウヤクはいつまでも貼ってるとかぶれる」とかいって公約に対して選挙の前と後では別人になる約束を守らない人たち、自分の議決行動を政治活動の自由が阻害されるとして公表しない透明性の無い人たち、へんてこな歴史認識を繰り返す無知な人たち、政治家としての権利だけ享受して義務を全うしない、何ゆえ権利を与えられているのか全く理解していない無能な人たち、にくれてやるお金などないからだ。
そういう人たちには、そのアホにつけ入って利用しようとするヤカラしかお金を出さないのだということを、肝に銘じるべきだ。この期に及んで何もしない言い訳を吐くセイジカの名前をちゃんと覚えておこうと思ってる。来る総選挙でぶち落としてやるざます!
マロは「尻尾巻いてどっか視界から消えて欲しいにゃ~、こうやってねぇ~」と尻尾をくるりと巻いてます。残念なのはセイジカに巻いて去るべき尻尾がないことやね・・・
んもう、又吹き出しました。上手い表現ですね。
少し意味が違うかも知れませんが、今朝旦那どのがつぶやいてました。
「速度制限50㌔の道路を皆が60㌔で走ってるので、流れに乗らないと邪魔になるので60㌔で走ってたら、1台だけ違反だと停められた。なんで50㌔制限と決めたのか、なんで道路があるのか、そこのところを審議しないといけないのになぁ~」
コウヤクうんぬんは誰が言ったか忘れましたが、自民党の老害セイジカが講演会だったかなにかで実際に口走った発言です。
そういう都合の悪いことを笑いでごまかす特殊な才能は、国民の血税を使うセイジカとしてではなく、お笑い芸人として使って欲しいです。
たぬきおやじばかりなのに・・・・・尻尾はもってないのかぁ~~・・・・ってコタローがつぶやいております。。
ホントだね、コタローくん、冴えてますなぁ。
尻尾持ってるのに巻いて去らないってことは、やっぱりどっか神経が切れてるんやねぇ。。。