杉原記念館で駅までの道を教えてもらった。「個人のお宅の間のような道や木立の中の階段を使うので戸惑うかもしれませんが、それでいいんです、間違ってませんから」と説明された。高台の林の中を下っていくルートなので、教えてもらわなかったら迷ってたかも。カウナスに来たら行くべき場所なのに、旧市街からちょっと離れているせいか、ガイドブックに詳しい地図がない。あたしたちはタクシーを使ったから「え〜こんな場所、絶対自力では無理〜、タクシー使って正解だったね〜」ですんだけど、ちょっと複雑な気分。
なので、こちらに記念館に貼ってあったバスターミナル(カウナス駅はその少し先)までの行き方をアップしておく。駅から来る場合はまずバスターミナルを目指し、その後はこの地図に従えばよい。
というわけで、駅に到着。ホテルで教えてもらっていた電車の時間にちょうど間に合うので、チケットを購入し電車でビリュニュスに移動。2階建の新しい車両、冷房の効いた快適な1時間半の旅だった。最初の写真はカウナス駅に停車中の電車。
到着したビリュニュス駅、ここから泊まってもいないけど(苦笑)「ケンピンスキーホテルへ」とタクシーで。行きたい場所の近くにある有名なホテルの名前を出せば、英語のわからない運転手にもわかる。タクシーはどの国も現金払いだったなぁ。
食後の散策はまずビリュニュス大学から。この周辺ではポーランドのクラコフ大学とドイツのケーニヒスベルク大学についで古い。フレスコ画が有名な建物がいくつかあるというので入ってみた。
16世紀のイエズス会の高等学校がその礎、現在は2万人の学生が学ぶ総合大学で、ガイド付きのツアーもある見所満載な大学。講堂の四季のフレスコ画は前衛的な絵で驚かされた。古いものを残して新しいものにトライする、そして両方保存する、大学とはかくあるべし、ってことかな。
大聖堂広場は1989年にソ連からの独立を求めるバルト三国の人々が作った人間の鎖の起点となった場所。またこの広場には「奇跡」と書かれた踏み石がある。この上で3回回転すると願いが叶う、という言い伝えがあり、さっそく父のことをお願いした。あたしたちがこの石の上で妙な動きをしていたら「逆周りだよ」とおしえてくれるイタリア人が現れたり、「え?なにこれ?」と真似するアメリカ人が出てきたり、なかなか面白かった。
その後は、徒歩で駅に戻ることにした。ウクライナ・カトリックという珍しい宗派の建物は
小さな礼拝所があり(撮影禁止)、この聖母のイコンは奇跡を起こす力があると信じられているらしい。あたしたちが2階に上がった時も熱心にお祈りしている方がいらっしゃった。周囲には無数のハートは目を浮き彫りにした銀細工が奉納されていた。ヨハネ・パウロ2世もここでお祈りを捧げた、とあった。
さらに駅に向かって歩いていたら、見つけました、これ。しばらく前に話題になった激しい接吻(笑)。これはオリジナルとは違うのだけど、ま、記念ですから。
再び電車に乗ってカウナスに戻ってきた。
ホテルまでバスかトロリーバスに乗ろう、ということにして、バス停で待った。
乗りたい番号のトロリーバスがやってきた。4つ目の停留所が大天使聖ミカエル教会に近いらしい。そこからは帰り方がわかるので、ガイドブックの写真のあるページを開いて、乗り込んだトロリーバスの女性運転手さんに「ここで降りたい」と指をさして確認した。「ハラショー(ロシア語でオッケー)」と答えが返ってきてバスは動き出したけど、料金を取ってくれない。降りるとき払いなのかな?と思って見てたら、他の人は乗るときに払っていく。変だなぁと思うけどどうしようもないので座ってた。
しばらくしてここかな?と思える停留所に泊まったので、降りようとしたら「違う、違う」という。そして、そこから少しだけ行った交差点でいきなりバスを止めて、「おいでっ!」とバスを降りていく。一瞬なんのことかわからなかったけど、一緒に降りた。
