あらぐさ(雑草)のこころ

(備忘録)真実は見えないところにある

この頃考えていること

2014-12-03 23:02:00 | ノンジャンル
ネット上での今秋に入ってからの自分のコメントを再読しました。
読んでみると、自分にとっては大事な事なので、友人のブログなどに書き散らかすのではなく、自分のブログに載せる事にしました。

以下は、今週の僕のコメントをまとめたものです。
長いですし、起承転結はしていません。


現在、ほとんどのステージで歌っている僕たち「SKプロジェクト」の基本方針は、いまだに話し合う時間がなく、今後どうするかも全く話し合っていない状態で、11月に入ってからは、相方が上手なバンドとのスタジオ練習が重なってしまい、バンドでやったことの無い、ギターに自信の無い僕のモチベーションもかなりタイトロープ状態です。
僕がこのままヘタレのままなら、再び気楽なソロ専門に戻る覚悟はしてます。

時々上京していろいろな人と音楽を演ると、秋田では考えられないプロ級の凄まじいアマチュアがごろごろしていますね。
しかし、ソロで演るのもいいですが、上手さとは違う魅力を持った圧倒的な有無を言わせない「歌心」を持たないと、武者修行であっても誰も鼻もひっかけてくれない、サポートもしてくれない、そういうシビアなステージばかりですが、誰も知らない人ばかりのステージは刺激的でとっても楽しいです。
凄腕の地元のミュージシャンがサポートしてくれるステージは、それはそれは楽しい時間です。
いつでも、東京の「秋田的な地元的・友情的な感覚が皆無な」ステージ経験は勉強になります。

秋田は、コピーカバーばかりなのは残念ですが、懐かしのフォークやロックの原曲の完コピに魅力を持っている人もたくさんいる事実は認めないといけないです。
なので、僕がフォークの強烈アレンジで演ると、嫌悪感を示す人はプレイヤーでもお客さんでもたくさんいますよ。
コピーでないカバー曲のアレンジは、自分の懐かしく、美しい青春の思い出を汚されたと感ずる人のが普通です。
そういう「思い出のフォーク(完コピ)企画」には、今は直感で嗅ぎ分けて主催者に事情を話して、主旨と合わない場合は出ないようにしています。
コピーを聞きたい皆さんの、青春のキレイな思い出を汚すわけにはいきませんからね。

秋田的には、テリトリィ以外の県外での路上ライヴやライヴハウスという武者修行の無謀さや楽しさや、知り合う人たちとの交流を経験しない人がほとんどですから、(特に東京などの路上など・・・)その点は経験者でないとなかなかわかってもらえないですね。

僕は、「日本語で唄う世界中のすべての歌は歌謡曲」という確信があるから、英語を日常の言葉としていない人の、英語脳で考えない人の英語の歌には、日本語(秋田訛り)の唄い人の一人として、一定の距離があります。
さらに同時に「秋田訛りで発音する歌は秋田の歌」という確信もあるわけです。
なので、出来る限り秋田を出た場所で唄いながらも、都内では「秋田訛りで歌謡曲みたいなフォークを唄う人」として自信を持って唄っています。
地元秋田が大好きなんです。

ソロでの僕の唄は、楽しい歌でうさを晴らそう、ではないのです。
むしろ、哀しかったら我慢しないで僕と一緒に泣きましょう、そして明日は何とか元気を出して生きていきましょうよ、という気持ちで唄っています。
歌い手が押し付ける(手拍子要求的な)「楽しさ」ではなく、お客さんが感ずる「つらい自分の悲しみを唄ってくれている」という共感があればいいなと・・・それだけで唄っています。すべては聴き手の心の中に!です。

ギターを始めてからのこの11年間、あくまでも自分の歌のための伴奏だったので、技術的な事はほとんど必要なく活動してきましたが、ソロ以外での楽しみもまたなかなかのものだし、僕が聞く音楽はポップな曲や歌謡曲が中心ですから、自分のプレイと全く違う「好みの楽曲」もほかの人と演りたいわけです。
そこで、何ぼ何でも基本レベルは上げたいとちょこっとだけ勉強しています。ギターも歌唱法も作詞作曲も譜面読みやコード理論も、全く一度も誰からも習うことなく、コピー練習もしないで来ました。

このように完全自己流でやってきたので、ほかの人とセッションしたり、伴奏するためにはかなりの年月が必要で、たぶん自分の演奏に反映される前にはこの世にいないでしょうね。それでも、ライヴなどの中で他のミュージシャンと楽しむためには、最低限の基本くらいは身につけていないといけないですから、止む無く(笑)練習を始めたわけです。

この頃特に感じていることです。
他の人から見た僕のイメージで一番誤解されそうなのが、僕の好きな音楽ではないかと思います。音楽は「上手い・下手」の仕分けがわからないので、そういう基準では判断できません。意外にも、弾き語り音楽はほとんど聴きません。
また、20年ほど聞いていたジャズを除くとインスト音楽はすぐ飽きてしまいます。つまらないわけではないのですが、メジャーミュージシャンのCDもアルバム全部を聞く前に飽きますね。
それでもロックやジャズで好きな曲はたくさんあります。
でもやはり、英語日本語問わず、歌詞に魅かれなければ飽きますね。
結局、歌声さえあれば、ジャンルには一切こだわりがないということでしょう。

数十年、古くは中学生の頃のオールナイトニッポンや文化放送の深夜放送前半は、朝の3時ころまで毎日聞いていました。糸居五郎、亀淵昭則さんとかがパーソナリティでしたね。
このように50年ほど、多くのジャンルの音楽を聞いてきましたが、好みは60年代~70年代の音楽で止まっている化石状態です。特にジャズはダンモ、ズージャの世代です。

僕がステージで演っている人から聞きたいのは、「あなたが自分の唄う意味を追究し、あなたが僕に唄いかけた時、初めて僕に歌として聞こえてきます」という考えで聞いています。
だからあなたが唄っている意味が「ステージの俺、カッコイイだろう!」という事なら僕には「俺はカッコイイだろう」って聞こえてきます。こんな少ない客に唄うのってテンション下がるなぁ」と思っていたら、「客が少なくてやる気ない」と聞こえてきます。

「ステージから伝わってくるのはあなたの事・・・・・」
だから僕は(11年間のライヴ数が10月30日で680回目になりましたが)、いつでもどこでも全力で唄います。
うるさくて、無意味に叫んでますが、基本的に「僕の心の中を唄っているので、お客さんに伝わる事は無い」はずの僕の歌ですから、なおさら手抜きして唄う事はしません。
1年に何回かの時々訪れるお客さんとの数少ない心の「一瞬の心の交感」を求めて、いつでも懸命に唄います。
しかし、ライヴハウスやイベントでソロで呼ばれたら、主催者の考えを尊重して歌謡曲でもオリジナルでもフォークでもなんでも歌います。或いは抑えたプレイもしますが、基本は同じです。

9月終わりに結成した「SKプロジェクト」というユニットは、その自分のソロスタイルと違う表現方法の「さくりん」に唄ってもらう為に活動しています。
50歳を過ぎてから始めた僕のギターやアレンジ技術が追いつかなければ、彼女をもっと歌わせてくれる上手なバンドでメインボーカルで唄う事になるでしょう。
彼女は、僕が演奏で出させる以上のはるかな実力がありますし、それが楽しい事ならそれでいいと思います。

音楽を趣味とする僕たちは、自分が一番楽しい時間を過ごしたらいいわけですから、音楽に携わる時間が、みんなそういう楽しい時間になれたらいいなぁと思います。


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