こんばんは。
今朝はこれまでに比べるとそこまで冷え込んだようには感じられませんでした。
昨夜が曇っていたせいかもしれません。
日中は予報に反してお天気も良く気温も上がったようで外に居ると暑いくらいでした。
今朝も祝詞奏上させて頂きました。
今日はスクナヒコナノミコトの香りをつけて致しました。
この香り、実は2種類作成しておりまして、不死鳥復活というメモリオイルを入れたものと入れないもの、それぞれを作っております。
違いは香りですが(当たり前;)色合いも入れた方は赤みがかったもの、入れないものは緑色のような感じで全く見た目が違います。
入れた方は何処かしら重厚感があり、無い方は爽やかさを感じます。
もしお求めになられたい方がおられましたら、それを基準に選んで頂ければと思います。
(最近全く香りは出ておりませんけども;)
ともあれそのような香りを今回はそれぞれ左と右の袖口へつけてさせて頂きました。
スクナヒコナノミコト
〝 世の中 良きも悪しきもふつふつと湧いておるようじゃの
平らかで静かであるのが良いと思うか?
もし はなからそうなら
何も変わらぬであろう?
何も手を加えずとも 変わらぬ世界が続くだけ
変わらぬだけに それ以上変化も無い
分かるかの?
ごみごみごたごたとあるは
次への階を登ろうと切磋琢磨するからこそ
それ忘れるな
それあってこそ 次へと進めるのぞ
大きに沸き返り 次へのより良き足掛かりと致せ
光は必ずあるのじゃから 〟
このように言われました。
言わずもがな、確かに今世の中は色々な場所で様々なことが立て続けに起こっています。
それはいつに限らずではありますが、今一番には目を離せない海の向こうの情勢も含まれますね。
果たしてどうなるのか、誰もがさながら固唾をのむ思いで見守っているようですけれど。
それもこれも今後の世界がどうなるか皆が関心を持っているからに他ならず、それは結局は自分達にもたとえ間接的と思えても
影響があるからだろうと感じます。
だからと言って何もなく平穏なまま過ごしておれば良いのかといえば、これも上で述べられているように何もないというのは
変化も無いことであると言われます。
風も吹かず動きも無いのならば、面白みも、また変化と共にあろう進歩もないことにないことになるのでしょう。
変わるために変わって行くこと、それが進歩になるということでしょうか。
なんだか言葉の綾のようになってしまいましたが、そういうことかと感じました。
大國主大神と共に国造りを行ったとされる神様、一説には光り輝く玉のようにして現れたとも聞きます。
そのような事から必ず光はあるのだよと言われたのかもしれません。
光は必ずある、そう信じて進んで参れればと思います。
(昼間の空 雲がない場所はこんなブルーでした)
お待ちかね?出雲の話の続きに参りましょう。
いい加減終わりたいんですけどね;。
御本殿を出ますと今回此処へ参るのは初めてというお嫁ちゃんと共にその裏手を歩いてみることにしました。
御本殿に向かって右手側には宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)をお祀りしております釜社(かまのやしろ)等があります。
その手前には十九社(じゅうくしゃ)と称する、神在祭の折にお越しになられた八百万の神々が宿泊されるという御宿所、今で
いうホテルがあります。
よく此方で手を合わせておられる方がいらっしゃいますが普段、つまりは神在祭以外には此処へはどの神様もお越しになられて
おりませんのでお間違えになりませんように。
それらのお社を巡りながら御本殿の真裏には素鵞社(そがのやしろ)、大國主大神の親神様とされておりますお社があります。
