こんばんは。
久しぶりで良いお天気に恵まれた一日でした。
全国的に見れば雨のところもあったようですが、台風から温帯低気圧になった後の天候、荒れておらねば良いけれどと思うところです。
(空行く龍に見えた雲)
(久々の眩い朝日)
(アンテナ邪魔ですが;少し彩雲も)
やけに暗い頃から撮っているようですが、それでも最初のは午前5時過ぎのもの。
西日本の端っこ辺りですのでこの時間ならこんな感じですね。
なんでそんなに早いのか?お天気良いとそれだけで嬉しくなるのか?と言われそうですけれど;。(ま、無くはない 笑;)
そうではなく、ちょっと夢を見たからですね。
それもあまり嬉しくない感じのものでして。
夢の中で出雲大社へ信者さんをお連れして参拝したのですが、御本殿の前であなたのところは参るに相応しくないので此方でお引取りを
とかなり年配の何故かしら白衣に袴ではなく三つ揃えのスーツを着た、見た目がこれまたサザエさんのお父さんの波平さんみたいな人に
バッサリと断られたのでした;。(説明長くてすみません;)
え;?なんで?と、何とも心にもやもやしたものを感じながら、お連れした信者さんにも、どうしてなんですかねぇ?と半分訝しみがられ
ながら来た道を引き返すというのものでした。
そんな場面を見た直後に目が覚め、ぼんやりした頭でどうしてなんだ?と考えていた自分がおりました。
夢の中ではどうやら自分の所は神殿設備もままならないからだと言われていたようなのですが、目覚めた後はいやいやいや;ちゃんとあるし
主人の代からそれはきちんとしてるし、おかしいよと思う自分がおりました。
段々頭が冴えてくると、何だ今の夢は?と今度は夢自体を訝しむ自分でした。
そんな夢を見た後でしたので、それ以上二度寝する気になれず(起きなさいよ、そこは;)そのままうつらうつらしながらも起き出した
のでした。
ネコが出入り出来るようにと15センチ程開けている扉の向こうから段々と明け染めていく空が見えますし、しばらく日の光も拝んでおり
ませんでしたので、尚のことこうして写真を立て続けに撮った次第です。
黄金色に輝く日の光はやはりそれだけで神々しく、お力を頂ける思いになるものですね。
どんより鈍色の空続きでしたので余計に有難く感じられた今朝の光景でした。
そんな朝はいつものように祝詞奏上させて頂きましたが、その前に作成しておりました香りがあり、そちらを先にお伝えさせて頂きます。
昨日の時点で出来上がっていたのですが、その折にはお伝えすることが多くありましたので今日に回した次第です。
作成した香りは「菊理媛神」(くくりひめのかみ)の香りです。
どうしてこの神様?というところですけれど。
もう随分以前、20数年前になりますが仕事で石川県の小松辺りへ参らせて頂いた事があります。
この時の詳細な話はまたに譲るとして、その際に広島へ戻る前に此方の地元の神様にご挨拶させて頂こうということになり白山比咩神社
(しらやまひめじんじゃ)さんにご参拝させて頂きました。
折りしも七五三の頃であったのでしょうね、記憶の中ではさほど良いとはいえぬ時雨れた天候にも関わらず、綺麗な着物を着せて貰った
お子さん方と連れ立って晴れやかなお顔をした親御さん方の姿が多くあったのを覚えております。
結構な階段もあったかとも思いますが、それ以上はどうであったか定かではありません。
御祭神であられるこの菊理媛神様にも、どのようなお言葉を賜ったのかそれすら覚えておりません。
ただただ少し肌寒いよなぁ;ということが印象に残った場所でした。
ですからもう殆ど記憶には残っていないというのが正直なところなのですけれど;、少し前から此方へお住まいの方と懇意となり、何故か
しら時折この神様の事がチラチラと頭の隅に入って来るようになりました。
特段その方がこの神様のお話をされるという訳でもないのですが、ご縁が出来たということはどうも神様にもご縁が繋がったのでしょうか?
