こんばんは。
今日は一時期降ったようですが、夕方にはあがったみたいですね。
この雨、この地域は今回それほどひどくはありませんでしたけれど、未だに九州では猛威をふるっておるようで心配になります。
昨年、熊本が地震で大きな被害を受け、ともすれば地盤が緩いところもあろうかと思います。
この雨で、そのようなところが余計に被害が大きくなっておるのではとどうしても考えてしまいます。
以前にもこちらで書かせて頂きましたが、三年前のあの豪雨災害は自分自身、どうにもトラウマのようになっており、今回災害のあった地域の方々が
そのようになられねばよいけれど、と思うばかりです。
この先、自分に何が出来るのか、出来ることはほんの小さなことかもしれませんが、せめてこれ以上酷くならないよう、祈らせて頂くばかりです。
そんな日の朝は、こんな感じ。
やはりお日様は見えませんでした。
熊本と書きましたが、大分の日田というあたりは今回甚大な被害が出ておるようで、ニュースの映像を見るにつけ思わずこちらの顔がしかめっ面に
なるほどです。
実はその日田に名前も存じないのですけれど、少しだけご縁というほどでもないのですが知った方がおられ、その安否が気遣われます。
息子の大学の卒業式の日、自分は車で大学まで行きました。
その折に車を駐車場へ停めて会場となる講堂まで歩いたのですが、やはり同じように歩いてお越しになる方が何人かおられました。
自分自身、大学へは図書館を利用させて頂いていたりしましたので、大体どのような経路かはわかっているつもりでしたが、その時の駐車場は
いつもの所とは反対側に当たる場所にあり、そこからの会場への行き方はよくわからずに歩いておりました。
そのような時に、どちらからともなくご一緒する方となんとなく話しながら歩いていたのでした。
どちらからお越しなのですか、と恐らく自分のことですので無遠慮にもずけずけと伺っていたのだろうと思います。
聞けば、大分の日田からおみえになったとか。
これもまた厚かましくも、どちらの学部をご卒業に?と尋ねると、どうやら息子と同じ学部の、しかも院生であられる方でした。
お嬢さんで一人暮らしをなさっておられたとの事ですが、途中少し体調を崩した時もあられたとかで、今日このように無事卒業出来ることになり
親子共々嬉しくて、今日は式が終わればこのまま家まで連れて帰る予定です、と晴れやかなお顔をして式場へ向かわれておりました。
話といいましてもその程度のことで、お名前も存じ上げず、ただ日田とだけ聞いておったのでした。
学部が一緒であるならば、式の後、もしかするともう一度同じ校舎辺りでお会い出来ないかしら、と自分ひとりがどうしてだか淡い期待を持って
おりましたが、式が終わればそれどころではなく、息子やその友人達の写真を撮ってあげるただのオバサンになっておりました。
これまでにも時折、あの後あの母子さん方は無事にお帰りになられただろうか、今頃は元気でおられるだろうか、と一人勝手に物思いに耽って
おったりもしました。
ですけれど、当然それほど頻繁に思い出すわけではなく、卒業後二年ほどが過ぎておりました。
今回、まさかこのような災害がその日田で起ころうとは思いもせず、その地名を聞いて急にあの卒業式の日のお母様を思い起こしたのでした。
書きましたように、安否を問おうにもお名前もわからず、ましてや住所も存じません。
息子に尋ねれば案外と名簿から捜し出してくれるかもしれませんが、それもわかるかどうか。
なんとか無事でおられてほしい、そう願い祈る思いばかりです。
明日に掛けても、また九州辺りは猛烈な雨が予想されておるようです。
どうかこれ以上、酷い災害が起こりませんよう、本当にそう祈念致すものです。
いつにもましてまたもや感情移入したようなブログとなりました、申し訳ございません。
それでも、多くの方がそのように思いを向けるだけでも違ってくるのではと考えております。
今日もこのブログへのお付き合い、誠に有難うございました。
感謝申し上げます。
