馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

悪徳悪質芝信用金庫 青年の樹(46)高松山ハイキング怪我した女性に遭遇Ⅰ

2020-05-13 06:09:42 | 日記

 

5月13日(水)午前1半時過ぎ 排尿切迫感でトイレへ

娘が入浴中。

最終電車で帰宅。

隔日勤務になってから、職場での勤務はハードだ。

夕食の準備もしてあるのだが疲れて食べない。

コロナ対策では下支えする看護師さんへの励ましがあるが

他所でも懸命に支えています。

 

日本は平和ボケしているだけではなく、国力が劣化しているかも知れないと思った。
コロナの迷走では日本の政治家の判断力が劣化している証拠であると思われた。
大金をかけてマスク2枚を国民に配布するなど、馬鹿を通り越して異常だ。

もっと緊張感を持ってやってくれないと困るのだが、政治家がこんなレベルでも仕方ないのかも知れない。

まあ~そんなことの愚痴を呟いて自宅引き籠り中。

仕方ないので、例年5月連休中に山登りしたブログ記事を検索。

6年前のブログを再読。

 

連載します。

再掲ブログ2014年5月5日

5月4日(日)みどりの日。

午前7時15分 自宅を出る。

10時 小田急新松田駅到着。

 

早速、駅前でコロッケうどんを立ち食い。

コンビニでポカリスエット購入。

駅前からタクシー乗車するが246号線が渋滞のため

裏道を通り高松山入り口に10時半着。

なだらかな舗装林道を歩む。

山ゆりが沢沿いに点在する道になり

10時56分、山ゆりの滝が見えた辺りで

 

背中が汗ばみだした。

暑くも寒くもなく、沢水を含んだ

一陣の微風は心地良い。

11時32分 高松山頂上までの距離。

1時間20分の標識まで来た。

傾斜がきつくなった。

11時59分 舗装林道は終わり

急峻な山道になった。

12時38分 男坂の標識。

頂上まで後わずか!

鎖がある道をあえぎあえぎ登ると

12時45分 高松山頂上に着いた。

富士山が濃い緑、薄い緑の山並みを従えて

春霞のホワイトブルーデコレーションだ。

頂上の草原には集団の登山客が、思い思いの草地に寝転び

富士を眺めている。

どうやら、トレランの方々のようだ。

2012年5月6日の高松山登山は快晴で富士の優美は際立っていた。

 

 

13時 トレラングループは私が登った道を駆け下って行った。

 

私は17歳から山登りを始めたが

若い頃は、確かに走って登ったこともあったが

競技スポーツの認識もなかった。

危ないなあ~と感じている。

私も山北方面に下ることとした。

後でトレラングループの人と関係する

アクシデントに遭遇するとは思いもせず

枯れ枝を杖代わりにして、滑らないように

ゆっくり急斜面をくだった。

石と木の根がむき出しの悪道が終わり

歩道林道をのんびり下った。

S字カーブを下るごとに

光射す里の風景は変わり、大きく見えだした。

 

S字を曲がった斜面の先に、枯れ枝を二本両手に持ち

足を引き摺りながら、ヨタヨタ登ってくる

サングラスの若い女性が現れる。

少し怯えているような姿だ。

 

私は瞬間、女性がサングラスで表情分からないが

只ならぬ異変を感じた。

 

女性は立ち止まった。

私は歩いて近づいた。

女性は待っていた。

女性の前に立った。

 

女性が話すのを待った。

サングラスを外した。

続く。

 

 

 

再掲 ブログ 悪徳悪質芝信用金庫青年の樹

2017年6月21日

先週金曜日 柳橋から自宅まで荷物を運んだ。

 

   

その中に、観葉植物が一鉢ある。

名前は青年の樹

すくすく成長する元気な青年のようだから別名。

 

流転の樹でもあります。

日本橋に事務所があった

2007年、金融機関 芝信用金庫の担当者が

私の娘の奨学金、会社預金を横領した。

 

その時、支店長が事務所に持ってきた。

理由は、憶えていないが

繁栄してくださいの趣旨があったのだろ。

水遣りもせず、枯れかけていた。

デザイナー女性が自宅に持ち帰り

お母さんが手入れして再生させた。

2010年1月 日本橋から柳橋事務所に移転した時

青年の樹も移った。

そして、2017年6月16日 船橋にやってきた。

 

本来であれば、幹太くなり、緑に葉はピンと直立して

成長していくはずだが、弊社と同じく成長しない。

それでも、しぶとく生きている。

観葉植物好きの妻が優しく育てくれるでしょう。

横領した芝信用金庫関係者は、懲戒免職

左遷、定年退職していなくなった。

経営幹部は、誰一人謝罪に訪れなかった。

政治、官僚、サラリーマン経営者は

皆、下の者ではなく、下の物のせいにして逃げる。

 

者ではなく、物として扱っているから

取り替えるだけのことだ。