荒野の泉 カウマン夫人著より
この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。
詩篇三四・6
七十歳をこえた老人が、ベッドに身を横たえ、安らかな眠りに陥ろうとしたとき、少年時代のことを思いおこしました。
「お父さん、お父さんはそこにいる?」彼はお父さんの寝ている大きなベッドの方を向いて聞くのが毎晩の習慣でした。
そして「ああ、いるよ」という返事がかえってくると、小さな不安もかげをひそめ、安心して眠りにつくことができました。
この習慣は少し形がかわりましたが、今も続いており、老人は毎晩床につく前に、天の父なる神に向けて語りかけます。
「神よ、あなたはそこにおいででしょうか?」と。
それはほんとうに単純な信仰です。「今晩、私を守ってください」と祈るようなものです。
そして、信頼する者のたしかな保証が恐れをとりのぞき、平安を満たすのです。
神の臨在は恐れをとりのぞく確かな保証ーー。
祈りは聞かれる。たといそれがーーー。
燃えるような情熱的な訴えであれ、
長年にわたって祈り求めたきた願いであれ
神は耳を傾け、叫びを聞いてくださる。
神は祈りを聞かれる。
だから、恐れないで神を見上げ、賛美しよう。
神のいつくしみ深い愛に支えせられ
神のたしかなみ言葉の約束があるのだから
喜び、楽しみ、信頼しよう。祈りはきかれる。勇気をだそう。
暗い夜が明けるまで、祈りつづけよう。
日の出の輝きにはえる栄光のみ座の前で
神のほまれを賛美するまでーーー。