つげ口する者は親しい友を離れさせる。箴言16章28節
つげ口は秘密の中に行われるものであります。
しかし、それは水がものにしみこむように、かならずなんらかの形であらわれてきます。
そして人と人との関りを断絶させてゆきます。
そのようにして人は日常的に、いかなる争いよりも深く、広く、不信の毒を流しつづけるのであります。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より
つげ口する者は親しい友を離れさせる。箴言16章28節
つげ口は秘密の中に行われるものであります。
しかし、それは水がものにしみこむように、かならずなんらかの形であらわれてきます。
そして人と人との関りを断絶させてゆきます。
そのようにして人は日常的に、いかなる争いよりも深く、広く、不信の毒を流しつづけるのであります。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より
朝には「ああ夕であればよいのに」と言い、
夕には「ああ朝であればよいのに」というであろう。申命記28章67節
神なき生活は「今」を喜べない生活であります。
朝には夕をしたい、夕には朝をなつかしむという具合です。
信仰者は神に出会いつつ、「今」という時を前向きにうけとめてゆくのであります。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より