こんばんは。
相変わらず、湿度の高い蒸す感じの暑さです。
カラッと暑いのはまだ楽な気がしますが、まとわりつくような暑さは、なんともやれません。
昨夜も寝苦しく、それでもこのあたりは夜は窓を開けているとかなり涼しいので、そうして寝ておりました。
明け方、ザーッという雨の音で目が覚め、そのおかげで朝のうちは、いつもよりは随分楽に過ごせました。
こうして毎日此処へ貼り付けておるこの写真、もうずっと曇り空ですね。
そんな日でしたが、夕方近くになるとだんだんと雲も少なくなり、青空も覗いて来るようになりました。
申したようにまだ湿度がかなり高いので、すっきりとした空にはなりませんけれど、それでもここ何日かと比べても随分と違います。
そんな空を眺めながらいつも思うのは、この空をこうして見ている人ってどれくらいいるんだろうな、ということです。
何かに捉われていたりすると、自然の持つ大きさに全く気づくことなく過ごしていることも多いのではないのか、そう思ったりします。
捉われると言っても仕事や勉強等に没頭しているのであれば、それはそれでその時点での「今」に集中しているのであり、ある意味、少しずれる
のかもしれませんが、そのことに対して夢中になっていると言えるのではと感じます。
ですけれど、何事かに捉われていると、「今」の時点に集中するのではなく、過ぎてしまっていること,或いはまだ来てもいない事に捉われるのではと思います。
捉われるという言い方を変えれば、心がそのことに奪われてしまい、そこから考えが抜け出せないでいるということかな、とも思います。
何を抽象的なことを言ってるんだ、という感じですけれど、最近の話題になっておられる方の言動をなんとなく拝見していると、どうにもこの「捉われる」ことに捉われてしまっているようで、どうなんだろうな、とつい老婆心ながら感じてしまったからです。
いらぬお世話ではありますけれど、出しておられるエネルギーがどうにも負の感じを受けてしまい、ご本人自身、今は大丈夫でも、だんだんとそのエネルギーにより、ご自身の方が下向きのスパイラルに向かってしまわれそうに思います。
元々お元気な方ですし、パワフルな方なのですから上向きの気流に乗れば、その風に巻き込みながらも周りにいる人も一緒に上昇していけるだけの力はおありなのだと感じます。
ですが、これが下向きのベクトルに転じるとその持てる力が強いだけに、かなりのマイナス部分をも引き込んで余計に重く沈んでいってしまいそうです。
こう考えることすら止めた法がよいのですけれど、周りに与えておられる影響が強いだけに、そのエネルギーの使い方、もって行きようを別の次元で、また更には先にも申したように上向きにしていかれれば、全く違う側面で輝かれるであろうに、と考えてしまいます。
こんなことを書いておる自分自身、ある意味、自分に没頭するものが欠けておるのかもしれません。
また差し迫った危険に直面していないからかもしれません。
自分自身が、いつもこの「今」に直面しつつも、その「今」を果たしてどのくらい感じて生きているのだろうか、とも思います。
過ぎてきたことに、つい気持ちを動かされてそのことばかりを悔やんでみたり、未だになっていないことに先回りして心配してみたり、それを繰り返しているようにも感じます。
「今」を感じ、「今」そのものを感じること、それを大事にしていければな、と思います。
そのように思うと、冒頭で述べたように、頭の上に広がる空を見上げては、その今を感じさせて頂いているようにも感じます。
この空を見させて頂ける事にこそ感謝したいと思います。
やれやれ、毎回、どうしてこんなこと書くかねぇ、と思いつつも書かせて頂くことも多いのですけれど;。
どうにも今回は失礼致しました。
自分はやはり空を見上げるのが好きだ、そういうことが言いたかったんだ、という結論のような気がしております。
呆れるような今日のブログでございました。
いつにもまして、こんなブログへのお付き合い、まことに有難うございました。
ご相談等、承っております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方の方へお知らせ頂ければと存じます。
