荒野の泉 カウマン夫人著より
彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、......十字架を忍び....。
ヘブル十二・2
「軍人は、他人の武器では十分に戦えないものです」
自分の十字架を負うということは、これが正しい道だと思われることを行き、
あなたに負わされるものは何でも負うことです。
そして、決して顔をしかめないで、だれかに良く思われようともせず、与えられたものを勇敢に負うことです。
自分自身の重荷を、自分自身の都合で持ったり持たなかったりしないことです。
ある人は、十字架は大きいほうが良いと思ったり、小さい十字架なら、早く背負っていけると考えたりします。
いずれにしても、ただそう思う人たちの十字架は、かざりものの十字架にすぎないのです。
しかし、あなたが本当にしなければならないことは、できるだけあなたの背中を真っ直ぐにし、
背中に何があるかあまり考えないことです。とりわけ背中にあるものを自慢しないことです。
ジョン・ラスキン
重いのはイエスの十字架ではありません。
私たちの旅で、邪魔するのは
私たちの痛む肩におかれている
私たちの過去の行為なのです。
神は私たちに荷を負う力を下さいます。
神が与えられるイバラには香りがあります。
そして必要ない重荷はなにもなく
利己的なむ目的のために与えられているものもありません。
イエスのくびきは負いやすく
イエスの荷は軽いのです。
イエスは苦しみをともにするでしょう。
イエスはくびきを負う本当の友です。
私たちは疲れて、重荷をもっているでしょうか。
心配で、苦労がいっぱいでしょうか。
それはイエスが与える十字架ではなく
私たちが作って、自分で負う十字架です。