こんばんは。
寝苦しい晩でしたが、明けてもやはり暑い一日でした。
日中、いきなり雷がガラゴロと鳴り出して、すわっ雷雨か?!と期待したのですけれど、多少はポツパラ来たものの殆ど降る事もなく、むしろ蒸し暑さ
が増したような、そんな日となりました。
日が落ちて今の時間、また雲が出てきたようですが、さてこれで降ってくれるかどうか。
それでも朝は暑い始まりを思わせる、こんなお日様でしたよ。
世の中の仕事って、物を作っていく方面と、物ではない事に携わる方向と大まかにいえば、この二通りになるのではと考えます。
大概は、皆自分で何がしかに従事して、自分の求めるものを手に入れるがために仕事というものをしていると思います。
まずその一番が、なんといっても食べること、殆どの方がここ抜きにはできない部分だと思います。
自給自足だとしても、まず自分で畑を耕すなりして、物を作らねば自分の口には入りませんね。
食べることが出来て初めて、次のことを考えられるようになると思います。
ただ、ふと思うのですけれど、この「食べる」という行為そのものが自分たち自身がしなくてもよいとなると、どうなのでしょうか。
世界の大半が、この「食」そのものに大きな力を入れていると思うと、その部分がすっぽり抜けてしまうとすれば、これまでそこに注がれていたエネ
ルギーの大半、相当量なものが不必要となるということで、そう考えると一体どれほどの仕事量が減るのだろうかと思ってしまいます。
とはいえ、「食」を考えると、まず先ほど挙げたように、最初は種を植えることから始まるのではと思います。
家畜を育てるとしても、その家畜にも餌を与えなくてはいけません、そうなるとその餌、飼料そのものもまずは育てるところから始まります。
その飼料となるものは、まず種であり、これも今の社会の大きな産業の一部となっているようです(この部分は、ご存じのように結構色々あるようです
ので今回は割愛致します)
その次に、その育った飼料となる穀物等を刈り取る機械も必要となります。
ここで、餌そのものの周辺にもそれに付随する機械を作るという、一つの仕事、産業が必要になるのだと思います。
次に、その飼料を運ばねばなりませんね、そうするとそれを運搬するもの、車のようなものが必要となります。
これもまた、車という機械が必要であり、それを作る産業も発展してきているのは周知の事実です。
ですけれど、ただ作っても人に知られなければ、その餌も無駄になることもあるでしょうし、そうするとそこでこれを売るために宣伝もしなければなら
なくなります。
となると、ここでその飼料なりを売り込むセールスマンや、あるいは商業的に宣伝をするのに、何がしかの媒体を通じてコマーシャルをせねばならず、
その部分を担う人たちの手も借りねばなりません。
そうして、その飼料がやっと先に申した家畜のところに届いて、初めて彼らもその飼料、餌を口にすることが出来るのでは、と思います。
ここまではしかし、まだ自分達の食料となる前の段階ですので、本来はそれ以上にまだ様々な多岐に渡る事柄が複雑に入り組んでくるものと思います。
と、ここまでは、自分のオバカな頭を捻りながら、なんとなくこんなもんかなぁ、と考えてみたものです。
本来はこんなこととは全く違うことかもしれません、いえ違うと思います。
ですけれど、自分たちの口に入る食べ物一つ取ってみても、自分の元へ届くまでには相当な人々の仕事がその間には入り込んでおり、そのうちの一つ
が欠けても、決して上手くは運ばないだろうなと思えます。
食に限らず、何事に於いても、今目の前でこうして自分が文字を打って使っているパソコンにしても、その部品一つ欠けても当然使えないわけ
ですし、その部品一つを作る原材料を考えると、これはもうどこから考え始めたらよいのか検討も尽きません。
そのようにして考えると、世の中の、あるいはこの地球のどこか知らない人であったとしても、もしかすると今自分が使っている何がしかの製品やら
または食べ物は、その人たちがその原材料調達の行程の一部なり、製造過程なり、或いは生産そのものに携わっているのかもしれません。
地球の裏側のブラジルで採れたコーヒーを飲んでいたり、或いは、これは少し突飛な例かもしれませんけれど女性の貴女がしているネックレスのそのダイアモンドは、元はアフリカの鉱山で露天掘りをされたものが、今その胸に光っているのかもしれません。
自分の乗っている車でも、その一つ一つの部品、例えばネジ一個を取ってみても、元は世界のどこかで採れた石油から作られた製品かもしれません。
こんな風にして考えると、全く知らない人なのに、どこかで誰かが何かに携わっているように感じます。
全く関係ないようなのに、何かが関連している。
そう思うと、見知らぬ誰かが自分に何らかの形で関係しているようで、少し不思議な思いがすると共に、知らない自分に関連してくれて、どうも有り難う、とそんな風に思えてきたりもします。
本当は、全然別のことを書かせて頂こうと考えていたのですが、書いていくうちにこんな感じになってしまいました;。
ですけれど、知らないようでもどこかで誰かが、自分に関係してくれているのかもしれない、そう思えることはとても素敵な事に感じられた、今日の
ブログとなりました。
こんなブログへのお付き合い、本日もありがとうございました。
ご相談等、承っております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方の方へお知らせ頂ければと存じます。
