8月22日(土)
2009年8月22日 暑い陽差しを浴びる漁港で
あいつと最後のハゼ釣りをした。
その後、同期は柳橋事務所に集まり飲み会するようになった。
青春の残影を語り、人生の最終コーナーを見えるところまで
差し掛かった。
今回も食べ切れない肴類、アルコールがテーブルに並んだ。
毎回 出席者は異なるが、今回は大学入学前
61歳 食道癌で逝った同期は合気道部主将で
彼は副将だった。
大手建設会社の役員で関西地区の責任者の彼は
定年を迎えるまで単身赴任であった。
奥さんも同じく合気道部同期。
毎回、出席同期は、都合がつかない、健康状態で来られないのがいるが
同期会に招かれない同期がいる。
卒業後、体育会同期で仲良しだった連中で集まった会があった。
当時、私は参加していなかった。
その中心メンバーだった同期は柳橋会には呼ばれない。
その男は、他人を批判、説教ばかりして
自己顕示、自己中心、自己満足で
同期に対しても
「ああ しなくちゃいけない 」
「こうしなければいけない」
と周囲に説教ばかりしていた。
現役サラリーマン時代は、仲間内で
他人批判しても周囲は
「又 馬鹿が言っている」と話半分で聴いていたが
利害損失を考えながら、一定の考慮で人間関係を維持したが
社会人としての一線をリタイアして
穏やかな安定した日々を過ごしたいと思う年齢になった。
なので、60代後半の人生で、未だ会社地位を基準とした
上から目線の言動に周囲(同期)はへきへきしていた。
お前に苦言を呈す などと説教したが
井の中の蛙は相手にされなくなった。
裏返すと、自分に自信がなく、心弱く
周囲を嫉妬していて、自己顕示することによって
高圧的に他人批判を繰り返した。
しかし 晩年になり
今日の柳橋会は午後2時から7時半まで続いた。
酒豪が二人いて、日本酒一升瓶を2本飲み干した。
柳橋を渡って、藤沢、町田、中野、千束へ帰った。
息子に祝い金を頂いて感謝です。