「ほら、あそこよ」と大きなジェスチャーで教えてくれた。わかった、ありがと〜、でもお金払わなきゃ、とお金を渡そうとしたら「いらない、だめ・だめ・だめ」と大げさな身振りで拒絶。あたしたちは「ありがとう〜」と道路の真ん中でハグすることしかできなかった。その後彼女は小走りにバスに戻って、手を振って去っていった。他の乗客も怒るわけでもなく、窓からあたしたちのやりとりを静かに見ていた。
なんだったんだろ〜、こんなこと初めてぇ〜、と説明しがたい気持ちに包まれてホテルに戻った。ガイドブックが日本語だったから、日本人だとわかってそうしたのかな?でも単なる親日だとそこまでしないよね、ご家族に杉原千畝に救われた人でもいらっしゃるのかな、なんて。。。興奮冷めやらぬまま、この日はホテルの近くのオープンカフェで夕食。
なので、こちらに記念館に貼ってあったバスターミナル(カウナス駅はその少し先)までの行き方をアップしておく。駅から来る場合はまずバスターミナルを目指し、その後はこの地図に従えばよい。
というわけで、駅に到着。ホテルで教えてもらっていた電車の時間にちょうど間に合うので、チケットを購入し電車でビリュニュスに移動。2階建の新しい車両、冷房の効いた快適な1時間半の旅だった。最初の写真はカウナス駅に停車中の電車。
到着したビリュニュス駅、ここから泊まってもいないけど(苦笑)「ケンピンスキーホテルへ」とタクシーで。行きたい場所の近くにある有名なホテルの名前を出せば、英語のわからない運転手にもわかる。タクシーはどの国も現金払いだったなぁ。
目抜き通りのビリエス通りでまずは腹ごしらえできるお店に入る
食後の散策はまずビリュニュス大学から。この周辺ではポーランドのクラコフ大学とドイツのケーニヒスベルク大学についで古い。フレスコ画が有名な建物がいくつかあるというので入ってみた。
聖ヨハネ教会の鐘楼から街を見渡したら
前撮りの新婚さんに遭遇、ポーズをとっていただきました
聖ヨハネ教会の祭壇はバロック様式で彫刻が繊細で美しい
大学書店のフレスコ画
言語学部のカジミエロ講堂の「四季」のフレスコ画
天文台の中庭
リトアニアの文化史が描かれた図書館の扉
16世紀のイエズス会の高等学校がその礎、現在は2万人の学生が学ぶ総合大学で、ガイド付きのツアーもある見所満載な大学。講堂の四季のフレスコ画は前衛的な絵で驚かされた。古いものを残して新しいものにトライする、そして両方保存する、大学とはかくあるべし、ってことかな。
鐘楼と大聖堂が並ぶ大聖堂広場に戻ってきた
大聖堂広場は1989年にソ連からの独立を求めるバルト三国の人々が作った人間の鎖の起点となった場所。またこの広場には「奇跡」と書かれた踏み石がある。この上で3回回転すると願いが叶う、という言い伝えがあり、さっそく父のことをお願いした。あたしたちがこの石の上で妙な動きをしていたら「逆周りだよ」とおしえてくれるイタリア人が現れたり、「え?なにこれ?」と真似するアメリカ人が出てきたり、なかなか面白かった。
その後は、徒歩で駅に戻ることにした。ウクライナ・カトリックという珍しい宗派の建物は
聖三位一体教会
上の方のアルコーブ部分に摂理の目、ちょっと不気味ぃ〜
唯一現存する城門、夜明けの門
小さな礼拝所があり(撮影禁止)、この聖母のイコンは奇跡を起こす力があると信じられているらしい。あたしたちが2階に上がった時も熱心にお祈りしている方がいらっしゃった。周囲には無数のハートは目を浮き彫りにした銀細工が奉納されていた。ヨハネ・パウロ2世もここでお祈りを捧げた、とあった。
