今日のうた

思いつくままに書いています

司馬遼太郎の「血管が破裂する」

2015-05-10 09:07:32 | ⑤エッセーと物語
2015年5月8日、朝日新聞夕刊「ノモンハン事件をたどって4」に
司馬遼太郎の「血管が破裂する」ほどの怒りが載っていましたので、引用させて頂きます。
2014年7月30日の私のブログ「二十二歳の自分への手紙 ~司馬遼太郎~2」
(NHK Eテレ「日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち」)には、
「血が腐るほどの怒りが先になると、小説はできない。」とあります。
いぜれにせよ、司馬遼太郎の怒りの激しさが察しられます。

 例えば、ノモンハンで関東軍の作戦主任参謀だった服部卓志郎は41年7月に
 大本営作戦課長に、関東軍参謀だった辻政信は42年3月に同課作戦班長に就任。
 ガダルカナル島の作戦を指揮した。
 物資の輸送能力を考慮せず損害を広げたノモンハンの失敗が拡大再生産され、
 島は「飢(が)島」と呼ばれた。島での死者約2万人のうち、
 約1万5千人が餓死か病死とされる。

 司馬が苦しんだのは、取材先との関係より、この国が抱える構造的な何か
 だったのではないか。
 執筆の見通しを尋ねた半藤(半藤一利)に、司馬は「その話は一切しないでくれ」と告げた。
 『ぼくがノモンハンを書くとしたら、血管が破裂すると思う』『当時の日本陸軍のトップの
  頭の悪さと、国家保全への感覚のなさに、精神衛生が悪くなってしまう』-。
 司馬は対談や随筆でそう繰り返し、長編小説で「昭和」を描くことはなかった。

 96年2月、司馬死去。半藤は霊前で合掌し「私が書きます」と誓った。
 作品『ノモンハンの夏』が約1年後に完成した。半藤は「ノモンハン敗戦の責任者である
 服部・辻のコンビが、対米開戦を推進し、戦争を指導した全過程をみるとき、(中略)
 人は過去から何も学ばないことを思い知らされる」と結んだ。(敬称略) 
 (引用ここまで)

(「戦後レジームからの脱却」が「戦前への回帰」になりつつある現在、最後の一行
 【人は過去から何も学ばない】という半藤一利さんの言葉と、司馬遼太郎さんの
 【(怒りに)血管が破裂すると思う】という言葉が、一段と胸に突き刺さる。)

●武田康弘さんのブログ「思索の日記」より、「戦争に向かった戦前と似ている」ー
 石田雄(東大名誉教授・社会学91歳) 安部首相の恐ろしさ。」の記事をお借りしました。
 ブックマークに入れました。是非、お読みください。
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http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/16e85b829011d31c770fd99b509678e6


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