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今日のうた

思いつくままに書いています

花びら供養 (1)

2020-06-29 07:00:20 | ③好きな歌と句と詩とことばと
2017年に書き始めたのですが、途中で断念してしまいました。
再度、載せます。

石牟礼道子著『花びら供養』を読む。
この本は2017年8月に出版されたもので、主に2000年以降の
石牟礼さんのエッセイなどが収録されています。
石牟礼さんがお書きになる人たちは、慎ましやかに暮らしていて、
お話になる言葉がていねいで美しく、思いやりにあふれています。
こんな言葉が日本にもあったのだと、思い知らされました。
またエッセイの中には、道子さんとお呼びしたくなるような、
愛くるしい目線で書かれたものもあります。
以前のものと重複する箇所もありますが、私の好きな言葉を
引用させて頂きます。

(1)第一次訴訟派で水俣病語り部の杉本栄子さんが、
   死の一年くらい前に語った言葉

  「道子さん、私はもう、許します。チッソも許す。病気になった私たちを
   迫害した人たちも全部許す。許すと思うて、祈るごつなりました。
   毎日が苦しゅうして、祈らずにはおれん……。
   何ば祈るかといえば、人間の罪ばなあ。
   自分の罪に対して祈りよっと。
   人間の罪ちゅうは、自分の罪のことじゃった。

   あんまり苦しかもんで、人間の罪ば背負うとるからじゃと
   思うようになった。
   こういう酷(むご)か病気が、二度とこの世に残らんごつ、
   全部背負い取って、あの世に持って行く。
   錐でギリギリもみ込むごつ、首のうしろの盆の窪の
   疼(うず)くときが、いちばん辛か。そういうとき、人間の
   仇(かたき)ば取るぞとばかり考えよった。
   親の仇、人間の仇とばかり、思いつめよりました。
   それで、疼きも一段ときつかったわけじゃ。

   許すという気持ちで祈るようになってから、今日一日ば、
   なんとか生きられるようになった」

石牟礼さんは水俣病の被害者の方たちを、
「このような地域ぐるみで拡がっている毒殺事件の被害者たち
のことを」と書いている。毒性が分かってからも有機水銀を
垂れ流し続けてきたチッソ、そしてそれを黙殺し続けてきた国は
毒殺事件の首謀者である。
そして石牟礼さんは次のように続けている。

  「ヨーロッパも日本も含めて『原罪』なる語があるけれど、
   『みんなの罪を、あの世に全部背負って行く』という栄子さんの
   言葉を超える教義があろうとは思えない。
   この言葉に対してはただひれ伏すばかりである」

(2)坂本きよ子さんという娘さんのお母さんから、
  次のようなことを頼まれた。

   「きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、
    わが身を縛っておりましたが、見るのも辛うして。

    それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。
    私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、
    縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。
    たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば
    拾おうとしよりましたです。曲った指で地面ににじりつけて、
    肘から血ぃ出して、『おかしゃん、はなば』ちゅうて、
    花びらば指すとですもんね。
    花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。
    何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の
    桜の花びらば拾うのが、望みでした。

    それであなたにお願いですが、文(ふみ)ば、チッソの方々に、
    書いて下さいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、
    花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいません
    でしょうか。花の供養に」

(3)人は何を求めて生きているのだろうか。ここでわが母のことを
  思い出す。祖母が発狂したのはいつごろだったか、
  尋ねたことがある。
  余命いくばくもなくなったのを、ねぎらうつもりだった。
  母ははっとしたようにうなだれ、深い息の底からかぼそい声に
  なって答えた。

   「十(とお)ばかりじゃったろうか……」

   わたしは言葉が出なかった。十になるやならずの女の子が、
   発狂した自分の親とどう向き合ったのか。
   きれぎれの吐息とともに母は呟いた。

   「……自分の方が、親にならんば……ち、思いおった」

   宙をみつめてさまよっている眸(ひとみ)の色。
   発狂した母親を抱えて、自分の方が親にならねばと思ったとは、
   それまでに聞いたことがなかった。
   私は度を失なって絶句していた。死んでゆく母が、五十を越えた
   娘にはじめて言い継ぐ、絶え絶えの魂の声。
   何を思い出し、視ているのか、遠くをさまよっていた視線が
   ふっとわたしを見た。

   「あんまり、よか娘じゃなかったよなあ」

   やっとそれだけ言えた。

八十を過ぎた母上は、畑にゆく人に畑の草に言づてを頼んだという。

   「草によろしゅういうて下はりませ」

(4)渚のことを縷々(るる)と描くのは、この列島の近代と
  いうものが、おのが産土(うぶすな)の風土を、いかに
  骨ぐるみ腐食させ、隅から隅まで再生不能と思えるほど
  化学毒の中に漬けこんできたか、
  おのおの足もとを見ていただきたいからである。
  そこは何よりも今現在、生きとし生けるものたちを
  丸抱えにしたまま息絶えようとしている大地であるから。

