日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

龍と太陽系

2017-05-06 16:02:57 | 


こんにちは。
こどもの日も終わり、今日からお仕事の方もおられるでしょうね。
これが月曜となると、皆さんそれこそほとんど一斉にお仕事復帰?かと思います。
一緒に、励みましょう^^;。

                                

今日は、また毛色の変わった話題を。
以前にも書いていた龍やらについて。
ま、自分が好き勝手書かせて頂いておりますので、バカらしいと思われる方は、どうぞスルーして下さいませ。


今朝、なんとはなしに食卓の椅子に座り、目を閉じていると感じて見えてきた光景です。
見えた後に、自分でメモ書きのようにして書いたことを、ほぼそのまま載せてみます。


目を閉じて見えてきた光景

まず龍が日の光を浴びながら、白い巨体を茜色に染めながら飛んでいく

その先には多くの仲間の龍が待っている

皆、楽しそうに泳ぐように飛び回っている

自分がよく見るのはこの白い龍だが、この白龍(どちらとかというと、白い身体に虹色を纏っているように感じる)は
地球を突き抜けて(大気圏?)宇宙空間で太陽なのかどうか、降り注ぐ光を浴びてやはり舞うように飛んでいる

そうして、そこから見えてくる地球をこの龍の視点から見ていると

地球全体、その彼方此方で龍であったり天使であったり、あるいはその土地の精霊であったりがそれぞれ楽しそうに
ダンスをするが如く、喜びに満ちて活き活きとしている

だが、今現在、また古から紛争がある地域は不穏な暗い陰のように揺らいでいるようで、なんとも言えず陰鬱な空気に
覆われているよう

しかし次元の違う地球は、先程の明るく楽しい光に溢れたキラキラしたような雰囲気を持った星

本来はこちらこそが、実際の地球の筈なのに、今は暗い部分が殊更クローズアップされているよう

龍はそれを眺めているように感じる(龍自身がどうしたいというのではなく、あくまで中立な感覚)


と、ここから視点が変わり、次に見えてきたのは、自分たちの居るといわれる太陽系です。


太陽系の惑星を一つずつ辿っていくと

水星は太陽の周りを一番近くで周りながら、とても忙しい?けれど楽しくワクワクした感じ
嬉しくって仕方ないというみたい


金星は、これも光を思う存分浴びながら文字通り辺りを金色に染めるような光を放っているよう
華やかな印象
人間の感性で例えると女性のよう


地球はそんな水星、金星から多くの恩恵を受け取りつつ豊かさ豊穣さを湛えた惑星
多様性に富んだ星


火星は、地球に比べるとややドライな印象
しかしまだどちらかというと人間、人類に近い感覚があるよう


木星、土星は地球と比較すると、その巨大さからして大らかであり我々人間の与り知らぬ叡智と尊厳を供えている惑星
自分達の住む地球を、宇宙からの様々なもの(これが何かはわからない)から守ってくれる


天王星、海王星は太陽から遥かに離れ、その光や熱量という恩恵は受け取れていないが、その冷ややかな感覚は
冷静さをもたらしてくれている


太陽系という枠組みで見るならば、お互いが相互に関連しつつ絶妙なバランスで成り立ち、互いを尊敬し、且つ
根本には楽しい、enjoyという感覚が常にある


地球外は真空だとして何も無いとされているが、そこにはいつも満たされている、充ちている感覚が常にある

何もない『無』なのでは全くない、いわば常に愛に満ちた空間


                         



とまぁ、上記のような、さながら夢物語のような光景をボーッと一人で見ておったわけです。
だからどうした、と言われれば、いえそれだけです、とお答えするしかありません。
あくまでも自分自身が感じた感覚、世界ですので。

しかし、この様を見た、感じた後は、なんともいえぬ幸福感、充足感、満ち足りた感覚を覚えておりました。

この世界は、自分ひとりで生きているのではない、この宇宙も何一つ自分とかけ離れたものはない
そう思える、感じられる今朝の出来事でした。

たまには空想の世界に遊んでみるのもよいのでは?

                         
 

                        










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光の柱

2017-05-05 14:49:38 | 神様等について
こんにちは。
今日は皐月に相応しい、そんなお天気(昨日もおんなじこと、書いてたような?)
ともあれ、風爽やかなこどもの日となっています。

                            

五月は、先日もお話したように神棚を祀っておられるお宅へ出向いて、御祓いをさせて頂くと書いておりましたね。
その神棚へお祀り致しております神様ですが、数え方をご存知でしょうか。                        
神様の数え方などと、ちょっと不遜な物言いのようにも感じますが、すみませんです。
自分自身、神様って、どのように数えればよいのか全く存じませんでした、これまた失礼な話ですけども。

