彼は「あなたは試みに遭わないであろう」と
言われたのではなかった。
「産みの苦しみを経験しないだろう」と
言われたのではなかった。
「悩むことがないだろう」と
言われたのではなかった。
そうではなく、彼はこう言われた。
「あなたは打ち負かされてしまうことはない」。
ノリッジのジュリアン
谷間の泉 カウマン夫人著より
今日は、米子の五千石小学校へ運動会を見に行く。
赤碕の孫も一緒に行く。
米子の孫も、突然の従兄の応援に嬉しそう。
一緒に昼ごはん食べ、楽しく過ごす。
われ歓喜とともに一マイルをゆけり
彼女は道すがら語りつづけぬ
されど彼女の語ることは
われには何の益もなかりき
われは悲哀とともに一マイルをゆけり
されど 彼女は一言もわれに語らざりき
われ悲哀とともに歩みしとき
彼女より得しものは多かりき
荒野の泉 カウマン夫人著より
私が行かねばならない道で
私は満足することを求めよう。
他の人が私より先に行くのを見るとき
恨まないようにしよう。
私のライバルの力が見せつけられるとき
私はねたみの気持ちに支配されないようにしよう。
私は敵の長所をけなさないようにしよう。
むしろ、自分の長所を見つけるように努力しよう。
ねたみは私たちの性格うちで、最も弱い、最も品位を低下させる欠陥です。
人生を台なしにしてしまいます。
すべての経験から喜びを奪い取ってしまいます。
私たちより強いすべての人を敵にまわすことになります。
私たちは他人の喜びや成功を大いに喜ぼうとするが、ねたみはこの喜びを実に不快なものに変えてしまいます。
アモス・ウエルズ
荒野の泉 カウマン夫人著より
今年もよく咲いた酔芙蓉。
毎年よく咲く元気な花。
朝は真っ白で、夕方になるとほんのりピンク色になる。その為、酒に酔う花といわれる。
12時頃写す
17時頃写す
わたしは自分の信じてきたかたを知っている。Ⅱテモテ一12
神はわたしたちが、ご自身に全く信頼することを喜ばれます。
これは真のクリスチャンの性質の中でも最も崇高で、最も基本的なことです。
誰かに信頼されることくらい、うれしいことはないのではないでしょうか。
小さい子供があなたの顔を見上げ、あなたの方に手を伸ばし、あなたを信頼してあなたのところに来る
ーあなたはその子供があなたを信頼していることを知って喜ぶはずです。それならなおさら、神はご自身が信頼されていることを喜ばれるのではないでしょうか。
あなたの方に、伸ばされている手があります。その手のひらには、傷跡があります。
あなたの信仰の手を伸ばしてその手を握り、その手に身を任せなさい。なぜなら、「信仰がなければ神を喜ばせることはできない」からです。
ヘンリー・バン・ダイク
谷間の泉 カウマン夫人著より
人類は進歩した。
信仰は子供じみている。
誇りと冷やかしを
人々は投げかける。
そして神の奇跡が
あるのだという者たちを
笑い飛ばす。
彼らには、笑わせておけ。
信頼する心は、
自分自身の知識を越えた
喜びに満たされる。
そして、日々奇跡は起こっていく。
信仰と愛とを持ち続けている
わたしたちのために。
「奇跡」ジョン・リチャード・モーラント
谷間の泉 カウマン夫人著より
これはあなたに真理のことばの確かさを教え、
あなたを遣わした者に真理のことばを 持ち帰らせるためである。(箴言二二21)
イエス・キリストは、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ八32)と言われました。
ほんものの真理は、私たちを自由にする確かさを持っているというのです。
私たちは自由だ。一己の人間として自由を持っていると、近代の人間は豪語します。
しかし、実際はどうでしょう。「罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です」(ヨハネ八34)とイエス・キリストは言われました。
人間は、原子力を利用し、ロケットを月に打ちあげ、コンピューター時代を築きあげてきました。
