『龍―RON―』
警察だか特高だかに追われた龍が 中国に旅立つ前に
洛北・大原の尼寺にかくまってもらった時、
その菩薩さまのようなお顔の ちょっと不思議な尼さんが言う。
「風は見えないけれど、
なびく草や枝を見て、
私たちは
見えない風の存在に気づきます。
私たちの周囲(まわり)には、
あまりに多くの
見えないものがある
ということです・・・。」

「あなたが今ここにいるのも、
あなたを守ろうという人々の
目に見えない力が働いた結果ではありませんか?
目に見えぬもの(冥)に
守られている(加)ことを
知らねばなりません・・・。
これを“冥加の心”といいます。」
へ~。
そうなんだ。
「冥加(みょうが)」という言葉は知っていたけど、
意味なんか 考えたこともなかった。。
尼僧は
「自分の力ばかりを頼みにしないで
もっと素直に
まわりを見回してみたらどうですか?
そうすれば 道は開けてくるもんどす。」
と 龍を諭している。(第19巻 p183)
冥加(みょうが)の「冥(みょう)」は
暗いという意味だろうか。
冥途(めいど)の「冥(めい)」だ。
冥府(めいふ)、冥界(めいかい)の「冥」。
おそらく、漢音が「メイ」で、呉音が「ミョウ」。
呉音は日本語を面白く(つまり、面倒に)してくれるね(苦笑)。
いつもの新選国語辞典で調べると、
確かに、「冥加」は
「目に見えない神仏の助力。おかげ。おたすけ。」とある。
冥助(みょうじょ)は冥加と同じ意味。
(瞑目(めいもく)と瞑座(めいざ)は違う字。)
巻末の漢字解説によると、「冥」には
①よみじ。死後の世界。
②目に見えない神仏のはたらき。
③奥深い。
という3通りの意味がある。

ほうれん草? 雑草?(笑)
マンガを読んでいて 「冥加」という言葉の意味を
これまで知らずに居た、と気付いた。
そうしたら、今回 『にぎやかな天地』上下巻を読み返していて
(記事にする時って、もう、どうしようもないくらい、効率悪いけど、
信じられないくらい、読み返す)
「冥利」について掛かれた部分にぶつかった。
「あいつは冥利が悪い、っちゅう言い方をするやろ?
ぼくは若いころ、修行に行った料亭のご主人に、
しょっちゅうそない言うて怒られた。
よう使うことばやねんけど、
冥利って、どういういみやと訊かれて、
性格に説明できる人は そないおらんのや。」(上巻p265)
「冥利(みょうり)」、新選国語辞典によると、
「①それとわからぬうちに神仏があたえるめぐみ。
②善行の報いとして受けた幸運。
③ある立場にあることによって受ける恩恵。
冥利に尽っきる:ありがたくて、もったいない。」
と書かれている。
「冥加」とおんなじじゃん?
「そやけど、どうもそれだけでは説明しきれん意味合いが
含まれてるような気がしてなァ。
しかし、あいつは冥利が悪いっちゅうと、
なんとなく わかるような気がするんや。
常日頃、胸に持ってる考え方が歪んでるとか、
やってることが どこか邪(よこしま)や、とか、
どこかにずるさや なまけ心を隠してる、とか・・・・・・。」
「そやけど、どこか冥利が悪かったなァ、
と いまになって わかるんや。」
「つまり、どれもこれも、ふりをしてたんや。
料理の修業に懸命なふり。
ご主人を尊敬するふり。
兄弟子に従順なふり。
いやな仕事も骨身を惜しまずにするふり。
ぼくは 他人にではなく、自分自身に向けてやっとったんや。
ご主人はそれを見抜いてたんやなァ。」(同)

