娘のためのマラソン
1年前には少しも走ることができず、力なく座り込んでいた40代の家長がフルマラソンに挑戦しました。
彼は長らく闘病している娘に希望を与えるために、マラソンを始めました。マラソン歴1年目のキムホギュさんがその主人公です。
彼の家庭に黒雲が垂れ込み始めたのは、去る2000年の春でした。当時、中学校2年生の長女のイニョンが重症筋無力症で病院で治療を受けている時、悪いことが重なり、妻までもが慢性腎不全が悪化して入院することになったのでした。彼は奔走し、辛い日々を送らなければなりませんでした。
「イニョン、、、かあさん、、、」
妻と娘の病床を行ったり来たりして真心をこめて看護してもう4年を超えました。幸い妻は腎臓移植を受けて病状が早く好転していきました。ですが娘の病状は良くなりませんでした。依然と薬と注射に頼ったまま、苦しく生きていました。とても足が長くて、かけっこをすればいつも1等をとっていた娘に、暖かい希望を吹き込んでやりたいと思いました。それで選んだのがマラソンでした。
「そうだ、がんばって病気と闘っている娘のために、かっこよく1回やってやろう。」
彼の事情を知っている人たちは、やめるように説得しましたが、彼はあきらめることができませんでした。今の娘に一番必要なものは、全快するという希望だということを知っているからでした。ですがハーフマラソンに出場した時でさえも途中で棄権してしまうような素人に過ぎませんでした。
「無茶なことだ。そんなことをしていたら君まで病気になる。やめろ。」
周囲の人は、この辺でやめるようにと気をもみましたが、そうするほどに彼の覚悟は固くなっていきました。そうやって1年後、彼ははじめてフルマラソンに挑戦することになったのでした。
30キロ地点からは腰が切れるような痛みがついてきました。足はとても重たく、挙句の果てに、足までつって道路の上をごろごろ転がりました。
棄権という言葉がのどまで出掛かりましたが、これよりもひどい苦痛の中で耐えている娘を思い浮かべて彼は耐えぬきました。
「恐ろしい病魔の前でもあきらめないイニョンもいるのに、俺がこのぐらいで引き下がることはできない。がんばろう。」
すぐにでも倒れそうにふらつく体をやっと起こして、彼は死ぬ思いで走りました。そしてとうとう決勝線を越えた瞬間、彼はあえぎながらもまずは娘に電話をかけました。
「イニョン、父さんが完走したぞ。とうとう完走したぞ。」
「よかったわ。お父さんのおかげで力が湧いてきたわ。お父さんありがとう。」
ひたすら娘のために死ぬほどの力を出して走った42.195キロ。そして手にした銀色の完走メダル。彼はその希望のメダルを病床にいる娘の首にかけてやりました。
娘が病気を振り払って起き上がり、一緒に走ることができる日まで彼は希望のかけっこを止めません。