しかしいまだに、人を愛し、人をゆるし、人のために与え、人のために祈る自由を持ちません。
互いに、憎み、うらやみ、奪い、ねたんでいます。人間は、このままではけっして自由ではないのです。
魚は水の中にいて初めて自由です。魚自身が自由なのではありません。
何百馬力の機関車も、砂浜に置かれてはにっちもさっちもいきません。二本のレールの上にのせられて、初めて自由に力を発揮できます。
このことは、私たちにも同じなのです。
私たちを、造り支配し愛し、私たち一人一人にかけがえのない使命を与えておられる神がいらっしゃいます。
私たちは、神という真理の中にあって初めて自由になるのです。
イエス・キリストはご自身が真理であることを示し、「子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです」(ヨハネ八36)と言われました。
箴言の恵み 今日の知恵明日の知恵 羽鳥明著より
『見ないで信ずるものは、さいわいである。』ヨハ二十ノ二十九
われはみ言葉の真なるを
証明せよとはねがうまつらじ
また、信ずる先に見させよとも
われはただこのことを知れば足れり
神、のたまいしゆえに真なりと
主の変わらざるみ言葉にわれは立たん
また理解するまでわれは頼らん
E・M・ウインター
仕事をやめてから3年経った。
毎日が日曜日の生活を楽しんでいる。
只今、四つのことを中心に生活している。
一、イエス・キリスト
二、育爺(孫とのかかわり)
あと二つは趣味の世界
三、ネツト囲碁
四、ソフトバレー
昨日、左肘に、異常な瘤(ピンポン玉程度の大きさ)を発見。
びっくりして、赤碕診療所に駆け込む。
滑液包炎と診断された。
これは、骨と皮膚の間で炎症をおこし腫れる病気とのこと。
原因不明と言われた。しかし、自分では、老化現象の一つと思い、自分で納得。歳をとると色々な現象が現れる。
今日は、家内に誘われてeggjoy琴浦へ。
ここは、ドクタートロンという医療機器で電位治療をするところで、治療は、30分椅子に座っているだけ。治療費は無料。
家内は、股関節通に悩まされ、数年前から熱心に通っている。
私の、数年来の水虫がよくなればと誘ってくれた。ものは試し、だまされたと思ってしばらく通ってみるつもり。
最近、太平洋戦争に関する本を読んでいる。
終戦時、ほとんどの日本人が次のように考えていたかと思うと、おもわず笑ってしまう。
「天皇陛下がラジオで放送しやはんねやと。何やろか」
八月十五日、父のいない私の家でガーガーピーピーいうラジオの前に、隣の人もまじえて集まりました。
静かな陛下の声が聞こえましたが、私には何の事かわかりませんでしたが、同じように緊張して立っていました。
終わっても大人達はしばらく無言でした。
やがて隣のおばさんが、「日本は負けたんやな・・・・」と泣き出しました。
負けた!私はぼんやり立っていました。
「日本は絶対負けへんゆうてたのに、皆んなゆうてたのに・・・・・」
それから何日かすると人々はいろんな事を聞いてきたり言ったりしました。
「アメリカ人ゆうたら畜生やさかい、何しよるかわからへん。男は皆んな殺して、女と子供はつれて行きよんねんと」
「アメリカ人来よったら山へ隠れなあかん、もう日本へ上陸してんのやと」
隣のおじさんは、アメリカ人に食われたらあほらしいと、五羽ほどいたにわとりを次々と殺して食べてしまいました。・・・・
8月15日のこどもたち あの日を記録する会編より
あなたがたは、「もし主のみこころであれば・・・・」と言うべきである。ヤコブ四・15英訳
主よ、あなたを尋ね求める者をあなたは捨てられたことがない。詩篇九・10
「自分の語る一つ一つのことばによく気を使う人は、また祈る時にも、ことばと思いによく注意して祈る人です。
このような人の神理解は驚くべきもので、その神への思いは霊的熱情となり、その祈りは熱心で神を動かします。
よく祈る人は、よく主を愛する人です。」アネスレイー博士
荒野の泉 カウマン夫人著より