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キョンミンの新しい命
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ワールドカップの熱気が全世界を熱くした2006年6月。
私は息子を失うという悲しみで、胸が押しつぶされそうな苦痛の中にいました。
「キョンミン、、、」
まだ18歳なのに不整脈に由来する心臓麻痺で死んでしまったキョンミン。いつも全校で一位であるだけでなく、天才たちの集まりの会員になるほどの頭のいい子でした。その子が激しい胸痛を訴えたのは、高校へ進学した直後でした。キョンミンは幼い時に肋骨の奇形のせいで、肋骨を18本も切るという大手術を受けたことがありました。
「その時とりきれなかった肋骨ひとつがキョンミンの心臓を圧迫しています。」
他に治療法がないということを聞いて私たちは病院を後にしました。幼くして大きな手術を受けたせいか、キョンミンは、幼いの頃からとても大人びていました。
普段体の弱い私をよく世話してくれることはもちろん、他の子供たちの中でも暖かく考えが深いお兄さんのような子として通っていました。そんなキョンミンがわずか2ヶ月の間にまた倒れた時は天が崩れるような絶望に息が詰まりました。
キョンミンが重症患者室に入っていた1ヶ月の間、私は魂が抜けたまま毎日を過ごしました。その暗澹とした苦しい時間、私を耐えさせてくれたのは、キョンミンのミニホームページで息子の痕跡をたどることでした。そうしていて知ることができました。私の息子がどんなによいことをしていたのかを。
キョンミンは、入試の勉強で押さえつけられ苦しんでいる人たちとメールをやり取りしながら、暖かい慰めと励ましのメッセージを伝えていました。自分の体が悪く苦しいキョンミンが与えたメッセージは、友の勇気と希望となっていたのでした。結局、キョンミンは病気に勝つことができず死んでしまいましたが、私はその暖かい心だけは守ってやりたいと思いました。
だから私はパソコンを習い、キョンミンのホームページを運営しながら、彼がやったように疲れて心が渇いた人々に、泉の水のような希望をあげるために努力しています。今はキョンミンが結んだ暖かい因縁のひとつひとつが、息子のいなくなった場所を埋めてくれています。
キョンミンが好きだった歌手オスンググさんは私たち夫婦を本当の両親のように思ってくれ、作家キムヨンデさんは漫画「キョンミンの日記」をインターネットに連載し、キョンミンの愛を世の中に知らせてくれています。今はキョンミンを記憶する人々の暖かい心が集まり、明るい光になっています。その消えない光は、私がずっと守っていかなければならないキョンミンの新しい命です。