to Heart

~その時がくるまでのひとりごと

今夜の堂本兄弟♪と土スタ

2010-10-17 22:49:18 | Heart pink
今日はちょっと遅め
23時30分からのスタート

ゲストは綾瀬はるかさん
セッションするのは 「シンジテミル」 映画『インシテミル』の主題歌をMay'nさんと

同じ事務所ですが、今年アカデミー賞授賞式で一緒でしたが、
忙しいふたり、先日のホリプロのパーティーで会えたそうですがこの収録はそれより前なので、
相当久しぶりなのでしょうか?
仲良しのふたりの会話があるといいなぁ~

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昨日の土スタ
ビビるさんの恭子ちゃん記事はコチラ
恭子ちゃん、すっかり親バカしちゃってましたねー

アイルトン・セナ ~音速の彼方へ

2010-10-17 02:09:06 | the cinema (ア行)
製作国イギリス
上映時間 108分
監督アシフ・カパディア

1994年にレース中の事故で他界したF1ドライバー、アイルトン・セナの実像に迫るドキュメンタリー。天性のドライビング・テクニックと甘いマスクでファンを魅了し、その裏に秘めた闘志で数々の名勝負を繰り広げ「音速の貴公子」の愛称で親しまれた。その栄光の軌跡と知られざる葛藤を、彼自身へのインタビューやレース関係者、家族の証言を基に浮き彫りにする。ふんだんに盛り込まれた大迫力のレース映像や、貴重なプライベート映像の数々は必見。
類い希な才能と貪欲なまでの闘争心を武器に、24歳でF1デビューを飾るや、またたくまに世界の頂点へと登り詰め、数々の栄光を手に、わずか34歳で突如この世を去った“音速の貴公子”アイルトン・セナ。今なお多くの人に語り継がれ、愛され続ける彼の輝かしいドライバー人生の光と影に迫るドキュメンタリー。

1960年、セナはサンパウロの裕福な家に生まれ、温かな家族に愛されて、好きなカートからプロの道に。
1984年にF1鮮烈デビューを果たし、
3度のワールドチャンピオンとなり輝かしい成績を残しながら、
1994年5月、イモラの空に散りました―。

日本人初のF1フルタイムドライバーが誕生した1987年に、
ようやくF1ドライバーとなった中島悟の所属するロータスホンダのエースドライバーが若きセナでした。
中島もそうでしたが、物腰が柔らかく、謙虚で、直ぐに大好きになりました。


冒頭で彼の母親が、「今日も彼は誠実だった」そのことがとても重要だというんですよね.....。
この言葉と、セナが何度か口にする、「(レースに必要なのは)お金と政治(力)」が忘れられないです。
ブラジルでは富裕層のセナにこう云わせるんですから(事実、資金不足で一度ヨーロッパ留学から帰国しています)
中島がF1デビューすることがいかに大変な道のりだったか、そしてそれを維持していくのも、どれほどの努力だったか、
きっと想像もできない大きな壁もあったことでしょう。
年齢差もあって、スタイルも違うのに、天パーの二人は(笑)ギスギス感がなくて、いいチームメイトだったように思えました。

沢山の努力と、それをみつけ評価してくれる人との出会い、
頑張っても深まる孤独感、プレッシャー、そして天才ゆえにターゲットにされることも宿命だったのか。。。
本田宗一郎との出会い、そして信頼関係を保ちながら、
一方で、ヨーロッパ各国のF1ドライバーの中で、中島とセナは言葉や文化の違いだけではないチカラに
いつもある種の脅威があったように昔から感じていました。

この作品は、たくさんの日本からの映像が含まれているので、当時からご覧の方には何も目新しいことはないですが、
それでも、セナのマクラーレン移籍と同時にホンダエンジンが搭載され、
セナの快進撃が始まるということは同時に、プロストとの確執の始まりでもあり、FISA会長の圧力との闘いの始まりでもあり、
当時のセナの置かれた状況を赤裸々に映しています。

毎年チャンピオンシップがかかっている状況で日本GPを迎え、そのドラマの中心にはセナがいました。
鈴鹿の風にゆれる日の丸に負けないくらい沢山のブラジルの鮮やかな国旗がはためいて、セナ人気の高さを現していました。
ウイニングランの途中、セナの母国への愛を知る日本のファンがブラジル国旗を手渡したことがありました。。。
心が折れそうな悲しいことも、嬉しいことも沢山あった鈴鹿。
笑っていても、怒った時でさえ、どこか悲しげなセナ。
世界中でブラジルの国旗を背負って戦った、ブラジル国民の希望の星だったセナ―。

コースの外にも内にもあった戦いが、あの日終わったのでした。――観ていました。凍りつきました。




34歳。
奇しくもその同じ34歳で中島はF1デビューしたことを思えば、いかにも早すぎる天才レーサーの生涯でした。