そこのところは自分では分かりかねることですけれど、何かしら気になりまして、それならばこの神様の香りを作らせて頂こうかと思った
のが今回の作成へと繋がったということになります。
まぁ私めの説明は毎回長ったらしいので申し訳ござらんです;。
とにもかくにもこのようにしてこの神様の香りを世に出させて頂く事となりました。
この神様、どうやらそのお名前が出てくるのは日本書紀の一書にたった一度だけ登場するのみとされております。
ウィキペディアをそのまま丸写しさせて頂きますと(すみませんです;)
『その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに、「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かっ
たからだ」と。
このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生み
ました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」と。
このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。』
どうやらこのような事があったようですね。
黄泉比良坂でご夫婦であられた伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)ですが、妻である伊弉冉尊は最後のご出産で
迦具土神(かぐつちのかみ)をお産みになった際に陰部に火傷を負い、それがもとで亡くなられます。
その事を嘆き悲しみ、死後の世界である黄泉の国まで夫である伊奘諾尊が追いかけてこられ、その最後の場面にて交わされた言葉の前にこの
菊理媛神が一言仰り、そこでお二方は双方ともに別々の世界へ戻って行ったとされるようですね。
けれど良く知る?話としては大岩を挟んで此方とあちらで相当な言葉の応酬があり、互いに分かれたとされるのですけれど。
何が本当で何がそうではない、というよりも多くの諸説があるという風に解釈する方が良いのだと感じます。
いずれにしましてもこの菊理媛神という神様はこの二柱の神様のご縁を今ひとたび取り持ったということで縁結びの神様としても崇められて
いるとも聞きます。
その他にも多くの役割があるとされる神様のようですね。
縁結びという点では大國主大神は当然そうですけれど、またこの菊理媛神もその役目を担っておられるようですね。
媛というからには女神であられるのでしょうけれど、今日お伺いした折にはどこかしらこれまでの女神とは違う雰囲気を感じた神様でも
ありました。
(菊理媛神の香り)
菊理媛神
“ あが名 くくり
それは大神に仕えるものか ふむ良かろう
それ 我のもとへ 参るか? うむ良かろう
あが務め 縁を結ぶことは 断つことと同じぞ
もとよりの縁なければ 結べもせず 切れもせず
そ 忘るるな ”
ちょっと怖い感じ(畏怖の念という感じか?)
うかがった後 少しぞくっとする感じの神様?
この神様、黄泉比良坂(よもつひらさか)にお出ましになったといわれるだけあってか、何とはなしに華やかなイメージを覚える女神とは
一種違う独特の雰囲気を湛えた神のように感じられました。
上記で記したように縁結びの神であるとされておりますが、その一方では此方の現世(うつしよ)の伊奘諾尊と幽冥(かくりよ)にある
伊弉冉尊の間を取り持ったことから巫女ではないかとされているとも聞きます。
そう考えると、なるほど確かにそのようにも思える感じがありますね。
言葉の中で「それ」と言われておりますのは、私に対しての言葉であり、そなた、おまえと言い換えられるものです。
最後の「そ」はそれという意味のようで、そのことを忘れるなと言われたようでした。
幾度も申すようですが、西洋でいうところのガイアやアバンダンティアという女神は言葉だけをうかがったとしてもどこかしら華やかさが
感じられるのですが、この菊理媛神はそのような感じは一切なく、此方を見据えるようにして言葉を掛けてこられるように思えました。
どこかしら重みがあるような、そんな感じです。
どのような言葉を肝心の二柱の神様に仰ったのかははかりかねますが、かなりの含みのあるお言葉だったのかもしれませんね。
考えれば考えるだけ、そのように感じられる神様のようです。
肝心のこの香りですが、そのような意味も込めまして、甘い香りの中にもどこかしらミステリアスな雰囲気が出る香りとなっておるのでは
と思います。
