油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

いかに生きるか。

2024-06-12 18:15:23 | 随筆
 なんとも生きづらい時代ではある。
 齢七十五になって、そう思う。

 しかし、生きている限り、嘆くばかりで
はいられない。

 自分に何が可能か。
 試してみたくなる。

 いじめは日常茶飯事。
 おさな子が親に虐げられるにいたっては
何をかいわんやである。

 最近はとみに涙腺が弱くなってしまい、
 そんな話を聞くと、たまらなくなる。

 みっつやよっつの子でも、親は親。
 ぶたれようが、蹴られようが、親を信じ
てついていこうとする。

 その子の心の内を思うと、いたたまれな
くなってしまう。

 「そんなに虐げるのなら、決して生むべき
ではなかった」
 声を大にして、訴えたい。

 いつだったか、こんな事件があった。

 学校に刃物を持ち、男が侵入した。
 生徒を追いかけまわし、手当たり次第に
ふかでを負わせた。

 致命傷を負いながらも、一歩二歩と歩き、
ついに力尽きた子もいた。

 大阪で起きた事件だった。

 秋葉原で起きた事件をおぼえておられる
方がたくさんおられることだろう。

 地方から中年男がトラックに乗り、上京。
 人でにぎわう大通りにしゃにむに突っ込
んで行き、道行く人を次々にはね飛ばした。

 車が使えなくなっても、男はその場から
逃走しようとはせず、持参した刃物を、思
う存分ふるうありさまだった。

 少年Aの事件をご記憶だろうか。

 ある小学生の男子の首をすっかり切り取っ
てしまい、それを、彼が通っていた小学校
の校門の上にさらした。
 犯人がなんと中学生だった。
 被害者のご家族の悲しみはいかばかりか。

 少年心理について、数多くの学者が意見
を述べられているのを耳にしたが、どれも
的を得たものとは思えなかった。

 鬼の仕業と言うしかない。

 人の世が汚れに汚れてしまい、もはや自
浄作用を失くした時、鬼が何処からか、こっ
そりしのびこむ。

 「我々だけが正しい」
 そう思い込んだ時にも、悲劇が起きる。
 むかしの内ゲバ、地下鉄サリン事件を少
しふりかえってみるだけで、わかる。

 表情が誰もかれも同じようで、口をつい
て出る言葉も一様である。

 人間は動物である。
 だが、精神を持っている。
 考える機能を有しているのだ。
 この働きを充分に使わない手はない。

 「初めに言葉ありき」
 「世界を創った言葉は人間を創る」

 その実用性、コミュニケーションの手段
としてのみ、言葉があるわけではない。
 「言葉そのものが価値なのだ」

 ひとつの水槽に、入るめだかのかずは知
れている。
 許容量がある。

 一定程度以上に増えると、めだかがおか
しくなってしまい、共食いを始めたりする。

 人の世も同様であろう。

 ロシア軍が侵攻したウクライナの惨状。
 眼を覆い、耳をふさぎたくなる。

 西側と東側の体制の違い。民主主義と全
体主義などなど。
 長年にわたる紛争の種がとうとう芽を出
し、次々に葉をつけ始めた。

 戦火は広がりつつある。
 永らく中東でくすぶり続けていた負のエ
ネルギーも、ついに火山のごとく爆発した。

 イスラエルとパレスチナの争い。
 大人も子供もない。
 どちらかが消滅するまで続くように思わ
れる。

 憎しみが憎しみを生む。
 もはや誰もその火を消すことができまい。
 燎原の火のように燃えさかる寸前だ。

 テレビの中の世界にとどまらない。
 もうすぐわれわれの身近に迫ってくる。

 戦争の時代を生きることになる。
 それでも、その中で、一個の人間として
善く生きることである。
 言葉を正しく使うことだ。
 
 
 


 
  
 
 
