狭い日本になぜ54基もの原子力発電所が存在し、国民がどんなに反対の声を
上げても無くす方向にはいかないのか、私はずっと疑問に思ってきました。
陰で大きな力が働いているのではとは思っていましたが、それがどんなものかは
解りませんでした。
『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア 狭い日本に核プラントが54基も存在する理由』
(鬼塚英昭著 成甲書房)を読んで、そこには国を超えたとてつもない巨大な利権と人脈、
そしてそれぞれの思惑が絡まり合っていることが判りました。
原発はいったん始めてしまったら麻薬と同じで、止めるには一筋縄ではいかないということを
思い知らされました。
どれだけ理解できたかは自信がありませんし、書かれていることが全て正しいかどうかは
私には分りません。私が理解した範囲で、本に書かれている気になる言葉を
ピックアップしていこうと思います。この本の初版が2011年5月30日ですので、
現在とは若干の違いがある箇所があります。
まずロスチャイルド家とは何なのか。この本で私は初めて知った。ウィキペディアによると
「18世紀後半にフランクフルトのゲットー(ユダヤ人隔離居住区)出身の
マイヤー・アムシェル・ロートシルクが銀行家として成功したことに始まる。
現在、ロスチャイルド家が営む事業は主にM&Aのアドバイスを中心とした投資銀行業務と
富裕層の資産運用を行うプライベート・バンキングが中心である」
どこにも原子力との関係を示す記載はない。
この本には次のように書かれている。
私はまず、ヴィクター・ロスチャイルド(1910~1990)について書くことにする。
どうしてか?彼こそが"原発マフィア"の中でも最も大きな力を持っていたからである。
しかし、いかなる原爆の本を読んでも、日本を問わず、欧米においても、
一行たりとも全くその姿を見せたことがない。
彼は闇の中にほぼ完全に隠されている。しかし、彼こそが原子爆弾を、そして
原子力発電所を創造した男なのである。
原子爆弾を製造すべく、アメリカは「マンハッタン計画」を立てる。この計画は、
1939年8月2日に、アルバート・アインシュタインがフランクリン・ルーズベルト
大統領に書簡を送って、原爆製造にアメリカが着手するようになった、というのが現代史の
定説とされている。
しかし、ヴィクターこそが原爆製造の"主役"であることは全く知られていない。
すべてが謎につつまれている。
ヴィクターはイギリス陸軍の飛行機を乗りまわし、あらゆる国々でウラン探しを続けた。
広島と長崎に原爆が落とされた後、当時のウラン鉱山の約80パーセントが
ヴィクターの手に落ちていた。第二次世界大戦が終了すると、ヴィクターは、
ウランの大量販売に乗り出すのである。
・・原爆がアメリカの軍事戦略の中心となっていく。こうした風潮のなかで、
原子力の平和利用としての原子力発電所が誕生してくるのである。
私たち日本人は、大きな"平和利用"としての原子力、すなわち核分裂を考えているが、
平和利用とは軍事産業の一分野なのである。どうして原子力発電にアメリカは
力を入れるようになったのか。
核分裂から電力を取り出して、工場や一般家庭に送電するのは二次的目標なのである。
それは今日でも変わらない。真の目的はプルトニウムを大量生産し、原爆製造、
そして水爆製造をするためであった。製造後に大量に出てくる劣化ウランで爆弾を造り、
世界各地での戦争を演出し、数十万、あるいは数百万単位で人々を殺害するためであった。
1991年、アメリカ軍はクウェートとイラクで94万4000発もの
劣化ウラン弾を発射した。
国防総省は戦場に最低でも320メートルトンの劣化ウランを残してきたことを認めている。
湾岸戦争の従事者に関するある調査では、彼らの子供が目の欠損や血液感染、呼吸器の問題、
くっついた指といった重い障害をかかえて生まれる可能性が高いと報告されている。
「原爆製造の父」であるロバート・オッペンハイマーの言葉
「物理学者たちは罪を知っている。我々は自分の手を汚した。原爆は麻薬だ。原爆は軍事的に
意味のない兵器だ。それは大爆発ー非常な大爆発ーを起こすだろうが、
戦争では役に立つ兵器ではない」
・・ここから「平和のための原子力」という言葉が生まれてきた。日本人は、
特に原子力発電を推し進める原発マフィアたちは、この言葉を今日でも使い続けている。
アメリカはこの「平和のための原子力」という言葉を盛んにピ-アールした。
こうして「恐怖の原子力」というイメージが消えていった。
この言葉を世界中の政治家たちがこぞって使い始めたのである。