                            
ご存知の方は、それこそ知っての通り、一柱、二柱(ひとはしら、ふたはしら)と数えて参ります。
でも、なぜこのように「柱」という数え方なのか、これもまたいつかのように、そりゃ昔からそう決まっているから
そういうんだ、としか言い様がないのですけれど。

そんな自分がこの仕事を始めてすぐの頃、不思議な感覚を覚えたことがありました。
それこそ右も左もわからぬどころか、言われるままの所作動作でぎこちなくお祭をご奉仕させて頂き、その祭が終わる際、
有難うございました、と心で祈念しながら平伏(へいふく)いわば正座したまま身体を折っていた時、頭上から物凄く
眩しい光が降り注ぎ、うわぁ眩しい、と目を閉じようとすると既に目は閉じている状態だったことに気づきました。
なんとも感じたことのないほどの圧倒されるような光に、その時は思えたのでした。
あれは一体なんだったのだろうと感じながらも、その時点では自分の錯覚のようにしか思わず、誰にも話すことなどなく
そのまま過ぎていました。

それから、かなり経ってから、前述のように神様の数え方は、一柱二柱だったなと自分で考えていた時、ふと、この見ては
いないのにとても眩しく感じた光を思い出しました。
その時、神様はこの光のことを言い表したのではないのか、と鈍い自分もようやっと気づいた気がしました。

光の柱、そうあの時感じたのは、まぎれもなく強い眩い光そのものでした。
目で見てはいないけれど、強烈に感じたあの光、あの光そのものがまさしく神様なのではないか、と。
そうだとすると、神様を数えようとしたならば、その光を一つの柱として捉えるが故に、このような数え方に
なったのではないのかな、そう思いました。

実際にそうであるかどうかは、自分自身、全くあずかり知らぬ世界の事です。
しかし、古の人々が神様を感じたのは、この光を自分の身をもって経験したからではないのかな、そう思います。

                             

さて、その神様ですけれど、多くの神社で祀られておられる御祭神と、家庭でお祀りなさいます神様はどこか
違うのでしょうか。
いってしまえば、全く変わりはない神様そのものです。
大元の神様は、一柱です。
これをテレビやラジオ、或いは今ならスマホに例えるとわかりやすいかもしれません。
発信元は一箇所でも、受け取る側は、それこそ、そのテレビやスマホの台数だけ存在するということです。
同じ映像や文字や音声が皆さんの所に同様に届いていますね。

それと同じように、神様も一柱ではありますが、皆さんのご家庭の神棚にも同様に坐します(おわします)と
いうことです。
そう考えると、ご家庭で、神棚をお祀りするということは、その家に光の柱を下ろすろいうことと同様の
ことではないのかな、と感じます。
目には見えない光ではありますけれど、いつも温かく見守って下さっている光がそこにある、そんな風に
捉えて頂ければな、と思います。
 
                                                                   

神棚をお祀りされる方も、最近は少なくなってきました。
ですけれど、自分の家にも光がいつも降り注いでいる、そう考えると、神棚って、ちょっと素敵だと思いませんか。




 
                             

    
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仕事、好きですか?

2017-05-04 18:08:39 | ものの見方 考え方
こんにちは。
風爽やかな五月、そんな一日でした、皆さんのところは如何でしたでしょうか。

                        

先日から申しておりますが、この連休中もずっとお仕事の方もおられる事と思います。
お疲れ様でございます。

その仕事ですが、しなくてはならないからしておられるでしょうか、当然仕事をして、究極には食べていくため
ではありますけれど。
仕事の最中、しんどいと感じつつ、しておることも多々ありますよね、これも当然。
ですけれど、しなくてはならない、と思いながらしていると、どこかで自分がつまづく気がします。
その仕事に就く際に、何かこうしたい、と希望を持って取り組んでいたとしても、なかなかそればかりでは
出来ないことも多くあるとも感じます。
難しい、と感じる場面にも直面するかもしれませんね。

                        

ところで、自分自身、オバサンなんですけれど、結構車が好きでして^^;。
とはいえ、マニュアルは乗れません;。
えーっと、言い訳させてもらうとですね、免許を取りにいくとき、主人に今更マニュアルなんざ使うことも少なかろうから
オートマだけで取りに行け、と言われまして。
イヤイヤ、ある日、山ん中で動けなくなりました、折りしも此処へ軽トラがあります、でもミッション車で自分乗れません;
とかなったら、どうするんね?
と聞くと、そんときゃ、そんときでなんとかなる、とにかくおまえ、オートマにしとけ、と言われてそのままオートマ限定と
なった次第です。
そんな人間ですので、えらそげに、車好きです、なんて胸張って言えないんですけどもね;。

