わたしは、むかし年若かった時も、年老いた今も、正しい人が捨てられ、あるいはその子孫が食物を請いあるくのを見たことがない。詩篇三七25
私が行くべき道の入口にある門に着いた時、そこの主人が旅に必要なすべてを与えてくれて、最後まで希望を持てと言ってくれた。--『天路歴程』--
旅立つ者は誰でも、当然次のように思うことでしょう。
「距離はどのくらいだろう。私は耐えれるだろうか。どうやって、その道を行こうか」。
神の道を歩むとき、絶えることのない力が与えられるのが旅人の特権です。
旅人の靴は荒れ果てた道の証ですが、神の力強い御手が、長旅に疲れた弱い足を運びます。
新しい年の入口に我らは再び立つ
一年を終えるまでに
いかなる喜び、励ましが
また、いかなる悲しみ、苦しみが訪れるが
我らは知らない
だが、我らは知らない
だが、我らは、このことに安らぐ
神のみが知りたもう知恵で
我らの上になされることは
最善であるということを
トマス・ウィーリング
日の出に向かって カウマン夫人著より