標語になった辞表
3年前、私は軍の入隊を100日後に控え、休学しました。
そして入隊までの残った時間を利用して小さな部品工場に就職しました。
私の辞書に適当にやるという言葉はありませんでした。少しの間、身を置いたところでしたが、私は使命感を持って仕事をしました。
誰よりも早く出勤して、夜の間にうず高く積もった雪を片付け、職場の先輩に会うと礼儀正しく挨拶を交わしました。
「おはようございます。」
私もまた、会社を率いていく大切な構成員であるので、どんな仕事でも最善を尽くしたいと思いました。仕事を始めて1週間ぐらいたった頃、昼食の後、残った時間30分がとてももったいないと思うようになりました。大部分の人が、その時間を特別にすることもなく無意味に送っていたのです。作業場の明かりまで消して昼寝をしたり、呆然と座って時間を費やしたりしました。私はその余分な時間を充実して送りたいと思いました。
「その時間に何をすればいいだろうか。そうだ、本を読めばいい。」
短い時間の読書をすることに決めた私は、すぐに次の日から実践に移しました。おじさんたちの中には、やめるようにと言う人もいました。
「君、少し寝ておけ。今、休んでおかないと午後に疲れるから。」
無理をするなという言葉を聞くたびに、私は本を読みながら頭が冴えてくるという言葉でおじさんたちを安心させました。そうやって1週間が過ぎました。ところが、ある日工場長が声をかけてきました。
「なぜ、君は休まないで本を読んでいるのだ。」
「ただ休んで時間を送るのがもったいなくて。」
私の答えを聞いて満足そうな微笑を浮かべた工場長は、翌日の昼の時間に私と一緒に本を読み始めました。
その後、不思議なことが起こりました。工場には本を読む人が一人二人と増えていきました。いつの頃からかは、昼の時間に手に本を持っている姿が自然に見えるほどになりました。
3ヶ月の勤務が終わった時、私はなじんだ会社を辞める気持ちで、出さなくてもいい辞表を提出しました。3ヶ月なじんだ人たちは、私が最後に退社する時見送りに出てきてくれました。そして私はすぐに入隊しました。入隊して少し後に意外な話を聞きました。
私が出した辞表が、何かの標語のように職場の入り口にかけられているという話でした。自分から変ろうとする意思、自分から実践しようとする態度、この小さなことが人々の日常に少しずつ変化を与えたということです。