シュトラウス(ルイス・L・シュトラウス、原爆エージェント)が勝利し、
オッペンハイマーが敗北した。「核拡散」こそが、原子力の平和利用であるとされた。
ヴィクター・ロスチャイルドはウラン鉱山の80パーセント近くを支配していた。
彼はさらに世界中のウラン鉱山を探査するのである。アフリカ大陸に的が絞られた。
南アフリカの金山からウランが出た。そして今、ロスチャイルドは、
オーストラリアに世界最大のウラン鉱山を持つ。
日本に目を向けてみよう。佐野眞一の言葉
「A級戦犯で死刑になった人は7人ですが、A級戦犯容疑者として拘留され、
後に不起訴となって出てきた人はそれよりずっと多い。正力松太郎もそうです。
彼は読売グループの総帥にして日本プロ野球の生みの親なわけですが、
じつは戦前には警視庁刑務部長を務めた大物官僚で、戦時中も大政翼賛会総務や
貴族院議員を務めていたんですね。終戦後はA級戦犯容疑で
巣鴨プリズンにも入っていたという人物です」
CIAから暗号名「ポダム」を与えられていた正力は、輝かしい日本の未来を願い、
CIAから1千万ドルの小切手を貰って日本テレビを創り上げ、かわりに、
3千万の人々の反原爆運動を「毒をもって毒を制する」方法で、原子力利用を
工作したというわけである。
正力の戦略は原子力利用への熱望を育てることに成功していく。被曝があるからこそ、
期待が高まる。
オセロゲームで、黒のコマを一気に白に変えるような見事な手腕で、
正力は大衆社会の原子力への期待を煽りに煽り、それを一身に受け止めて衆議院議員に
初当選を果たし、かつて学術会議で議論された軍民を総括するアメリカ原子力委員会と
同じ名前の組織を作って良いのかという問題を一切考慮することなく、
強引に原子力委員会を設置して、自らその初代委員長に着任、
科学技術庁長官として入閣を果たした。
読売新聞は、1955年元旦、「原子力平和使節団招待」という社告を第一面に掲げた。
「原子力は学問的にみても、とっくに技術開発の段階さえ終わり、工業化と経済化への
時代、それも輝くばかりの未来柱を暗示する時に来ている。
広島、長崎、そしてビキニと、爆弾としての原子力の洗礼を最初にうけたわれわれ
日本人は、困難を押し切ってもこの善意により革命達成の悲願に燃えるのは当然だ」
2につづく (敬称略)
上げても無くす方向にはいかないのか、私はずっと疑問に思ってきました。
陰で大きな力が働いているのではとは思っていましたが、それがどんなものかは
解りませんでした。
『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア 狭い日本に核プラントが54基も存在する理由』
(鬼塚英昭著 成甲書房)を読んで、そこには国を超えたとてつもない巨大な利権と人脈、
そしてそれぞれの思惑が絡まり合っていることが判りました。
原発はいったん始めてしまったら麻薬と同じで、止めるには一筋縄ではいかないということを
思い知らされました。
どれだけ理解できたかは自信がありませんし、書かれていることが全て正しいかどうかは
私には分りません。私が理解した範囲で、本に書かれている気になる言葉を
ピックアップしていこうと思います。この本の初版が2011年5月30日ですので、
現在とは若干の違いがある箇所があります。
まずロスチャイルド家とは何なのか。この本で私は初めて知った。ウィキペディアによると
「18世紀後半にフランクフルトのゲットー(ユダヤ人隔離居住区)出身の
マイヤー・アムシェル・ロートシルクが銀行家として成功したことに始まる。
現在、ロスチャイルド家が営む事業は主にM&Aのアドバイスを中心とした投資銀行業務と
富裕層の資産運用を行うプライベート・バンキングが中心である」
どこにも原子力との関係を示す記載はない。
この本には次のように書かれている。
私はまず、ヴィクター・ロスチャイルド(1910~1990)について書くことにする。
どうしてか?彼こそが"原発マフィア"の中でも最も大きな力を持っていたからである。
しかし、いかなる原爆の本を読んでも、日本を問わず、欧米においても、
一行たりとも全くその姿を見せたことがない。
彼は闇の中にほぼ完全に隠されている。しかし、彼こそが原子爆弾を、そして
原子力発電所を創造した男なのである。
原子爆弾を製造すべく、アメリカは「マンハッタン計画」を立てる。この計画は、
1939年8月2日に、アルバート・アインシュタインがフランクリン・ルーズベルト
大統領に書簡を送って、原爆製造にアメリカが着手するようになった、というのが現代史の