 
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生まれついてのせっかち者で。

2024-06-01 08:34:26 | 随筆
 いつの間にか古希を過ぎ、喜寿に近づくきょう
この頃である。

 もはや若くはないなと感じるのは、どんな時だ
ろう。

 つい最近、こんなことがあった。
 一反に満たない田んぼを耕そうとした。
 八馬力の耕運機をつかい、表面をならそうとこ
ころみた。

 その機械、なんと昭和四十五年製。
 爪をひんぱんにまわすと、どこからかオイルが
滴ってくる。

 おそらく機械内部の小さな鋼鉄の球がすりきれ、
その隙間からオイルがにじみだしてきているのだ
ろう。

 購入した機械屋さんに問いあわせると、
 「もう、部品がないんですよ」
 その一言でかたづけられた。

 広い田んぼの耕すのに、躊躇せざるをえないよう
なご老体である。

 「この機械、おらに似てるな、まあなんとか共に
がんばってくれやな」
 と声をかけ、ハンドルあたりをなでさすった。

 我が家には息子が数人いるが、だれひとり、 
「おれがやるから、父さんはやすんでいなさい」
 間違っても、そうは言わない。
 「おれ、やらないかんね」
 と、ぷいとあらぬ方を向く。

 当然、老いたる馬どうようの、わたしの出番とあ
いなる。

 田んぼや畑に出て、ほぼ五十年。
 むかしとった杵柄とばかりに、ジーゼルエンジン
をかける。

 小さな取っ手に左手をかけ、右手でクランクの形
をした金属製のパイプの穴を、エンジン部分のでっ
ぱりに差し入れる。
 力強く、右手を、時計と同じ方向にまわす。
 一度ではエンジンがかからない。

 燃料は軽油。ガソリンより火がつきにくいのだ。

 二度、三度、四度、……。
 ころがらないよう、両脚を、コンクリートの床に
踏みしめた。

 (もうこれくらいで点火するだろう)
 クランク型のパイプをまわすのをやめた。
 だが、機械はプスッと煙をひと息吐いたのみ。

 もう一度やり直しである。
 ボンッとエンジンがかかった時が、ほっとする瞬
間である。

 この田んぼまで出向いて来るのにも、ひと苦労。
 タイヤの空気圧の違いで、右に行ったり、左に行っ
たり。
 なんとかなだめながら、片道、五六分かけこの田
んぼまでやってきた。