今日は一時期降ったようですが、夕方にはあがったみたいですね。
この雨、この地域は今回それほどひどくはありませんでしたけれど、未だに九州では猛威をふるっておるようで心配になります。
昨年、熊本が地震で大きな被害を受け、ともすれば地盤が緩いところもあろうかと思います。
この雨で、そのようなところが余計に被害が大きくなっておるのではとどうしても考えてしまいます。
以前にもこちらで書かせて頂きましたが、三年前のあの豪雨災害は自分自身、どうにもトラウマのようになっており、今回災害のあった地域の方々が
そのようになられねばよいけれど、と思うばかりです。
この先、自分に何が出来るのか、出来ることはほんの小さなことかもしれませんが、せめてこれ以上酷くならないよう、祈らせて頂くばかりです。
そんな日の朝は、こんな感じ。
やはりお日様は見えませんでした。
熊本と書きましたが、大分の日田というあたりは今回甚大な被害が出ておるようで、ニュースの映像を見るにつけ思わずこちらの顔がしかめっ面に
なるほどです。
実はその日田に名前も存じないのですけれど、少しだけご縁というほどでもないのですが知った方がおられ、その安否が気遣われます。
息子の大学の卒業式の日、自分は車で大学まで行きました。
その折に車を駐車場へ停めて会場となる講堂まで歩いたのですが、やはり同じように歩いてお越しになる方が何人かおられました。
自分自身、大学へは図書館を利用させて頂いていたりしましたので、大体どのような経路かはわかっているつもりでしたが、その時の駐車場は
いつもの所とは反対側に当たる場所にあり、そこからの会場への行き方はよくわからずに歩いておりました。
そのような時に、どちらからともなくご一緒する方となんとなく話しながら歩いていたのでした。
どちらからお越しなのですか、と恐らく自分のことですので無遠慮にもずけずけと伺っていたのだろうと思います。
聞けば、大分の日田からおみえになったとか。
これもまた厚かましくも、どちらの学部をご卒業に?と尋ねると、どうやら息子と同じ学部の、しかも院生であられる方でした。
お嬢さんで一人暮らしをなさっておられたとの事ですが、途中少し体調を崩した時もあられたとかで、今日このように無事卒業出来ることになり
親子共々嬉しくて、今日は式が終わればこのまま家まで連れて帰る予定です、と晴れやかなお顔をして式場へ向かわれておりました。
話といいましてもその程度のことで、お名前も存じ上げず、ただ日田とだけ聞いておったのでした。
学部が一緒であるならば、式の後、もしかするともう一度同じ校舎辺りでお会い出来ないかしら、と自分ひとりがどうしてだか淡い期待を持って
おりましたが、式が終わればそれどころではなく、息子やその友人達の写真を撮ってあげるただのオバサンになっておりました。
これまでにも時折、あの後あの母子さん方は無事にお帰りになられただろうか、今頃は元気でおられるだろうか、と一人勝手に物思いに耽って
おったりもしました。
ですけれど、当然それほど頻繁に思い出すわけではなく、卒業後二年ほどが過ぎておりました。
今回、まさかこのような災害がその日田で起ころうとは思いもせず、その地名を聞いて急にあの卒業式の日のお母様を思い起こしたのでした。
書きましたように、安否を問おうにもお名前もわからず、ましてや住所も存じません。
息子に尋ねれば案外と名簿から捜し出してくれるかもしれませんが、それもわかるかどうか。
なんとか無事でおられてほしい、そう願い祈る思いばかりです。
明日に掛けても、また九州辺りは猛烈な雨が予想されておるようです。
どうかこれ以上、酷い災害が起こりませんよう、本当にそう祈念致すものです。
いつにもましてまたもや感情移入したようなブログとなりました、申し訳ございません。
それでも、多くの方がそのように思いを向けるだけでも違ってくるのではと考えております。
今日もこのブログへのお付き合い、誠に有難うございました。
感謝申し上げます。