相変わらず、湿度の高い蒸す感じの暑さです。
カラッと暑いのはまだ楽な気がしますが、まとわりつくような暑さは、なんともやれません。
昨夜も寝苦しく、それでもこのあたりは夜は窓を開けているとかなり涼しいので、そうして寝ておりました。
明け方、ザーッという雨の音で目が覚め、そのおかげで朝のうちは、いつもよりは随分楽に過ごせました。
こうして毎日此処へ貼り付けておるこの写真、もうずっと曇り空ですね。
そんな日でしたが、夕方近くになるとだんだんと雲も少なくなり、青空も覗いて来るようになりました。
申したようにまだ湿度がかなり高いので、すっきりとした空にはなりませんけれど、それでもここ何日かと比べても随分と違います。
そんな空を眺めながらいつも思うのは、この空をこうして見ている人ってどれくらいいるんだろうな、ということです。
何かに捉われていたりすると、自然の持つ大きさに全く気づくことなく過ごしていることも多いのではないのか、そう思ったりします。
捉われると言っても仕事や勉強等に没頭しているのであれば、それはそれでその時点での「今」に集中しているのであり、ある意味、少しずれる
のかもしれませんが、そのことに対して夢中になっていると言えるのではと感じます。
ですけれど、何事かに捉われていると、「今」の時点に集中するのではなく、過ぎてしまっていること,或いはまだ来てもいない事に捉われるのではと思います。
捉われるという言い方を変えれば、心がそのことに奪われてしまい、そこから考えが抜け出せないでいるということかな、とも思います。
何を抽象的なことを言ってるんだ、という感じですけれど、最近の話題になっておられる方の言動をなんとなく拝見していると、どうにもこの「捉われる」ことに捉われてしまっているようで、どうなんだろうな、とつい老婆心ながら感じてしまったからです。
いらぬお世話ではありますけれど、出しておられるエネルギーがどうにも負の感じを受けてしまい、ご本人自身、今は大丈夫でも、だんだんとそのエネルギーにより、ご自身の方が下向きのスパイラルに向かってしまわれそうに思います。
元々お元気な方ですし、パワフルな方なのですから上向きの気流に乗れば、その風に巻き込みながらも周りにいる人も一緒に上昇していけるだけの力はおありなのだと感じます。
ですが、これが下向きのベクトルに転じるとその持てる力が強いだけに、かなりのマイナス部分をも引き込んで余計に重く沈んでいってしまいそうです。
こう考えることすら止めた法がよいのですけれど、周りに与えておられる影響が強いだけに、そのエネルギーの使い方、もって行きようを別の次元で、また更には先にも申したように上向きにしていかれれば、全く違う側面で輝かれるであろうに、と考えてしまいます。
こんなことを書いておる自分自身、ある意味、自分に没頭するものが欠けておるのかもしれません。
また差し迫った危険に直面していないからかもしれません。
自分自身が、いつもこの「今」に直面しつつも、その「今」を果たしてどのくらい感じて生きているのだろうか、とも思います。
過ぎてきたことに、つい気持ちを動かされてそのことばかりを悔やんでみたり、未だになっていないことに先回りして心配してみたり、それを繰り返しているようにも感じます。
「今」を感じ、「今」そのものを感じること、それを大事にしていければな、と思います。
そのように思うと、冒頭で述べたように、頭の上に広がる空を見上げては、その今を感じさせて頂いているようにも感じます。
この空を見させて頂ける事にこそ感謝したいと思います。
やれやれ、毎回、どうしてこんなこと書くかねぇ、と思いつつも書かせて頂くことも多いのですけれど;。
どうにも今回は失礼致しました。
自分はやはり空を見上げるのが好きだ、そういうことが言いたかったんだ、という結論のような気がしております。
呆れるような今日のブログでございました。
いつにもまして、こんなブログへのお付き合い、まことに有難うございました。
ご相談等、承っております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方の方へお知らせ頂ければと存じます。