 爪も摩耗している。
 大きな石をひっかいたりすれば、おっかけないと
も限らない。

 耕す前の準備段階で、ビニル袋をたくさん持って
きて、そこに川原石をひろって入れた。

 この辺りはむかしむかし、大川が流れていた。

 「さあ、やっとくれ」
 と、機械に声をかける。

 きつい段差だと、機械が前のめりになってしまう。
 バックで田んぼに入るのが鉄則である。

 と、そこまでは良かった。
 縦五十メートル、横十メートル。
 どのように耕すか。
 ここでかんがえあぐねてしまった。

 前進で動かせば良いところを、短い距離で耕そうと、
先ずはバックで動かしてしまった。
 それがいけなかった。

 爪の動きをオンにしたまま、後ろに進んだ。
 何かの拍子で、わたしが転んだ。

 機械は当然ながら、そのことを一切、とんちゃくし
ない。

 バックしたまま、わたしの体に、のしかかってくる
形になった。

 (このままじゃ、大けがしてしまう)
 そう思ったわたしは、なんとかして、身に迫った危
険から逃げることができないものかと考えた。

 爪が足をひっかく寸前で、わたしは起き上がった。

 先ずは、爪の動きをとめた。
 つづいて、機械自体の動きをとめた。

 八馬力の耕運機はとても重い。
 前のめりになったかと思うと、たちまち逆立ちして
しまった。

 「勝ってにしやがれ」
 である。

 「先祖さまが、守護神どうよう、おらの肩にのっかっ
ていてくださった」
 見えないものの力を感じた瞬間だった。

 昨年は、この田んぼが荒れてしまい、冬場には全面、
枯れ草だらけになってしまった。
 鹿やイノシシが入った。

 この耕運機と十六馬力のトラクターの調子がわるく、
農地なみに保全することがかなわなかった。

 ちょっと逡巡しているうちに、田んぼに雑草が生い
茂った。

 最近はゲリラ豪雨とやらで雨が多く、田んぼを保全
するのがほんとうに困難である。
 
 この人生、何が起きるか知れない。

 こうしてまた、記事を書き、読んでくださる諸氏と
相まみえることができるのはたまさかの僥倖ではある。
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我知らず。

2024-05-17 11:23:27 | 随筆
 なぜあのとき、あんなふうに言ったり振
るまったりしたのだろう。
 なんとも解せぬ。

 ブロ友の方々におかれては、そんな経験
がおありじゃないだろうか。

 わたしはしょちゅうである。

 まるできょうの朝早く吹いた突風のよう
で、びゅうっと吹いてはさっさといきすぎ
てしまう。
 あとはただしんと静まり返った風景だけ
が心の奥に残されている。

 じわじわと後悔の念がわいてくる。

 人間とは面白いものだとつくづく思うの
は、こんな時である。

 人の脳の不思議さに驚く。

 かえりみれば、自らが意識して、この生
命を与えられたわけじゃない。

 それは現在もそうで、各臓器やらが懸命
に、動物の一種としての人間の生をまっと
うさせようとがんばっている。

 まったく有難いことである。

 見えぬものと見えないもの。

 今や科学万能の世の中ではある。
 科学は見えるものだけを相手にし、その
因果を究明していく。

 見えないものは、それほどには考えられ
ない。
 ただ見えるものの働きの結果、そんな事
態が生じている。
 それくらいの理解だ。

 見えないもの。
 その存在に十二分に驚かねばならぬもの
こそ、小説家じゃなかろうかと思う。
 
 物語を描く場合、こんな脳の働きに翻弄
されるから始末がわるい。

 キャラクターが勝手気ままに動きまわる。
 ペンを持つ手が、登場人物に追い付いて
行かないうらみがある。

 元に戻って。
 わたしとて落ち着いて行動できるときは、
それほどの失敗はない。

 友人、知人の中には、若くして亡くなら
れた方がいる。
 わたしよりずっと聡明な人物が多い。
 惜しいというしかない。

 わたしごとき性急ものが、これほどの長
い人生を享受している。

 他人に起きることは、自分にも起きる。

 からだは人生を渡る舟。

 このことを念頭に、あとの人生、笑顔で
過ごしていきたいものだと思っている。

 「運命は性格で決まる」
 そうずばりとおっしゃったギリシャの哲
学者がおられたらしい。

 覚えておくべき箴言である。

 「感情でものを言ってはなりません」
 亡母に幾度こうたしなめられたことか。
 いい加減年老いた今になっても、それら
がチクチク胸を刺す。

 おかした交通違反すべて、一時停止違反。
 もう少し、踏みとどまり、左右を確認す
ればなんのことはなかったである。
 
 今までが運が良かったのだ。
 これからはうんと気をつけるように。
 長生きしたけりゃ、落ち着いて。

 自らに対する呼びかけである。
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天網恢恢、疎にして漏らさず。

2024-04-30 16:14:09 | 随筆
 ブロ友のみなさま。
 あしたから五月ですね。
 「新しい朝」
 そんなあしたがこの世にやってくる予感にかられ
ました。
 