小松菜!(笑)
心に刻んでおきたい言葉は「冥加」や「冥利」ではなく、
「冥利が悪い」の方かと思う。
「身の分限をはかり 慈悲を専らとし
善悪につきて 心を動かさず
天明に安んじてはたらくべし」
というおみくじの私だから、
心して過ごさなくては、と思う。
警察だか特高だかに追われた龍が 中国に旅立つ前に
洛北・大原の尼寺にかくまってもらった時、
その菩薩さまのようなお顔の ちょっと不思議な尼さんが言う。
「風は見えないけれど、
なびく草や枝を見て、
私たちは
見えない風の存在に気づきます。
私たちの周囲(まわり)には、
あまりに多くの
見えないものがある
ということです・・・。」

「あなたが今ここにいるのも、
あなたを守ろうという人々の
目に見えない力が働いた結果ではありませんか?
目に見えぬもの(冥)に
守られている(加)ことを
知らねばなりません・・・。
これを“冥加の心”といいます。」
へ~。
そうなんだ。
「冥加(みょうが)」という言葉は知っていたけど、
意味なんか 考えたこともなかった。。
尼僧は
「自分の力ばかりを頼みにしないで
もっと素直に
まわりを見回してみたらどうですか?
そうすれば 道は開けてくるもんどす。」
と 龍を諭している。(第19巻 p183)
冥加(みょうが)の「冥(みょう)」は
暗いという意味だろうか。
冥途(めいど)の「冥(めい)」だ。
冥府(めいふ)、冥界(めいかい)の「冥」。
おそらく、漢音が「メイ」で、呉音が「ミョウ」。
呉音は日本語を面白く(つまり、面倒に)してくれるね(苦笑)。
いつもの新選国語辞典で調べると、
確かに、「冥加」は
「目に見えない神仏の助力。おかげ。おたすけ。」とある。
冥助(みょうじょ)は冥加と同じ意味。
(瞑目(めいもく)と瞑座(めいざ)は違う字。)
巻末の漢字解説によると、「冥」には
①よみじ。死後の世界。
②目に見えない神仏のはたらき。
③奥深い。
という3通りの意味がある。

ほうれん草? 雑草?(笑)
マンガを読んでいて 「冥加」という言葉の意味を
これまで知らずに居た、と気付いた。
そうしたら、今回 『にぎやかな天地』上下巻を読み返していて
(記事にする時って、もう、どうしようもないくらい、効率悪いけど、
信じられないくらい、読み返す)
「冥利」について掛かれた部分にぶつかった。
「あいつは冥利が悪い、っちゅう言い方をするやろ?
ぼくは若いころ、修行に行った料亭のご主人に、
しょっちゅうそない言うて怒られた。
よう使うことばやねんけど、
冥利って、どういういみやと訊かれて、
性格に説明できる人は そないおらんのや。」(上巻p265)
「冥利(みょうり)」、新選国語辞典によると、
「①それとわからぬうちに神仏があたえるめぐみ。
②善行の報いとして受けた幸運。
③ある立場にあることによって受ける恩恵。
冥利に尽っきる:ありがたくて、もったいない。」
と書かれている。
「冥加」とおんなじじゃん?
「そやけど、どうもそれだけでは説明しきれん意味合いが
含まれてるような気がしてなァ。
しかし、あいつは冥利が悪いっちゅうと、
なんとなく わかるような気がするんや。
常日頃、胸に持ってる考え方が歪んでるとか、
やってることが どこか邪(よこしま)や、とか、
どこかにずるさや なまけ心を隠してる、とか・・・・・・。」
「そやけど、どこか冥利が悪かったなァ、
と いまになって わかるんや。」
「つまり、どれもこれも、ふりをしてたんや。
料理の修業に懸命なふり。
ご主人を尊敬するふり。
兄弟子に従順なふり。
いやな仕事も骨身を惜しまずにするふり。
ぼくは 他人にではなく、自分自身に向けてやっとったんや。
ご主人はそれを見抜いてたんやなァ。」(同)

小松菜!(笑)
心に刻んでおきたい言葉は「冥加」や「冥利」ではなく、
「冥利が悪い」の方かと思う。
「身の分限をはかり 慈悲を専らとし
善悪につきて 心を動かさず
天明に安んじてはたらくべし」
というおみくじの私だから、
心して過ごさなくては、と思う。