神話の中では大國主大神に無理難題を突き付けて妃となる須勢理比売命(すせりひめのみこと)との仲を裂こうとした義父に当たる
神様でもありますが、実際には直の父神ではなく何代か後の神様の系譜となっておるようです。
ともあれ、素鵞社を奥手に見ながらも御本殿のすぐ裏手には此方にも様々な表情、ポーズをしたウサギの像が設けてあります。
実はこのウサギ達は国造(こくそう)をはじめ、出雲大社にお仕えする千家家(せんげけ)の方々の名前をその後ろ側に入れて
あります。
それぞれに名前がありますが、読み方が少し変わっておりますのでなかなかそのまま素直には読めないかもしれません。
それでもお越しになられましたらば、台座の後ろに回って各々のお名前を確かめて頂ければ、それなりに面白いかと思いますよ。
そんなことをしながら、(此処でお嫁ちゃんと息子はウサギさんらと共に写真撮ってましたけどね 笑)そのまま境内をぐるりと
廻りました。
素鵞社(そがのやしろ)
(御本殿の真裏から)
(不思議といつもはお賽銭のようにして小銭が置いてあるのですが、今回は今回は何故かしら木の実?とかが
お供えしてありました 笑)
(御本殿西側より この場所からが本当に大神様と対面出来るとされる場所
大神様自身が西側を向いておられることからそう言われております)
こうして大社の中を一通り歩き、最後は境外社とされております都稲荷社へ参りました。
此処も大社へ参れば必ずというほど訪うお社でもあります。
御祭神は京都の伏見稲荷大社より勧請致しました宇迦之魂神となっておられます。
境内には釜社として同様に宇迦之魂神をお祀りしておられますが、どのような経緯で此方へ改めてこうしてお社を設けておられる
のかまでは存じません。
ともあれ都と名がついておりますのは先に記しましたように京都から神様をお迎えしたからだとされておるようです。
(とても小さなお社ですが心落ち着く場所です)
此処で大社の敷地から離れ、2キロ程西に位置する稲佐の浜へと車で向かいました。
で、すみません、此処から先はまた続きとさせて下さいませ。
もう途切れ途切れで本っ当にすみませんです;。
もう少し出雲の話は続きを書こうと思っていたのですが、なぜかしら昨日今日の疲れ(大したことはしていないくせして;)が
出ているようで、力尽きてしまいました;。(大げさな 笑)
明日位には終結させたいと思っております。(一応、そのつもり;)
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今朝はこれまでに比べるとそこまで冷え込んだようには感じられませんでした。
昨夜が曇っていたせいかもしれません。
日中は予報に反してお天気も良く気温も上がったようで外に居ると暑いくらいでした。
今朝も祝詞奏上させて頂きました。
今日はスクナヒコナノミコトの香りをつけて致しました。
この香り、実は2種類作成しておりまして、不死鳥復活というメモリオイルを入れたものと入れないもの、それぞれを作っております。
違いは香りですが(当たり前;)色合いも入れた方は赤みがかったもの、入れないものは緑色のような感じで全く見た目が違います。
入れた方は何処かしら重厚感があり、無い方は爽やかさを感じます。
もしお求めになられたい方がおられましたら、それを基準に選んで頂ければと思います。
(最近全く香りは出ておりませんけども;)
ともあれそのような香りを今回はそれぞれ左と右の袖口へつけてさせて頂きました。
スクナヒコナノミコト
〝 世の中 良きも悪しきもふつふつと湧いておるようじゃの
平らかで静かであるのが良いと思うか?
もし はなからそうなら
何も変わらぬであろう?
何も手を加えずとも 変わらぬ世界が続くだけ
変わらぬだけに それ以上変化も無い
分かるかの?