   たとえば一個の人体としてこの列島を見てみるとする。
   水俣だけにかぎらない。
   心臓も腎臓も右脳も左脳も、もう血液どろどろではないか。
   ちなみに山つきの棚田のほとりの、水の源、小川のはじまる
   ところを見てまわっていただきたい。必ず、三面コンクリート
   張りのドブに改修され、フナもドジョウもウナギも足長エビも
   ナマズもタニシもシジミも川藻も死に絶えて、
   「小鮒釣りしかの川」は腐臭を発しているはずである。
   少なくとも私の身辺では、そうなっている。
   
   近代教育を受けるようになって知的に上昇したつもりで、
   田舎を見下げ、その山川や先祖の墓地の面倒を
   見てきた村落を見捨ててきた都市の年月があった。
   「都市と地方の格差」は経済のことだけではなく、この国の
   近代の精神史に、異様なゆがみをもたらしている。  2につづく

※ずっとInternet Explorerを使って書いていました。
 ある時からやたらと字が薄くなったので、投稿したものを
 全て太字にしました。
 今朝はじめてInternet Explorer以外を使ったところ、字が太くてでかい!
 これなら太字にすることもなかったと思いました。
 Internet Explorerもガラケーもなくなる運命にあるのでしょうか。
 私は二つとも好きです。

 だがInternet Explorerでは出来ないことが増えています。
 初めてオンライン診療を受けようとしても、Internet Explorer
 では出来ません。ツイッターも出来なくなりました。
 私は小学生の「かきかた」みたいに大きな字が苦手です。
 せめてガラケーだけは今のところ、死守するつもりです。

 そういえば、2018年に「ハタチ基金」に寄付をしようと
 したところ出来ませんでした。他のWebプラウザーを使うよう
 指示されたのですが、その時はその意味が分かりませんでした。
 今思うと、Internet Explorerが使えなかったのかもしれません。


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花びら供養 (2)

2020-06-29 07:00:01 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(5)うっかりテレビをひねると、タレントたちのしぐさ、表情、身につけているものの
   色も形も下品のかぎりである。日本人は世界の水準をこえて、その下卑さにおいて
   群を抜いているのではないか。子どもの学力や躾の無さは親や家のせいだろうから、
   戦後六十年かかってこの国は、精神のたががゆるんでしまったにちがいない。
   あらゆる意味で「美」と「徳」の基準を見失い、倫理社会から失墜してしまった
   としか思えない。政治家たちのむきだしの金銭欲はその象徴と思う。……

   この国の国民的痴呆化現象は、敗戦を機に、長い間の占領政策が功を奏してきた
   結果ではないか。戦前までは、日本的知性が庶民の間にもあったような気がして
   ならない。たとえば他家を訪(おとな)うときの腰のつつましやかさなどに。

(断っておくが、ここに書かれていることは、安倍氏たちが提唱する戦前の教育への
 回帰と全く違うものだ、念のため)

(6)水俣の受難の中にいてやりきれないのは、世界に類例がないといわれる症状に
   苦しむ人々への、地域住民からの惨酷な仕打ちであった。
   ここにいちいち書くにしのびないが、人間というものは特定の極限状況に置かれ
   れば、残虐さを発揮する本質を隠し持っているのかとおもう。
   たとえば戦争を起こすのに兵器産業が動き出す。平和時でも化学産業のある
   ところ、一種の生物兵器ともいうべき環境汚染物質が氾濫する。企業あるいは
   行政側は、たとえ人命がそこなわれようとも、当然出てくる負荷として、はじめから
   計上しているのではないか。兵器産業の目的は生命の殲滅と引き替えに利益をうる
   という意味で現代の悪魔である。これが野放しのまま世界の経済をあやつってきた
   中で、高度成長を押しすすめてきたわが国の拝金思想は民意をあやつって、
   弱者切り捨てが国民性のようになった時代に生まれたのが水俣病である。
   公式確認からでも五十年以上経つのに、原因物質の総量や致死量がどのくらい
   流されたのか、被害者の実態がどうなっているのか、チッソはもちろん国の政策
   でもはっきり後づけられなかった。

(7)後ろずさりしてゆく背後を絶たれ者の絶対境で吐かれたどんでん返しの大逆説が
   ここにある。かねてこの人はこうもいう。
   「知らんちゅうことは、罪ぞ」
   光に貫ぬかれた言葉だと思う。現代の知性には罪の自覚がないことをこの人は
   見抜いたにちがいない。不自由きわまる体で、あらためて、水俣病とそこに生じる
   諸現象の一切を、全部ひきうけ直します、と栄子さんは宣言したのだ。
   皆が放棄した「人間の罪」をも、この病身に背負い直すぞとも言っているのでは
   ないか。自分にむかって、迫害する者たちにむかって、世界にむかって、
   仲間たちに対して。

