日々徒然なるままに

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エネルギーの違い? その2

2017-07-02 22:49:38 | ものの見方 考え方
こんばんは。
梅雨が明けたのかも、なんぞと昨日はのたもうておりましたが、なんの;。
やはり今日もムシムシも一日でした。
とはいえ、今日蝉の鳴く声を聞きましたよ。
暦では、今日から六日頃までが半夏生(はんげしょう)の日でもあります。
半夏生の花が咲く頃だからとも言われているようですね。
そう思い、歩いてみましたが、このあたりではまだなのか、見かけることはありませんでした。
そんな朝は、こんな感じ。
はっきりしないお天気の始まりでした。

                             

さて、昨日はいわゆる動物性の食べ物と植物性の食べ物は自分達にとり、どう違ってくるのか、ということをどうやらこ難しく考えておった
途中でしたね。
なぜ、あんなに難しく考えるんだ?と今日読み返して、自分でも、もう一回頭を捻りあぐねておるところですけれど;。
ですが、考え出したことですので、もう少し考えてみたいと思います。
退屈なお話かもしれませんが、何卒ご容赦のほどを。

                             

動物性の食べ物、昨日も書きましたようにその代表といえば、なんといっても肉になりますね。
しつこいくらい書いておりますけれど。
肉が好き、という人は元気な方が多いですね、当然のような話ですが。
肉の持つパワーそのものが形を変えても、その人にも元の元気を与えてくれているのかもしれないとも考えます。
此処はしかし、牛は元来草食性の動物なので元のパワーというならば、いくら身体が大きくても大人しいものになりそうですけれど、実のところは
正反対のように、元気モリモリとなるように感じます。
そこがどうしてなのか、なのですけれど。
自分達が口にする時点では、既に「肉」という形態に変わっているからなのでしょうか。
ここの部分は、もう少し考えないと自分にもよくわかりません、申し訳ありません;。
ただ、自分自身は、普段は牛肉はほとんど口にしません。
菜食だから、というのではなく、ただ単にあまり好きではない、それだけの理由です。
肉として食べるのは、豚であったり鶏であったり、むしろ魚の方だと思います。
ですが、仕事でものすごく体力を消耗した時などは、牛肉でないと身体が間に合わないような時も、以前はありました。
やはり手っ取り早くパワーをもらえる、そんな感じがするのは否めないと感じております。
それほど、やはり肉というものが持つ波動は、自分達により近いからといえるのかも、とも感じます。


片や植物、口に運ぶと考えると野菜ということになりますが、野菜が好きという人は、肉が好きという人に比べると大人しいという印象を持ちます。
穏やかという表現でも良いのかと思います。
実際にベジタリアンといわれる人々を思い浮かべると、そのようにも思えます。
物静かとも思えます。

出雲大社にて大きなお祭を致す前には、殊に宮司である国造は潔斎と申しまして、その祭の一週間ほど前から動物性の食べ物は一切口にせず、
海水を汲んできて、その海水で炊いた野菜とご飯しか口にしないといわれます(ご飯は普通に炊きます、他にもしてならないとされることはありま
すが、この度は食べ物のみについて言及させて頂きます)
こうすることで、穢れを取り除き、清浄な心持で祭に臨む為とされておるようです。

このように考えると、動物性のものを口にしないということは、その性質上からしても気持ちがざわつかない、落ち着いているともいえるので
しょうか。
完全な菜食主義ではない自分には、そこのところはしかとはわかりかねます。
ただ、あまり肉を口にしないということは、やはりその分だけエネルギーを多く取り入れているわけではないので、元気一杯といえない代わりに
静かであるともいえるのかなとも思いますけれど。

                                 

しかし、これら二つは、どこまでもそのように考えただけであり、事実はそれだけではないのかもしれません。
ただ、先にも申したように、肉など動物性のものは自分達に近い分、そのもつ波動も似ているのではと思います。
植物は、その生育段階からして、自身の身体を作るのに、まるで無から有を作り出すかのごとく、その波動も細やかで繊細な部分が多いのでは、
とも思います。
もし、そのように植物が持つ波動が細やかであるならば、それを取り入れる人間の方もそのようになるのでは、と考えたりします。
先に、国造は野菜と穀類しか口にせず祭に臨むと書かせて頂きましたが、古から人間は植物のみを摂取することで、自分達の感じる域よりも、
より高い域での、精妙な部分を感じ取ろうとしていたのではないのか、そのようにも思います。

そう思うと、濃い部分を感じとりながら生活しようとするなら、動物性のものを多く取り入れること、言い方を変えれば元気にモリモリと過ごし
たい、地に足つけておきたいと思うなら、そのようにすることなのではと考えます。
逆に精妙な部分を感じ取ってみたいと思うのならば、植物を主に摂取する生活をする方が、よりその域へ近づけるのかもしれない、そう思います。

ですけれど、やはり生きていく上ではバランスが大事、そう感じます。
どちらかに傾けば、どうしても考え方もそのように偏ってしまうようにも思います。
肉だけ食べて荒々しいばかりでもいけませんし、植物性のものばかりだけでも、どこかで変調をきたすかもしれません。
中庸を保ちながらの食生活を送ること、それが何よりなことなのでは、と思いました。

                               
                    

書いてみると、なんのことはない、結論、そこですか?な話になってしまいましたけれど;。
もう少し続けようかとも思っておりますが、これは回を改めて、もう一度よく練り直してこのことに挑んでみようと思います。


終わってみると、やれやれな今日のブログ、お付き合い頂きました皆様、有難うございました。
感謝申し上げます。


   ご相談等、承っております。
 
  kimikimiblue13@gmail.com

此方の方へお知らせ頂ければと存じます。
     
コメント
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