寝苦しい晩でしたが、明けてもやはり暑い一日でした。
日中、いきなり雷がガラゴロと鳴り出して、すわっ雷雨か?!と期待したのですけれど、多少はポツパラ来たものの殆ど降る事もなく、むしろ蒸し暑さ
が増したような、そんな日となりました。
日が落ちて今の時間、また雲が出てきたようですが、さてこれで降ってくれるかどうか。
それでも朝は暑い始まりを思わせる、こんなお日様でしたよ。
世の中の仕事って、物を作っていく方面と、物ではない事に携わる方向と大まかにいえば、この二通りになるのではと考えます。
大概は、皆自分で何がしかに従事して、自分の求めるものを手に入れるがために仕事というものをしていると思います。
まずその一番が、なんといっても食べること、殆どの方がここ抜きにはできない部分だと思います。
自給自足だとしても、まず自分で畑を耕すなりして、物を作らねば自分の口には入りませんね。
食べることが出来て初めて、次のことを考えられるようになると思います。
ただ、ふと思うのですけれど、この「食べる」という行為そのものが自分たち自身がしなくてもよいとなると、どうなのでしょうか。
世界の大半が、この「食」そのものに大きな力を入れていると思うと、その部分がすっぽり抜けてしまうとすれば、これまでそこに注がれていたエネ
ルギーの大半、相当量なものが不必要となるということで、そう考えると一体どれほどの仕事量が減るのだろうかと思ってしまいます。
とはいえ、「食」を考えると、まず先ほど挙げたように、最初は種を植えることから始まるのではと思います。
家畜を育てるとしても、その家畜にも餌を与えなくてはいけません、そうなるとその餌、飼料そのものもまずは育てるところから始まります。
その飼料となるものは、まず種であり、これも今の社会の大きな産業の一部となっているようです(この部分は、ご存じのように結構色々あるようです
ので今回は割愛致します)
その次に、その育った飼料となる穀物等を刈り取る機械も必要となります。
ここで、餌そのものの周辺にもそれに付随する機械を作るという、一つの仕事、産業が必要になるのだと思います。
次に、その飼料を運ばねばなりませんね、そうするとそれを運搬するもの、車のようなものが必要となります。
これもまた、車という機械が必要であり、それを作る産業も発展してきているのは周知の事実です。
ですけれど、ただ作っても人に知られなければ、その餌も無駄になることもあるでしょうし、そうするとそこでこれを売るために宣伝もしなければなら
なくなります。
となると、ここでその飼料なりを売り込むセールスマンや、あるいは商業的に宣伝をするのに、何がしかの媒体を通じてコマーシャルをせねばならず、
その部分を担う人たちの手も借りねばなりません。
そうして、その飼料がやっと先に申した家畜のところに届いて、初めて彼らもその飼料、餌を口にすることが出来るのでは、と思います。
ここまではしかし、まだ自分達の食料となる前の段階ですので、本来はそれ以上にまだ様々な多岐に渡る事柄が複雑に入り組んでくるものと思います。
と、ここまでは、自分のオバカな頭を捻りながら、なんとなくこんなもんかなぁ、と考えてみたものです。
本来はこんなこととは全く違うことかもしれません、いえ違うと思います。
ですけれど、自分たちの口に入る食べ物一つ取ってみても、自分の元へ届くまでには相当な人々の仕事がその間には入り込んでおり、そのうちの一つ
が欠けても、決して上手くは運ばないだろうなと思えます。
食に限らず、何事に於いても、今目の前でこうして自分が文字を打って使っているパソコンにしても、その部品一つ欠けても当然使えないわけ
ですし、その部品一つを作る原材料を考えると、これはもうどこから考え始めたらよいのか検討も尽きません。
そのようにして考えると、世の中の、あるいはこの地球のどこか知らない人であったとしても、もしかすると今自分が使っている何がしかの製品やら
または食べ物は、その人たちがその原材料調達の行程の一部なり、製造過程なり、或いは生産そのものに携わっているのかもしれません。
地球の裏側のブラジルで採れたコーヒーを飲んでいたり、或いは、これは少し突飛な例かもしれませんけれど女性の貴女がしているネックレスのそのダイアモンドは、元はアフリカの鉱山で露天掘りをされたものが、今その胸に光っているのかもしれません。
自分の乗っている車でも、その一つ一つの部品、例えばネジ一個を取ってみても、元は世界のどこかで採れた石油から作られた製品かもしれません。
こんな風にして考えると、全く知らない人なのに、どこかで誰かが何かに携わっているように感じます。
全く関係ないようなのに、何かが関連している。
そう思うと、見知らぬ誰かが自分に何らかの形で関係しているようで、少し不思議な思いがすると共に、知らない自分に関連してくれて、どうも有り難う、とそんな風に思えてきたりもします。
本当は、全然別のことを書かせて頂こうと考えていたのですが、書いていくうちにこんな感じになってしまいました;。
ですけれど、知らないようでもどこかで誰かが、自分に関係してくれているのかもしれない、そう思えることはとても素敵な事に感じられた、今日の
ブログとなりました。
こんなブログへのお付き合い、本日もありがとうございました。
ご相談等、承っております。
kimikimiblue13@gmail.com
此方の方へお知らせ頂ければと存じます。