これはあなたに真理のことばの確かさを教え、
あなたを遣わした者に真理のことばを 持ち帰らせるためである。(箴言二二21)
イエス・キリストは、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ八32)と言われました。
ほんものの真理は、私たちを自由にする確かさを持っているというのです。
私たちは自由だ。一己の人間として自由を持っていると、近代の人間は豪語します。
しかし、実際はどうでしょう。「罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です」(ヨハネ八34)とイエス・キリストは言われました。
人間は、原子力を利用し、ロケットを月に打ちあげ、コンピューター時代を築きあげてきました。
しかしいまだに、人を愛し、人をゆるし、人のために与え、人のために祈る自由を持ちません。
互いに、憎み、うらやみ、奪い、ねたんでいます。人間は、このままではけっして自由ではないのです。
魚は水の中にいて初めて自由です。魚自身が自由なのではありません。
何百馬力の機関車も、砂浜に置かれてはにっちもさっちもいきません。二本のレールの上にのせられて、初めて自由に力を発揮できます。
このことは、私たちにも同じなのです。
私たちを、造り支配し愛し、私たち一人一人にかけがえのない使命を与えておられる神がいらっしゃいます。
私たちは、神という真理の中にあって初めて自由になるのです。
イエス・キリストはご自身が真理であることを示し、「子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです」(ヨハネ八36)と言われました。
箴言の恵み 今日の知恵明日の知恵 羽鳥明著より