(8)この地方の無邪気で神話の中にいるような人たちに加えられた残虐この上ない行為を
   どう考えればよいのだろうか。国策としての高度経済成長が背後にあった。
   それはしかし、万を越す弱者たちを供儀(くぎ=いけにえ)とせねばならぬほど必要
   だったのだろうか。経済の成長とは世界に示すべきわが民族の徳目だろうか。
   なぜ人柱を立てた金を握って富裕層になりたかったのか。猫四百号がチッソ付属
   病院細川一氏や、別の猫が水俣保健所長の伊藤蓮雄氏によって発見され、
   熊本大学医学部研究班が重金属中毒という原因もはっきりさせた時点でなぜチッソ
   と国は患者のところにかけつけ、いたわり、治療に集中し、貧苦のどん底に落ちた
   家族の面倒を見なかったのか。それが人情というものではないか。
   一人を名乗り出させて家のほとんどすべてが、家族全員既に発病していた。
   この時点から考えれば、親子、兄弟、じいちゃんばあちゃん、すべての魚好きの
   家族たちが発病しているとみてよい。なにしろ食べる量がちがうのである。

(9)私の親の世代では、「後生(ごしょう)を願いに行く」という言葉があった。
   今の世ではなく、生まれ変わった後(のち)の世を願いに。お寺に詣ることをそう
   表現した。
   来世とは、現世に失望した人たちの考え出した言葉である。近作の二句である。

    来世にて逢わむ君かも花御飯(まんま)

   生まれ変わったら、あの人に逢いたい。その時は花御飯を差し上げましょう。
   四、五歳の女の子が、花をたくさん拾い、つわぶきの葉っぱに盛って客に
   もてなすままごとの歌である。

    闇の中草の小径は花あかり

   ご先祖様も、親の親も、直接の両親も果たせなかった荷物を、来世にゆけば、
   下ろしてよかろうか。こう考えて、暗い野の草の小径を行くと、向こうに幽かに
   一輪の花が見える。それを目指して、命のあかりとして歩んでいる。
   光とは、私にとって、そのようなものである。水俣病の患者さんたちが、
   「水俣病を、自分たちが病み直す。引き受ける」と言われたのも、そういう
   あかりである。それは、もはや生身の人間の言葉ではない。
   仏、菩薩の言葉のように聞こえる。
   生命(いのち)の中の生命が、仄(ほの)あかりになって、遠いところへ行く野道が
   照らされる。そういう草林の原風景を見たい。 3につづく

    
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花びら供養 (3)

2020-06-29 06:59:33 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(10)水俣病が発生した。聖なる供犠(くぎ)は閾値(いきち)を超えていた。
   チッソの調べでは、水俣市の人口二万七千六百七十一人。死者二千二百七十一人。
   水俣の特措法に基づく申請者三万五千三百九十九人、死者の実数はもっと
   たくさんいるだろう。初発から約半世紀、国も県も根本的な対策を立てようと
   しない。
   末世から地獄への道を示すような夏だった。

(11)不自由な体で、バスに乗って、バス代を払うのにお金を小銭入れから取り出す
   のも不自由で、車掌さんにそのお金をお渡しするのも不自由で、そういう思いを
   してお集りをなさって、月に一回集会をなさって、そんなふうな思いをして何年も、
   訴訟に踏み切って、まあ、ずいぶん隠しておられたそうですけれど、水俣出身で
   あることを。やっと今度判決が出るわけですけれど、人間の絆の崩壊と結び直し
   とがずーっと繰り返されてきて、それで、どういう判決がでるでしょうか。
   お体も不自由ですから、働き口もおありにならないですよね、満足な働き口は。
   この長い年月 ”お前さんたちは、この世にいなかったと思え”と言わんばかりの
   仕打ちでございましたよね、認定審査会の厳しい基準というのは。
   この世にいなかったと思えというふうに受け取られても言い過ぎではないような、
   歳月であったと思うんですよ。一日としてお金がなくては生きていけませんから、
   元気であっても。どんな思いでこの三十年を過ごされたのか、そのことをつくづく
   思います。

(12)私が思いますに、環境の世紀と言いましても、環境を汚すのは人間ですから、
   人間そのものが人類が体験したことのない毒素になっていると思わざるを
   えないんですね、私たち自身が汚染されているのではなくて、私たち人間が
   毒素になってきて、回りを、生物界を汚染していると思うんです。
   この事態をこのまま放置して水俣病はなかったことに、ほんの少し訴訟を
   思い切って打ち出した人以外の方々がいらしたことは、薄々みんな知っていて、
   知らなかったことにしてしまえば、私たちが毒素になっていますから、
   子どもたちが、殺し合うような国になっていくのは当然だと思うんですね、
   このまま放置しておけば。
   よほど、覚悟を決めて、いったい、この水俣病というのは何だったのか、
   何を私たちに示唆しているのか、全貌を全部調べ直すというのは無理かも
   しれませんけれど、いまならば、まだ間に合います。あの地域の、原田先生
   その他、水俣学に参加してくださっている方々の試算によると、それとなく隠して
   亡くなっていった人も含めて、二十万人ぐらいの被害というか、普通でない
   状態の人たちが死んでいったに違いない。それを追跡する最後の機会が、
   いま、来ているのではないかと思うんです。

(13)水俣のことを人さまにお願いするのに、なぜこうも心苦しいのか。ふつうに
   暮している人たちに訴えることで、その平穏をかき乱すにちがいないからである。
   しかしと、心をふるい起して考える。今まで水俣が体験してきた五十年間の
   ことは明日の皆さまの身の上でございますと。     (引用ここまで)



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