さらに駅に向かって歩いていたら、見つけました、これ。しばらく前に話題になった激しい接吻(笑)。これはオリジナルとは違うのだけど、ま、記念ですから。
再び電車に乗ってカウナスに戻ってきた。
駅舎の壁に記された杉原千畝の功績を讃える記念碑
ホテルまでバスかトロリーバスに乗ろう、ということにして、バス停で待った。
空港に行くバスなんぞがやってきた、乗らなかったけど
乗りたい番号のトロリーバスがやってきた。4つ目の停留所が大天使聖ミカエル教会に近いらしい。そこからは帰り方がわかるので、ガイドブックの写真のあるページを開いて、乗り込んだトロリーバスの女性運転手さんに「ここで降りたい」と指をさして確認した。「ハラショー(ロシア語でオッケー)」と答えが返ってきてバスは動き出したけど、料金を取ってくれない。降りるとき払いなのかな?と思って見てたら、他の人は乗るときに払っていく。変だなぁと思うけどどうしようもないので座ってた。
しばらくしてここかな?と思える停留所に泊まったので、降りようとしたら「違う、違う」という。そして、そこから少しだけ行った交差点でいきなりバスを止めて、「おいでっ!」とバスを降りていく。一瞬なんのことかわからなかったけど、一緒に降りた。
迷いようがない場所でわざわざ停めて
「ほら、あそこよ」と大きなジェスチャーで教えてくれた。わかった、ありがと〜、でもお金払わなきゃ、とお金を渡そうとしたら「いらない、だめ・だめ・だめ」と大げさな身振りで拒絶。あたしたちは「ありがとう〜」と道路の真ん中でハグすることしかできなかった。その後彼女は小走りにバスに戻って、手を振って去っていった。他の乗客も怒るわけでもなく、窓からあたしたちのやりとりを静かに見ていた。
なんだったんだろ〜、こんなこと初めてぇ〜、と説明しがたい気持ちに包まれてホテルに戻った。ガイドブックが日本語だったから、日本人だとわかってそうしたのかな?でも単なる親日だとそこまでしないよね、ご家族に杉原千畝に救われた人でもいらっしゃるのかな、なんて。。。興奮冷めやらぬまま、この日はホテルの近くのオープンカフェで夕食。
どれも素敵な写真ばかりですが、ビリエス通りの広さ、石畳が素敵ですね~。
あ~、私も歩いてみたいなあ~。
ビリニュスの旧市街も世界遺産なのですが
サンクトペテルブルクのような大都市とは
趣の異なる素敵な町でしたよ。
きっとドライバーさんの親戚に、杉原千畝に救われた方がいらっしゃるのだと思いたいです。
気になりますね。
それにしても美しい建築物の数々。
眼の肥やしになりますね。
やっぱり杉原千畝さんに救われた人の
関係者なのかなぁと思いました。
旅先で親切にされることは多いですが
今回のは横綱級でした
しかも言葉が通じないから、無理でした。
景色は本当に美しかったです
やっと送り盆も終わって、ひと段落しています。
旅行記、まとめて読んでいますよ。
建築物の美しいこと。バロック!学んだわ。
教科書を出してみようかと思ったりして
ました。
それにしてもご親切な運転手さん、嬉しい
ですね。
ありがたいですね。建築物も見たいけど
人柄らの良い人がいた国も見てみたいです。
建築物、さすがどの都市も世界遺産、美しいでしょ?
50年に一度建て替える前提の戦後の日本の建物と違って、
一度作ったら永遠に残すつもりで建ててるから
作った人たちの気合が感じられますし、迫力も存在感も違います。
リガではアールヌボー建築を堪能したので、乞うご期待。
カウナスのトロリーバスの謎の肝っ玉母ちゃん(笑)みたいな運転手さん
本当に、言葉を失いました、あたしはハグするしか考えつかなかった。
ただあとから、日本人がみんな杉原千畝のようだと思われてたら
すみません、うちの首相危険な独裁者ですって
申し訳ない気分にもなりました(寂)