4月18日は大阪府羽曳野市にある聖徳太子ゆかりの野中寺を再訪しました。
野中寺は聖徳太子が蘇我馬子の助力を得て建立され、創建当初は法隆寺式伽藍配置のお堂が並んでいたと考えられています。
金堂跡に残る礎石です。
塔跡の中心礎石です。
三方に添柱座を彫りこみ、さらに柱横に横穴式の舎利を納める小孔をうがってある珍しいものだそうです。
昭和61時に羽曳野市教育委員会による発掘調査で西暦650年の瓦が出土しています。
毎月18日には国指定の重要文化財の金銅弥勒菩薩半跏像が公開されるからです。
長らく九州国立博物館での「中宮寺のすべて」にお出ましになられていたので野中寺での公開は久しぶりになります。
666年(天智5)の造立と考えられ飛鳥時代後期の特長がよく表現されています。
特に台座の框(かまち)に造像記の銘文があり、この像をより有名にしています。
方丈前の庭園です。
その方丈の縁側で金銅弥勒菩薩半跏像が公開されているので至近距離でお詣りすることができます。
また、地蔵堂では重要文化財の木造地蔵菩薩立像も公開されています。
江戸時代初期、明正天皇がこの像に皇子の子育を祈られ、その願いが叶えられたことから安産子育地蔵尊として信仰を集めている尊像です。
金銅弥勒菩薩半跏像の写真は購入したものから転載させて頂きました。
次に毎年、4月17、18日の2日間にのみご本尊さまが公開される大阪府河内長野市にある観心寺へと向かいます。
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