 ようやく、といった感じです。
 しかし相変わらず、自死する方が非常に多い。

 新しい朝って?
 どこがどうして?
 タイトルとどんなかかわりがあるの。
 そう訊ねられそうです。

 ラジオ体操の歌の文句の中にありましたよね、こ
の言葉。

 テレビやラジオから流れてくるニュースを聞いてい
まして、今朝ほどふっとそんな想いがわいたのです。

 何をして、新しいと思うのか。
 それは、読者さまたちのお考えにおまかせしたいと
思いますが……。

 インターネットでつながっている。
 そんな中で、こうやって、ひと言述べるのはとても
気をつかいます。
 どなた様が読んでいらっしゃるかわからないから当
然ですよね。

 ところで、お釈迦さまが亡くなられてのちどれくら
いの歳月が過ぎ去ったのでしょう。

 もはや、釈迦の御威光が届かなくなってしまい、世
は乱れに乱れる。
 いわゆる末法思想が人の世に広まってから、どれく
らいの星霜を経たでしょう。

 科学技術の発達はめざましいものがあります。
 しかし、人間の精神面での進歩はいかがでしょう。

 紀元前のギリシャのアテナイの人とどれほどの違い
があるでしょうか。

 わが国内のみならず、外国でも容易にそんな事象を
かいまみることができます。

 弱肉強食。
 人間界が虫けらやけもの世界と同じでは何やら情け
ないですね。

 戦争は政治の延長とばかりに、力でもってごり押し
する。

 実は、人間の脳の中には、いまだに原始の脳が厳然
として存在している。
 いわば荒ぶる存在です。

 歴史の上で、大量虐殺に走ったリーダーの例をあげ
るのはたやすいことですね。
 問題は、それがただ単に、その人だけの所業ではな
かった。
 
 時の勢いが、期が熟したのでしょう。
 その人をして、指導者にかつぎあげたのです。

 しかしそうであるならば、なおさら、比較的新しい脳
である前頭葉を活き活きとさせる。
 そのことをとおして、人がたやすく暴力に走ることを
妨げることができる。

 たとえば長年、塾で子らを観てきた立場から言わして
もらえば、小学生の内から国語の教科書を、十分間音読
させる。
 そのことで、根気を養うことができる。

 そういった具合に、幼い頃から大脳心理学に沿って、脳
を育てることが必要なのです。

 体育はからだを鍛える。
 脳育は頭を鍛える。
 これがさらに重要なのです。


 わが拙作「忘却」のテーマは何だったと思われるでし
ょう。

 漫画みたいでなんだかわからなかったでしょう。

 かの龍は一体、何をしたのでしょう。
 どんな役回りだったのか。

 瀕死のドラゴンの口から、ぽろぽろこぼれ落ちた球が
一体何だったか。

 ちょっとでも読まれた方がお考えくだされれば、筆者
として、それにまさる喜びはありません。
 
 もう一言。
 この世は、おおかたの人が抱いている考えで動いてい
るようにみえます。
 時代精神といいましょうか。

 資本主義の世だから、金を持っているものが偉い。
 これもそのひとつ。
 人を区分けして考えてしまう。

 わたしなど、もともと貧しい家庭で育ったものですの
でそう指摘されれば、ああそうなんだと自分を卑しめた
ことが幾度もありました。

 捨てる神あれば、拾う神ありです。

 人身事故のニュースはとても痛ましい。

 どうかご自分のいのちをたやすく捨てないでください。
 いまだこの世のどこかに、自分が助かる道が残されて
いないか。

 どうぞいま一歩、踏みとどまり、考えてください。
 この世は乱れに乱れ、もはや救いようがないように見
えますが、観ている人は観ている。

 互いに手をたずさえ、生きていきましょう。 

 
 
 
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口にするものは……。

2024-04-01 14:02:45 | 随筆
 こんにちは。ブロ友のみなさま。
 ようやく桜の花がひらいたと思ったら、夏日になる
のですもの。
 驚きますよね。
 そして、次の日は気温が急降下。
 夕方になって、タンスにしまった服をもう一度身に
つける始末です。

