馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

遊歩道に放置された自転車。

2016-10-17 16:50:38 | 日記

10月16日(日)

朝 茜浜までウオーキングに向かう

遊歩道に自転車が放置されていました。

先日もあった。

 

立ち起こして、調べましたが

タイヤ、チェーン等、故障はないようです。

右ハンドルが、破損状態。

まだまだ、乗れる。

 

遊歩道は、サイクリング路もあるので

休日には、単独、集団のサイクリストが

続々現れます。

 

自ら乗ってしまえば、自転車泥棒になる。

なので、私も見捨てる。

10年程前、海浜公園まで、ジョギング。

復路で足を痛めて歩けなくなり

道路脇に捨てられた錆で朽ちる寸前の自転車を

直し海岸沿いを走り、終点で放置したことがあった。

 

この自転車、捨てていったのか?

盗まれたのか?

 

来週には、消えているでしょう。

 

 

 

 


恩義あるKENNY君 台湾へ飛び立つ。

2016-10-17 15:53:45 | 日記

10月16日(日)

朝 8時 KENNY君からラインメール。

「羽田空港移動中」

「今、昭和島」

10時30分発 エヴァ航空 羽田発 台北行に搭乗。

土曜日は、日本留学時代の友人が

水戸から池袋までやってきた。

友人は晩婚で40過ぎだが、アメリカ人と結婚した。

そのお披露目です。

 

9時 茜浜に向かってウオーキングに出る。

京葉線沿いの干潟を通り

習志野緑道干潟

茜浜に着いた。

 

護岸に座り、房総半島を眺め

 

空を見上げた。

10時半

茜浜1

東京湾上空を飛行して房総半島を旋回する

飛行機が、次々に大空の雲間に見え隠れしながら

吸い込まれて行く。

茜浜2

知り合ったのは

今年7月に来日した恩義ある台湾人社長の会社にいたKENNY。

 

 

KENNYがいなかったら、海外取引の道を開くことはできなかった。

 

彼もまた、かけがえのない恩人である。

 

私の息子が17才で台北に飛び立った。

台湾留学生活の世話してくれた。

彼の結婚式にも列席。

その子供も高校3年生になった。

25年の付き合いになる。

恩義固く、人情熱き台湾人。

冷淡な日本人。

 

19時4分 

ラインに「到了」

自宅に着いたのだ。

 


台湾人は、真田六文銭を知っている。真田丸を見ている。

2016-10-17 13:27:56 | 日記

10月14日(金)

喜楽でラーメンを食べた後

 

20時半 京王井の頭線 高架下の焼鳥屋に入った。

私以外、台湾人二人と若者は、酒は一滴も飲めない。

3人は、お茶を注文。

私は 冷酒を頼んだ。

ここは、喫煙可能。

KENNY君は、台湾では煙草吸わないが

海外出張では、気分転換のため喫煙する。

私も一本頂く。

 

KENNY が、私の上着に付けているピンバッジを見て

真田六文銭だと言う。

 

隣に座る日本の若者は吃驚してKENNYを見詰める。

若者は 関が原の戦いは知っていても

武将真田幸村の詳細は知らない。

 

KENNYが、真田六文銭の由来を説明する。

台湾人が、日本の大学生に戦国時代を説明するのは

逆なので、何だか可笑しい!

 

KENNYは、いっとき、日本語会話が下手になった。

今は 滑らかな日本語会話だ。

彼が言った。

台湾は、TVチャンネルが100局以上あり

日本の番組専門チャンネルを見ているので

日本語は忘れない。

KENNYの息子も戦国武将ドラマが大好きで

見ている。

さすが 親日台湾のテレビ局だ。

去年の夏に来日した時、息子が戦国武将ファンだというので

 

戦国武将シリーズのバッジ類をプレゼントした。

中国大陸に日本軍は侵攻したが

日清戦争では敗北した清国は

台湾を日本に割譲

台湾を、文化果てる島として

島民を見捨てたのだ。

後に国民党蒋介石軍が、大陸から逃亡して

台湾を支配したが

本省人を殺した。

 

非情城市

 

 大陸中国は、台湾を見捨てたのに

今更 自分達のもんだ。

なので、台湾人の奥底に潜む大陸人への憎悪と嫌悪は溜まっている。

 

21時半 スクランブル交差点で別れた。

渋谷スクランブル交差点

KENNY達は山手線で新宿のホテルへ

若者は井の頭線経由で町田に帰った。

私は銀座線、総武快速に乗車。

23時 帰宅。

今日は歩いた。

帯状疱疹が治り切らないので

 

船橋駅からの歩きでは、痛みで足引き摺った。