油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

ちょっと、前橋まで。  (2)

2020-04-03 13:42:36 | 旅行
 「うちのほうとずいぶん景色がちがうわね。
Hちゃん、あれなんて名前の山か知ってる?」
 「知らない」
 「初めてみるのって、なんかうれしいわね」
 「うん。そうだね」
 前方奥に広がる連山を、お客ふたりはのん
きに眺めている。
 彼らの気楽な会話をよそに、にわかじこみ
の運転手であるわたしの神経は、今やマック
ス寸前。
 スタッドレスタイヤの音が、わたしを戸惑
わせる。
 ハンドルをにぎる手は、汗まみれ。
 バックミラーを見る余裕さえないありさま。 
 わたしはろくに前など見ていず、彼らが堪
能した景色は、わたしの脳裡をちらっとかす
める程度のものである。
 あちこち白いものをかぶっていたことはわ
かった。
 それは、わたしに、冬の高山の一場面を思
い起させた。
 つい最近、所用ありて、日光連山がまじか
に見てきた。
 ごつごつした岩肌、切り立った絶壁。
 遠目にはやさしく見えるが、実際、冬山は
人を近づけない厳しさをそなえていて、うん
と離れた谷間にいても、まるで冷蔵庫のなか
の空気にひたっている感があった。
 杉や檜を育てる低い山ばかり見慣れたわた
しには衝撃なのに違いない。
 わが車の前方に見えた山々。
 名をあげれば、赤城山から榛名山、そして
妙義山などなど。
 軽井沢にいたる我が国屈指の山系である。
 びゅううん。
 わたしの感傷をあざわらうように、いきな
り後続のランクルがわたしの車の前に飛び出
してきて、ぐうんと加速していく。
 わたしの車をぬくとき、ランクルはあまり
車間距離をとらなかった。
 ひぇえっ、ぶつかる、と、わたしは叫びだ
しそうになった。
 だが、大騒ぎするわけにはいかない。
 わたしは残り少なくなった歯をぐっとかみ
しめ、自分の感情をおさえた。
 (ゆっくり走ると、高速道路がいかにレー
ス場になっているかということだな)
 そう思った。
 「お父さん、もうすぐ前橋南だよ。よく見
ててね。あと三百メートル」
 「わかった」
 せがれは幼いころ、わたしの運転する車の
助手席にはすわらず、立ったままでまわりを
見ていた。
 前方の信号機に注意したり、まわりに危険
ないかどうか、確かめてくれた。
 人の癖というのは、あまり変わらないもの
らしい。
 わたしはほっとした気分でスピードを落と
し、ゲートに向かった。
 今度は間違いをおかさないぞ、と、いささ
か気負いながら停車。
 車から降りて、ブースの中の男の人に四百
八十円を支払うと、ゆったりした気分で一般
道に入って行った。
 「ごくろうさま。わたしじゃとても運転で
きなかったわ。さすが男ね」
 かみさんがやんわりと言う。
 喜んでいいものやら、とわたしは複雑な思
いで目的地にむかった。
 

 
  
 
 
コメント
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