一筋縄ではいかない、そんな感じでしょうか。
巫女という側面を考えると、それも然りかなと思うところです。
(一日経過したもの 少しずつ混ざり合ってますね)
前半に朝の空の写真を大いに活用しましたので(笑)それだけでかなりのスペースを割いたようです。
いつもの香り等のお知らせは次へと回すことと致します。
毎回ダラダラと、さながら垂れ流すように綴るのもどうかいな;と感じておりますしね。
また書かせて頂ければと思います。
(午後から出掛けました
いつものビル、完成間近のようです)
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
久しぶりで良いお天気に恵まれた一日でした。
全国的に見れば雨のところもあったようですが、台風から温帯低気圧になった後の天候、荒れておらねば良いけれどと思うところです。
(空行く龍に見えた雲)
(久々の眩い朝日)
(アンテナ邪魔ですが;少し彩雲も)
やけに暗い頃から撮っているようですが、それでも最初のは午前5時過ぎのもの。
西日本の端っこ辺りですのでこの時間ならこんな感じですね。
なんでそんなに早いのか?お天気良いとそれだけで嬉しくなるのか?と言われそうですけれど;。(ま、無くはない 笑;)
そうではなく、ちょっと夢を見たからですね。
それもあまり嬉しくない感じのものでして。
夢の中で出雲大社へ信者さんをお連れして参拝したのですが、御本殿の前であなたのところは参るに相応しくないので此方でお引取りを
とかなり年配の何故かしら白衣に袴ではなく三つ揃えのスーツを着た、見た目がこれまたサザエさんのお父さんの波平さんみたいな人に
バッサリと断られたのでした;。(説明長くてすみません;)
え;?なんで?と、何とも心にもやもやしたものを感じながら、お連れした信者さんにも、どうしてなんですかねぇ?と半分訝しみがられ
ながら来た道を引き返すというのものでした。
そんな場面を見た直後に目が覚め、ぼんやりした頭でどうしてなんだ?と考えていた自分がおりました。
夢の中ではどうやら自分の所は神殿設備もままならないからだと言われていたようなのですが、目覚めた後はいやいやいや;ちゃんとあるし
主人の代からそれはきちんとしてるし、おかしいよと思う自分がおりました。
段々頭が冴えてくると、何だ今の夢は?と今度は夢自体を訝しむ自分でした。
そんな夢を見た後でしたので、それ以上二度寝する気になれず(起きなさいよ、そこは;)そのままうつらうつらしながらも起き出した
のでした。
ネコが出入り出来るようにと15センチ程開けている扉の向こうから段々と明け染めていく空が見えますし、しばらく日の光も拝んでおり
ませんでしたので、尚のことこうして写真を立て続けに撮った次第です。
黄金色に輝く日の光はやはりそれだけで神々しく、お力を頂ける思いになるものですね。
どんより鈍色の空続きでしたので余計に有難く感じられた今朝の光景でした。
そんな朝はいつものように祝詞奏上させて頂きましたが、その前に作成しておりました香りがあり、そちらを先にお伝えさせて頂きます。
昨日の時点で出来上がっていたのですが、その折にはお伝えすることが多くありましたので今日に回した次第です。
作成した香りは「菊理媛神」(くくりひめのかみ)の香りです。
どうしてこの神様?というところですけれど。
もう随分以前、20数年前になりますが仕事で石川県の小松辺りへ参らせて頂いた事があります。
この時の詳細な話はまたに譲るとして、その際に広島へ戻る前に此方の地元の神様にご挨拶させて頂こうということになり白山比咩神社
(しらやまひめじんじゃ)さんにご参拝させて頂きました。
折りしも七五三の頃であったのでしょうね、記憶の中ではさほど良いとはいえぬ時雨れた天候にも関わらず、綺麗な着物を着せて貰った
お子さん方と連れ立って晴れやかなお顔をした親御さん方の姿が多くあったのを覚えております。
結構な階段もあったかとも思いますが、それ以上はどうであったか定かではありません。
御祭神であられるこの菊理媛神様にも、どのようなお言葉を賜ったのかそれすら覚えておりません。
ただただ少し肌寒いよなぁ;ということが印象に残った場所でした。
ですからもう殆ど記憶には残っていないというのが正直なところなのですけれど;、少し前から此方へお住まいの方と懇意となり、何故か
しら時折この神様の事がチラチラと頭の隅に入って来るようになりました。
特段その方がこの神様のお話をされるという訳でもないのですが、ご縁が出来たということはどうも神様にもご縁が繋がったのでしょうか?