定説とされている。
しかし、ヴィクターこそが原爆製造の"主役"であることは全く知られていない。
すべてが謎につつまれている。
ヴィクターはイギリス陸軍の飛行機を乗りまわし、あらゆる国々でウラン探しを続けた。
広島と長崎に原爆が落とされた後、当時のウラン鉱山の約80パーセントが
ヴィクターの手に落ちていた。第二次世界大戦が終了すると、ヴィクターは、
ウランの大量販売に乗り出すのである。
・・原爆がアメリカの軍事戦略の中心となっていく。こうした風潮のなかで、
原子力の平和利用としての原子力発電所が誕生してくるのである。
私たち日本人は、大きな"平和利用"としての原子力、すなわち核分裂を考えているが、
平和利用とは軍事産業の一分野なのである。どうして原子力発電にアメリカは
力を入れるようになったのか。
核分裂から電力を取り出して、工場や一般家庭に送電するのは二次的目標なのである。
それは今日でも変わらない。真の目的はプルトニウムを大量生産し、原爆製造、
そして水爆製造をするためであった。製造後に大量に出てくる劣化ウランで爆弾を造り、
世界各地での戦争を演出し、数十万、あるいは数百万単位で人々を殺害するためであった。
1991年、アメリカ軍はクウェートとイラクで94万4000発もの
劣化ウラン弾を発射した。
国防総省は戦場に最低でも320メートルトンの劣化ウランを残してきたことを認めている。
湾岸戦争の従事者に関するある調査では、彼らの子供が目の欠損や血液感染、呼吸器の問題、
くっついた指といった重い障害をかかえて生まれる可能性が高いと報告されている。
「原爆製造の父」であるロバート・オッペンハイマーの言葉
「物理学者たちは罪を知っている。我々は自分の手を汚した。原爆は麻薬だ。原爆は軍事的に
意味のない兵器だ。それは大爆発ー非常な大爆発ーを起こすだろうが、
戦争では役に立つ兵器ではない」
・・ここから「平和のための原子力」という言葉が生まれてきた。日本人は、
特に原子力発電を推し進める原発マフィアたちは、この言葉を今日でも使い続けている。
アメリカはこの「平和のための原子力」という言葉を盛んにピ-アールした。
こうして「恐怖の原子力」というイメージが消えていった。
この言葉を世界中の政治家たちがこぞって使い始めたのである。
シュトラウス(ルイス・L・シュトラウス、原爆エージェント)が勝利し、
オッペンハイマーが敗北した。「核拡散」こそが、原子力の平和利用であるとされた。
ヴィクター・ロスチャイルドはウラン鉱山の80パーセント近くを支配していた。
彼はさらに世界中のウラン鉱山を探査するのである。アフリカ大陸に的が絞られた。
南アフリカの金山からウランが出た。そして今、ロスチャイルドは、
オーストラリアに世界最大のウラン鉱山を持つ。
日本に目を向けてみよう。佐野眞一の言葉
「A級戦犯で死刑になった人は7人ですが、A級戦犯容疑者として拘留され、
後に不起訴となって出てきた人はそれよりずっと多い。正力松太郎もそうです。
彼は読売グループの総帥にして日本プロ野球の生みの親なわけですが、
じつは戦前には警視庁刑務部長を務めた大物官僚で、戦時中も大政翼賛会総務や
貴族院議員を務めていたんですね。終戦後はA級戦犯容疑で
巣鴨プリズンにも入っていたという人物です」
CIAから暗号名「ポダム」を与えられていた正力は、輝かしい日本の未来を願い、
CIAから1千万ドルの小切手を貰って日本テレビを創り上げ、かわりに、
3千万の人々の反原爆運動を「毒をもって毒を制する」方法で、原子力利用を
工作したというわけである。
正力の戦略は原子力利用への熱望を育てることに成功していく。被曝があるからこそ、
期待が高まる。
オセロゲームで、黒のコマを一気に白に変えるような見事な手腕で、
正力は大衆社会の原子力への期待を煽りに煽り、それを一身に受け止めて衆議院議員に
初当選を果たし、かつて学術会議で議論された軍民を総括するアメリカ原子力委員会と
同じ名前の組織を作って良いのかという問題を一切考慮することなく、
強引に原子力委員会を設置して、自らその初代委員長に着任、
科学技術庁長官として入閣を果たした。
読売新聞は、1955年元旦、「原子力平和使節団招待」という社告を第一面に掲げた。
「原子力は学問的にみても、とっくに技術開発の段階さえ終わり、工業化と経済化への
時代、それも輝くばかりの未来柱を暗示する時に来ている。
広島、長崎、そしてビキニと、爆弾としての原子力の洗礼を最初にうけたわれわれ
日本人は、困難を押し切ってもこの善意により革命達成の悲願に燃えるのは当然だ」
2につづく (敬称略)