ま、そんな自分の事情はさておいて(すみませんね、脱線ばかりで)
最近は、ユーチューブ等で様々な車の映像も出ておりますね。
それこそ千差万別ですけれど。
そういう中で、ある中古車屋さんなのですが、ご自分方が扱っておられる車を自分達でまず試しに乗ってみて、その映像を
そのままアップされているものがあります。
(取り扱っておられる車が外車ということもあり、結構お高いものばかりではありますけれど)
元々、その方々が車がお好きということもあるのでしょうけれど、車を走らせながら色々とご自分なりに感想を
述べつつ、時にはアクセル吹かしつつ、ともすれば男の子が大好きなおもちゃを与えられたかのごとく、楽しそうに
走らせておられます。
あくまでも仕事の中の一環としてなさっておられるわけですけれど、見ているこちらまで楽しくなりそうな、その
彼らの表情を見ているだけで、つい釣られて笑ってしまいそうです。
(車が好きでもなんでもない方にとっては、どうでもいい話かとおもいますけど、すみません)
この、仕事ではあるけれど、自分の好きなことだからこそ楽しんで出来ている、だからこそ活き活きしているし
何より彼ら自身が面白いと感じている、その様が伝わってくるのが何よりも楽しい、そう思います。

人間、自分の好きなことをしている時は瞳孔が開いているそうです。
(逆に嫌いなことをしている時は、目が死んでいるとかいいますよね。)
テンションも上がるし、声も自然と大きくなっているし、ともすれば時間すら忘れて、やっていることそのものに
没頭しています。
これが自分自身の大好きな趣味だとそうだけど、仕事となるとそうはいかない、そう皆さん考えておられるでしょうね。
確かに仕事で、そこまでのめり込めないし、そもそも仕事は楽しめるものではない、と思っておられるのが普通かもしれません。
ですけれど、その仕事の中でもどこかで、これ面白いとか楽しいとか、ふと気づくと時間忘れてやっていたということが
ないでしょうか。
これは、先ほどの例で出させて頂いた車屋さんの話とは、また違う種類のことかもしれません。
全くの楽しい、面白い、ばかりだけでは語れない部分かと思います。
それでも、どこか自分がその部分に対して興味が持てるところがあるのでは、と思います。

ねばならない、でするのではなく、まず自分がそのことに対して気持ちが入っていけるか、楽しく感じられるか
そこから考えてみてもいいのではないのかな、そう思います。

こう書きながら、そりゃ無理だよ、と感じている方もまだまだ多いと思います。
単純に、お金を稼ぐために仕事はするもの、そう考えている人の方が多いでしょう。

でも、続けていこうとするならば、やはり好きでないと続かない、そうも思います。
イヤイヤやっても、目が死んでるだけ、気持ちもウツウツするだけ、そう思います。

それでも、今の仕事を続けるなら、ちょこっとでもいいので楽しい部分を見つけてみてください。
自分の楽しめることを見出してみてください。
ほんの少しですが、見える世界が違ってくるかもしれませんよ。

                          

やれやれ、自分でもどうこの話、着地出来るか、ヒヤヒヤものでした。
ものすごく生意気なことを書かせて頂きまして、すみませんです;。

でも、どうせ生きるなら、人生楽しい方がいいですもんね。
笑える人生、一緒に過ごしましょう。

                        














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空の虹色

2017-05-03 14:35:19 | 日記
こんにちは。
連休後半に入りましたが、皆さんどのようにお過ごしでしょうか。

                             

今日はちょっと、空のお話でも。
上に見えている、この太陽の周りの虹色、以前にも少しお話しましたが、よく言う日暈、ハロともいいますね。
薄い雲があったりすると、このように太陽の周りに大きな虹色が見えたりして、それだけで自分などはテンションが
上がってしまいます。

で、普通はこのようにハロだけ見えても、おぉ見えてるねと思うのですが、今日はその下にもう一つ
虹色が見えました。

                            

ええっと;、これは90度回転させられれば宜しいのですが、如何せん、そのやり方を熟知しておらず(申し訳
 ございませんです;)ちょっと首を捻って見てやって下さいませ。

と、それでは難しいので、やはり普通にご覧になれるよう、いつもの縦バージョンがこちら。

                            

これは、「環水平アーク」といわれるもので、見ての通り、ハロの下側に出ています。
これもいつものようにカンニングして(毎度すみません;)ググってみると
「環水平アークとは、上空の氷粒に太陽光が屈折して空の低い位置にほぼ水平な逆さ虹が見える気象現象」
と出ていますね。
時期的には、主に初夏から秋にかけてみられるようですが、場所としては「太陽の下方半径46度付近」とあり
「中~低緯度地域」の方しか見られないようです。

詳しいことは簡単には上記のようなことですが、実際にこの虹を見かけると、なんだかそれだけでいつも以上に
興奮してしまう自分です。
見ようとしても、なかなかお目にかかれない珍しい気象現象ですが、たまには空を見上げてみるのも
楽しいかもしれませんよ。

空の神様?が見せて下さる、束の間の空の光景なのでしょうね。
                            

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一番美味しかったのは?