そこのところは自分では分かりかねることですけれど、何かしら気になりまして、それならばこの神様の香りを作らせて頂こうかと思った
のが今回の作成へと繋がったということになります。
まぁ私めの説明は毎回長ったらしいので申し訳ござらんです;。
とにもかくにもこのようにしてこの神様の香りを世に出させて頂く事となりました。
この神様、どうやらそのお名前が出てくるのは日本書紀の一書にたった一度だけ登場するのみとされております。
ウィキペディアをそのまま丸写しさせて頂きますと(すみませんです;)
『その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに、「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かっ
たからだ」と。
このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生み
ました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」と。
このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。』
どうやらこのような事があったようですね。
黄泉比良坂でご夫婦であられた伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)ですが、妻である伊弉冉尊は最後のご出産で
迦具土神(かぐつちのかみ)をお産みになった際に陰部に火傷を負い、それがもとで亡くなられます。
その事を嘆き悲しみ、死後の世界である黄泉の国まで夫である伊奘諾尊が追いかけてこられ、その最後の場面にて交わされた言葉の前にこの
菊理媛神が一言仰り、そこでお二方は双方ともに別々の世界へ戻って行ったとされるようですね。
けれど良く知る?話としては大岩を挟んで此方とあちらで相当な言葉の応酬があり、互いに分かれたとされるのですけれど。
何が本当で何がそうではない、というよりも多くの諸説があるという風に解釈する方が良いのだと感じます。
いずれにしましてもこの菊理媛神という神様はこの二柱の神様のご縁を今ひとたび取り持ったということで縁結びの神様としても崇められて
いるとも聞きます。
その他にも多くの役割があるとされる神様のようですね。
縁結びという点では大國主大神は当然そうですけれど、またこの菊理媛神もその役目を担っておられるようですね。
媛というからには女神であられるのでしょうけれど、今日お伺いした折にはどこかしらこれまでの女神とは違う雰囲気を感じた神様でも
ありました。
(菊理媛神の香り)
菊理媛神
“ あが名 くくり
それは大神に仕えるものか ふむ良かろう
それ 我のもとへ 参るか? うむ良かろう
あが務め 縁を結ぶことは 断つことと同じぞ
もとよりの縁なければ 結べもせず 切れもせず
そ 忘るるな ”
ちょっと怖い感じ(畏怖の念という感じか?)
うかがった後 少しぞくっとする感じの神様?
この神様、黄泉比良坂(よもつひらさか)にお出ましになったといわれるだけあってか、何とはなしに華やかなイメージを覚える女神とは
一種違う独特の雰囲気を湛えた神のように感じられました。
上記で記したように縁結びの神であるとされておりますが、その一方では此方の現世(うつしよ)の伊奘諾尊と幽冥(かくりよ)にある
伊弉冉尊の間を取り持ったことから巫女ではないかとされているとも聞きます。
そう考えると、なるほど確かにそのようにも思える感じがありますね。
言葉の中で「それ」と言われておりますのは、私に対しての言葉であり、そなた、おまえと言い換えられるものです。
最後の「そ」はそれという意味のようで、そのことを忘れるなと言われたようでした。
幾度も申すようですが、西洋でいうところのガイアやアバンダンティアという女神は言葉だけをうかがったとしてもどこかしら華やかさが
感じられるのですが、この菊理媛神はそのような感じは一切なく、此方を見据えるようにして言葉を掛けてこられるように思えました。
どこかしら重みがあるような、そんな感じです。
どのような言葉を肝心の二柱の神様に仰ったのかははかりかねますが、かなりの含みのあるお言葉だったのかもしれませんね。
考えれば考えるだけ、そのように感じられる神様のようです。
肝心のこの香りですが、そのような意味も込めまして、甘い香りの中にもどこかしらミステリアスな雰囲気が出る香りとなっておるのでは
と思います。
一筋縄ではいかない、そんな感じでしょうか。
巫女という側面を考えると、それも然りかなと思うところです。
(一日経過したもの 少しずつ混ざり合ってますね)
前半に朝の空の写真を大いに活用しましたので(笑)それだけでかなりのスペースを割いたようです。
いつもの香り等のお知らせは次へと回すことと致します。
毎回ダラダラと、さながら垂れ流すように綴るのもどうかいな;と感じておりますしね。
また書かせて頂ければと思います。
(午後から出掛けました
いつものビル、完成間近のようです)
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。