建物好きのkeba、今回はずっと気になってた場所で夕食を取ることにしてあった。
なんせ初日はクリスマスイブである、めぼしいレストランに2ヶ月も前から予約の電話を入れるも「満席です」と断られ続けた。イブの夜にあえて中華を食べるなんて、そうそういないであろう、と満を持しての名建築レストランでの夕食じゃ!で、選んだのは四条大橋西詰、鴨川を挟んで南座の向かい、四条通の洋館の東華菜館である。重厚な入り口に立つと、おじさま二人がドアを開けてくれて「どちらさまですか」。
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kebaです、とお答えして2階に通された
主人は「名乗るほどの者ではありません」って答えたい衝動に駆られたらしい。それはあたしと一緒じゃない時にやって欲しい、というオーラを感じたか大人しくしてた(笑)。
さてと、このビルを設計したのは1905年、24歳の時に滋賀県近江八幡市に英語教師として来日した、カンザス州生まれのウィリアム・メレル・ヴォーリズ。仏教寺院の多い土地柄、宣教活動を理由に2年目に解雇された。翌年京都YMCA会館建設現場監督となり、キリスト教の宣教を目指す前に夢見ていた建築の仕事に進むことになる。日本各地に(主として近江八幡に)、さりげなく素敵な建物を数多く残している。近江八幡と軽井沢を拠点に活躍し、日本女性と結婚して1941年日本に帰化し、1964年83歳で亡くなるまで日本で建築家として活躍。近江兄弟社の創始者でもある。
玄関ファサードのレリーフが美しい。よぉ〜くみると、イカ、タコ、ホタテなどが刻まれている。ヴォーリズが残した、唯一最初からレストランとして設計された建物。内装も調度品もヴォーリズのデザインだと聞いていたので、個室を予約しておいた。ちなみに、大正15年の竣工。
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四条通で異彩を放つ外観
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通された個室、窓の外は鴨川と南座
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花台も
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家具も
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階段も、全てヴォーリズのデザイン
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1924年OTIS製エレベーターは現役。エレベーターおじさまが操作する手動式
お料理は北京料理。塩味をベースにして素材を生かしたあっさりした味付けが、脂っこい中華が苦手な我が家にぴったりの料理だった。この日は駅弁を買って新幹線での朝食、12:40からの桂離宮の受付開始に間に合うようにとカフェでささっと済ませた昼食、そのあと何も口にせず、ホテルにチェックインして一息ついたあと徒歩でレストランまで来たので、もうお腹はぺこぺこ。料理の写真を撮るまもなく、口に運んだ。
デザートの前に、店長がご挨拶にいらした。建物と料理のことをちょっと話したけど、とても腰の低い方で驚き、京都にもこんな人いるんだね〜と笑った。食事を終えてドアを開けてくれたおじさまたちに見送られ、おいしかったね〜と外に出た。
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高瀬川と木屋町
ホテルは四条なので徒歩圏内、四条のホテルは前回泊まってみて交通の便も周囲の商業施設も便利だったので、値段もお手頃だしとまた同じところにした。帰りも歩いて帰ることにして、そういえば、と錦市場を突っ切って帰ることにした。以前クラリスさんに教わった、若冲のシャッターを見に行かねば!と思ったのだった。
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閉まったシャッターに若冲の絵、これは京博にあるらしい
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絵はどういうチョイスなんだろう、などと思いながら次々にパチリ
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こんな感じで色々な絵がある
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出光美術館がプライスコレクションからゲットした、この絵もあった
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お店のゴミが立てかけてあるのが申し訳ない虎の絵
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細見美術館で見たこれにも再会
ちょうどシャッターを下ろして自転車に乗って帰ろうしていた方に声をかけたら、「昔からあるお店のシャッターには、市がただで貼ってくれました」「わたしら一円も出してませんよ」「描いたのと違う、シールですからお金かかってますよ」「このさきに若冲の生家があります」などと親切に教えてくださった。昼間の運転手に爪の垢を持って行ってあげたい気分(笑)。
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右手が生家跡
伊藤若冲が、青物問屋の生まれだということはよく知られている。弟に家督を譲って絵を描くことに没頭したとされていたイメージを、根底から覆すような史料が近年発見されたという。「京都錦小路青物市場記録」というその史料には、若冲が錦市場の営業許可をめぐって細やかかつ積極的に調整活動を行ったおかげで、錦市場が窮状から脱することができたことを示す、1771年から1774年までの様子が記されていたのだという。問屋の主人として、実務面でもその才能を発揮していたらしい。個性にも才能にも恵まれた人だったことがわかる。シャッターにシールを貼って、記憶に留めたくなる気持ち、わかるな。
ということで、寒い寒い京都の冬の1日が、心もお腹も満たされて終わったのでありました。
いつも見かけた古ぼけたあのビルが、そんな由緒あるビルとは知りませんでした。勉強になりました🎵
主人もおんなじことを言ってました(笑)
住んでる人の方が意外に知らなかったり行ったことなかったりしますよね、
主人は住んでたのが学生時代だったせいか、京都の観光地あんまり知らないです、
いわんや有名レストランをや、です。
中華料理店で、物凄く旧式のエレベーターがあることは聞いて知ってました。
エレベーターボーイも、ドアボーイもいるのですね。(ボーイじゃなくて爺や?)
そういうものに人手が掛かっているということは値段も高そう。
シャッターの若冲も面白い!!
色んな意味で伝統を感じるドアボーイ、エレベーターボーイでしたよ(笑)
料理は美味しかったです。
でも、あたしはもうちょっと野菜が欲しいなと思いました。
お値段は、使い様かもしれません。
ランチはお手軽かもしれないし、ディナーもコースじゃなく一品料理もあるかもしれないです。