谷間の泉 カウマン夫人著より
しかし後になれば・・・・・・・。
神が隠しておられることをなんとか引き出そう。
明らかにしようと必死になることは、愚かなことです。
わたしたちの歩みの中である所まで来ると、それは明らかにされるのです。
時がわたしたちをそこまで連れて行き、わたしたちが経験を積んでいくなら、
わたしたちは驚きを持って喜び、すべてを理解するのです。
ですから、わたしたちが気をつけなければならないただ一つのことは、
王なるお方の道を、その最も聖なる御旨に従って歩き続けることです。
光は義人のためにまかれる。
すべてが説明され、理由づけられるのは最後の時です。
神の目は、いつも究極的なゴールに注がれています。
ちょうど良い時に輝く収穫が現れます!
その種が冷たく暗い土の中で朽ちたように見えたとしても、葉が伸び、穂が出て、
収穫を迎えた畑に穂波が打つようになります。
ルターはある時、あることについて熱心に祈り、神の御旨を知りたいと願いました。
そして彼が聞いた神の御声は、「わたしは説明しないよ」と言うことでした。
神が説明なさらないということは、神が信頼していて下さるということです。
そしてこれらすべての事の後に、イエスはご自身を現して下さったのです。
あなたの経験の中で、今がどんなに暗かったとしても、神の「後になれば」と言われる時を待つことはすばらしいことです。
神がその子たちを扱われることを思うごとに、わたしたちが驚くのはその気の長さです。
神の道は隠されているかもしれません。けれども、神の「後」という時を待ちなさい!