 57年前のT大入学式。
 桜が満開でしたが、灰色の空から、白いものがふわ
りふわり。たちまちにして、ピンクの花びらが視界か
ら消えてなくなりました。

 (えらいところに来たもんや。まあしゃあない。地元
も阿波も受け入れてくれなかったんだから。ああ、もっ
と性根入れて勉強しとけば良かった)
 わたしの身体は、肌をさす空気の中で、ぶるぶる震え
ていました。

 甲州の郡内地方の冬。
 やっぱり、富士山のふもとは寒いのだなあと、手袋を
はめない両手に、白い息を吹きかけました。

 ある冬の夜、銭湯に向かいました。
 行きはよいよい、帰りはこわい。
 風呂上がりで濡れたタオルが、夜気に触れ、すぐさま
凍てついてしまいました。

 下宿暮らしはどうだったでしょう。
 四畳半一間借りると、ひと月2800円。新幹線ひかり号
で東京から京都まで乗るのに、およそ5000円かかる時代
だったと思います。
 小遣いが欲しいと、土建屋さんの手伝いをしましたが、
一日働くと1600円いただけました。

 ほかに金のかかることがありましたので、できるだけ
食事を簡素にしようとしました。
 食パン一斤30円、チキンラーメン20円、コーヒー一杯
50円。学食のカレーライスが70円、それに市街地の食堂
の経済ランチ一人前130円。

 たまに自炊しました。
 炊飯器などありません。ニクロム線の電熱器があるだ
けで、うつわもどんぶりひとつ。そして鍋ひとつ。

 鍋のふたの上に、重石代わりにとどんぶりをのせ、ご
はんを炊きました。
 パールライス10キロ1600円也。
 身につまされていましたので、価格をなかなか忘れら
ることができません。

 ありがたいことに、母親がいろんなものを送ってくれ
ましたので、ずいぶんと助かりました。
 永谷園のお茶漬けの素、伊賀上野のかた焼きが好物で
した。

 「勉強に集中してな。アルバイトなんてせんでもええ。
母ちゃんが働くから。それと食い物に用心してな。お前
はすぐにおなかをこわす。なるべく自然のものを食べる
のがええ。即席ラーメンはあんまり食べないようにな」

 昭和40年代、月々二万円送金してくださったのですか
らね。今でも西の空を仰ぎ、手を合わせることしばしば
です。

 でも、あまり外出せず一所懸命学んだのは、一年あま
りだけでした。
 二年目からは、それまでの引っ込み思案な性格をなお
そうと努めました。

 学年委員や英会話クラブの長に立候補したり。ついに
は折からの学生運動に、あろうことかこころ乱れてしま
い、デモの渦中に身を投じたりしました。

 結局、ふた親を喜ばせたのは、ほんの二年。異郷の地
で暮らすのに、それほど時間がかかりませんでした。

 運良く、結婚。子どもを連れ、盆や正月に帰省すると、
親は顔をほころばせ、 
 「元気でいてくれれば、それでいい。たまに孫の顔を見
せてくれ」
 親というのは、有難いものですね。

 今どきは、口にするものに、注意を要します。
 人によっては、毒にもなる。
 自らの体質を熟知するべしですね。
 アナフィラキーショックに陥ることは、絶対に避けな
けりゃなりません。

 今自分が苦手とするのは、先ずはお酒、生もの、しぶっ
たいもの、香辛料がだめですから、大好きだったカレー
ライスが食べられません。

 どうしても、加工食品には着色料や防腐材が必要とさ
れていますね。
 その作用について、充分注意するよう、以前から指摘
されてきました。

 最近の健康食品ブーム。
 これをのめば、やせるとか……。
 身体のことを考え、口にしたはずが……、かえって身
体に悪かった。病を引き起こしてしまった。
 
 取り返しのつかないことにならぬよう、わたしたちは
できるだけ自然食品を摂るよう、心がけましょう。
  
 わけのわからないものは、安易に口にしないことが大
切ですね。
  
  
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