ごみごみごたごたとあるは
次への階を登ろうと切磋琢磨するからこそ
それ忘れるな
それあってこそ 次へと進めるのぞ
大きに沸き返り 次へのより良き足掛かりと致せ
光は必ずあるのじゃから 〟
このように言われました。
言わずもがな、確かに今世の中は色々な場所で様々なことが立て続けに起こっています。
それはいつに限らずではありますが、今一番には目を離せない海の向こうの情勢も含まれますね。
果たしてどうなるのか、誰もがさながら固唾をのむ思いで見守っているようですけれど。
それもこれも今後の世界がどうなるか皆が関心を持っているからに他ならず、それは結局は自分達にもたとえ間接的と思えても
影響があるからだろうと感じます。
だからと言って何もなく平穏なまま過ごしておれば良いのかといえば、これも上で述べられているように何もないというのは
変化も無いことであると言われます。
風も吹かず動きも無いのならば、面白みも、また変化と共にあろう進歩もないことにないことになるのでしょう。
変わるために変わって行くこと、それが進歩になるということでしょうか。
なんだか言葉の綾のようになってしまいましたが、そういうことかと感じました。
大國主大神と共に国造りを行ったとされる神様、一説には光り輝く玉のようにして現れたとも聞きます。
そのような事から必ず光はあるのだよと言われたのかもしれません。
光は必ずある、そう信じて進んで参れればと思います。
(昼間の空 雲がない場所はこんなブルーでした)
お待ちかね?出雲の話の続きに参りましょう。
いい加減終わりたいんですけどね;。
御本殿を出ますと今回此処へ参るのは初めてというお嫁ちゃんと共にその裏手を歩いてみることにしました。
御本殿に向かって右手側には宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)をお祀りしております釜社(かまのやしろ)等があります。
その手前には十九社(じゅうくしゃ)と称する、神在祭の折にお越しになられた八百万の神々が宿泊されるという御宿所、今で
いうホテルがあります。
よく此方で手を合わせておられる方がいらっしゃいますが普段、つまりは神在祭以外には此処へはどの神様もお越しになられて
おりませんのでお間違えになりませんように。
それらのお社を巡りながら御本殿の真裏には素鵞社(そがのやしろ)、大國主大神の親神様とされておりますお社があります。
神話の中では大國主大神に無理難題を突き付けて妃となる須勢理比売命(すせりひめのみこと)との仲を裂こうとした義父に当たる
神様でもありますが、実際には直の父神ではなく何代か後の神様の系譜となっておるようです。
ともあれ、素鵞社を奥手に見ながらも御本殿のすぐ裏手には此方にも様々な表情、ポーズをしたウサギの像が設けてあります。
実はこのウサギ達は国造(こくそう)をはじめ、出雲大社にお仕えする千家家(せんげけ)の方々の名前をその後ろ側に入れて
あります。
それぞれに名前がありますが、読み方が少し変わっておりますのでなかなかそのまま素直には読めないかもしれません。
それでもお越しになられましたらば、台座の後ろに回って各々のお名前を確かめて頂ければ、それなりに面白いかと思いますよ。
そんなことをしながら、(此処でお嫁ちゃんと息子はウサギさんらと共に写真撮ってましたけどね 笑)そのまま境内をぐるりと
廻りました。
素鵞社(そがのやしろ)
(御本殿の真裏から)
(不思議といつもはお賽銭のようにして小銭が置いてあるのですが、今回は今回は何故かしら木の実?とかが
お供えしてありました 笑)
(御本殿西側より この場所からが本当に大神様と対面出来るとされる場所
大神様自身が西側を向いておられることからそう言われております)
こうして大社の中を一通り歩き、最後は境外社とされております都稲荷社へ参りました。
此処も大社へ参れば必ずというほど訪うお社でもあります。
御祭神は京都の伏見稲荷大社より勧請致しました宇迦之魂神となっておられます。
境内には釜社として同様に宇迦之魂神をお祀りしておられますが、どのような経緯で此方へ改めてこうしてお社を設けておられる
のかまでは存じません。
ともあれ都と名がついておりますのは先に記しましたように京都から神様をお迎えしたからだとされておるようです。
(とても小さなお社ですが心落ち着く場所です)
此処で大社の敷地から離れ、2キロ程西に位置する稲佐の浜へと車で向かいました。
で、すみません、此処から先はまた続きとさせて下さいませ。
もう途切れ途切れで本っ当にすみませんです;。
もう少し出雲の話は続きを書こうと思っていたのですが、なぜかしら昨日今日の疲れ(大したことはしていないくせして;)が
出ているようで、力尽きてしまいました;。(大げさな 笑)
明日位には終結させたいと思っております。(一応、そのつもり;)
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。