2017-05-02 16:05:21 | ものの見方 考え方
こんにちは。
快晴ではありませんが、高層雲というのか筋雲が見えたりして爽やかな日ですね。
天候がやっと季節に追いついてきた?という感じでしょうか。

                       

そんな五月、折りしも連休でもあり、皆さんお出かけの方も多いのではと思います。
(もっちろん、先日申しました如く、お仕事の方もいらっしゃるかと思ってますよ)
行楽となると、お弁当はつきものですね。
奥様やお母さんに作ってもらったお弁当を持って出かける、そうして現地で食べるこのお弁当がこれまたなんとも
美味しく感じられるものですよね。

そうした中で、これまで食べたそれらのお弁当、どこで何を食べたのが一番美味しく感じられましたか?
景色の良い場所で、仲の良い家族と食べたお弁当でしょうか、それとも気の置けない友人らとワイワイ言いながら
食べたランチでしょうか。

自分はですね、これまでで一番美味しいと思い、印象に残っているお弁当があります。
どこかの高い仕出し弁当だったのか、はたまた自分で詰めてったおにぎり弁当だったのか。

                       

実は、そのどちらでもなく、美味しいと感じたのは、どこにでも売っているようなコンビニのお弁当です
それはどうしてなのか、ですよね。
よほど、コンビニの中でも高いのを選んだからなのか、出来立ての熱々ご飯を入れてもらったからなのか。
いえ、そのどちらでもありません。

昨日、この五月は正五九の御祓い(しょうごくのおはらい)と称して、神棚を祀っておられるあちこちの信者さんのお宅へ
参らせて頂くと書いておりましたが、お弁当はそんな時に買って食べたものです。
                      
たまたま出向いた先は、島の方でして、そこへ渡り、島にあるコンビニで買い求めたものだとおぼろに記憶しております。
もう随分昔の話ですし、お弁当の種類もそれほどあるわけでもなかったかと思います。
ともあれ、お弁当を買い、御祓いの時間までまだあるようでしたので、車の中で一人そのお弁当を広げ、いっただきま~すと
食べ始めました。
その時、ふとそのお弁当を包んでいた周りのビニールシートを見ると、それを製造した日付と場所が印刷されていました。
時刻は午前2時、場所はその居た場所から数十キロ離れた工場のようでした。
中に入っている具は、お世辞にも高いものなど入っていません。
それこそ、赤いウィンナだとか卵焼きだとか、ありきたりなおかずとおにぎりです。

でも、その時、その作られた時刻を見て、自分が寝ている時間にこの工場の人たちは、これらの弁当に詰めるおかずを
たとえそれが既製のものを使っていたとしても、一つ一つ自分たちで焼いたり揚げたり、またご飯を型に入れておられるのだな
と感じたんですね。
それがそのひと達の仕事だから当たり前じゃないか、と言われそうですが、全く知らない人たちが、自分とは離れた場所で
黙々と夜中にこのお弁当を作って下さっているんだなと感じると、もうなんだかそれだけで、車の中で一人感激してしまい
「ありがとうございます~!」と無性に嬉しくなり、件の赤いウィンナが殊更美味しく感じられたのでした。

なんだ、そんなことか、と此処まで読まれた方は拍子抜けされたかもしれませんね。
ですが、このお弁当一つを取ってみても、その中に入っている惣菜の一つ一つ、それぞれが様々な人の手により作られ、また
それを運搬する人がおり、それを店頭に並べるひとがいて・・・と考えると、この小さなお弁当の中には、一体どれほどの
人の手が加えられているのか。
そう感じたとき、それを作る工場を建てた人、その資材を運んできた人、その資材を元から作った人、と順々に考えていくと
それこそ膨大な人の数や手間が連綿と繋がって、今のこのお弁当になっているんだ、そう思えたのです。
そう思うと、鳥肌が立つほど感動してしまい、このお弁当が本当に美味しく感じられたのでした。
                       
                
                    
これはこのお弁当に限らず、どのようなことにもいえると思います。
世の中、全てという程、流通しているものには人の手が加えられている、そう思います。

そういう風に考えていくと、世の中、どこかで誰かに繋がっていますよね、自分一人ではない、誰かのお世話に
日々なりながら暮らしている、そう感じます。

もしかすると、今日すれ違った人、あなたとどこかで関係しているのかもしれませんね。


一つのお弁当から感じた今日のお話でした。
明日は美味しいお弁当もって、何処かへ出かけてみられますか?
作って下さった人に感謝しながら、ね。

                        



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