その夜、敏夫は早くベッドに入ったが、な
かなか寝つけない。
眼をつむっても、今日書きだした物語の登
場人物がひとりひとり、頭の中に浮かんでは
消える。
老人、男の子、女の子。三人がそれぞれに
ああだこうだと物語の筋に注文をつける。
敏夫はとても疲れた。
彼らがあまりに活き活きしているからだ。
まだ小学生のくせに、作家気取りでこんを
つめたからだろう。
いまだに眠りに落ちもしないのに、と敏夫
は思う。
小説を書くことは、まるで雨にずぶぬれに
なった衣服を身に着けて道を歩くのに似てい
て、ほとほと疲れる気の重い作業らしい。
そんな感想を、敏夫は某大学の准教授をし
ている父の本棚の中で目にした覚えがある。
ほめているのか、けなしているのかわから
ない。ともかく姉の恭子の言葉も敏夫のいら
いらに一役かった。
ベッドの上にすわりこんだ敏夫は、じぶん
の頭を、ぼりぼりとかきむしる。
(PCを長時間見つめているだけで肩がはっ
たり、目がしょぼしょぼ。物語の中の三人の
声は音にならない。口パクだけ。なんとなく
気味がわるいや)
背景はのどかなもの。陽射しがやわらかく、
風がほとんどない。空にはひばりが飛び交い、
野原には花から花へと蝶や虫たちが蜜を求め
てそれぞれの羽を忙しげに動かす。
(昼でも夜でも夢ってまったく不思議きわ
まりないや。それらを観ているのはじぶん自
身のはずなのに、ぼくの姿がどこにもない。
いったいぜんたい何がどうなってるんだろ)
ふいに目の前に小さな蝶やハチたちが現れ
たかと思うと、彼らがだんだん大きくなって
くる。
ライトのついた部屋の中である。
敏夫は急に不安にかられ、つむった眼を開
けようと試みたが無駄だった。
いつの間にかすうすう寝息をたてていた。
どれくらいの時刻が経ったろう。
敏夫は寒さを感じ、カジュアルな支度のま
ま起き上がった。
かけ布団も何も、敏夫の体をおおってはい
なかった。
「寒いし、ちょっと走りこんでくるか」
つぶやくように言って、敏夫はお勝手から
戸外に出た。
次の日の朝、敏夫の机の上にひらいたまま
の原稿用紙に斜めに朝陽があたっている。
「としおっ、ご飯だよ。降りて来て」
姉が階下で敏夫を呼んだ。
食事のために敏夫が一階に下りてこないの
を母が心配したらしい。
そのうち、階段をのぼる姉の軽い足音がし
だした。
敏夫の部屋のドアをノックするが、返事が
ない。
「としお、入るわよ」
恭子は入るなり、ベッドの上に敏夫がいな
いのを確認すると、あわてて階下に降りて行っ
た。
「きっと、散歩にでも出てるんだろ。そん
なに心配することないよ」
父の公彦が読んでいた新聞をたたみながら
言う。
「まだ六時よ。秋だし、外は暗いし……」
母の菜月が不安げな声をだす。
「おれだって敏夫の時分にゃ、親に心配ば
かりかけたさ」
「あなたと一緒になるかしら、あの子」
菜月がキャベツを刻みながら言う。
「むりむり。だけどあいつね、ゆうべ遅く
までお話書いてたわ」
恭子が右手で、熱いコーヒーの入ったマグ
カップを持ち、左手で長い髪をすきながら言
った。
「へえそんなことできるんだ。そりゃ楽し
みがひとつ増えたぞ」
公彦がそう言って、ほほ笑んだ。
「腰かけてお飲みなさい。まったく行儀が
わるいんだから、人のことをああだのこうだ
の言えないわよ。お父さん、ちょっとは娘を
叱ってくださいね」
と、菜月が夫と娘をたしなめる。
かなか寝つけない。
眼をつむっても、今日書きだした物語の登
場人物がひとりひとり、頭の中に浮かんでは
消える。
老人、男の子、女の子。三人がそれぞれに
ああだこうだと物語の筋に注文をつける。
敏夫はとても疲れた。
彼らがあまりに活き活きしているからだ。
まだ小学生のくせに、作家気取りでこんを
つめたからだろう。
いまだに眠りに落ちもしないのに、と敏夫
は思う。
小説を書くことは、まるで雨にずぶぬれに
なった衣服を身に着けて道を歩くのに似てい
て、ほとほと疲れる気の重い作業らしい。
そんな感想を、敏夫は某大学の准教授をし
ている父の本棚の中で目にした覚えがある。
ほめているのか、けなしているのかわから
ない。ともかく姉の恭子の言葉も敏夫のいら
いらに一役かった。
ベッドの上にすわりこんだ敏夫は、じぶん
の頭を、ぼりぼりとかきむしる。
(PCを長時間見つめているだけで肩がはっ
たり、目がしょぼしょぼ。物語の中の三人の
声は音にならない。口パクだけ。なんとなく
気味がわるいや)
背景はのどかなもの。陽射しがやわらかく、
風がほとんどない。空にはひばりが飛び交い、
野原には花から花へと蝶や虫たちが蜜を求め
てそれぞれの羽を忙しげに動かす。
(昼でも夜でも夢ってまったく不思議きわ
まりないや。それらを観ているのはじぶん自
身のはずなのに、ぼくの姿がどこにもない。
いったいぜんたい何がどうなってるんだろ)
ふいに目の前に小さな蝶やハチたちが現れ
たかと思うと、彼らがだんだん大きくなって
くる。
ライトのついた部屋の中である。
敏夫は急に不安にかられ、つむった眼を開
けようと試みたが無駄だった。
いつの間にかすうすう寝息をたてていた。
どれくらいの時刻が経ったろう。
敏夫は寒さを感じ、カジュアルな支度のま
ま起き上がった。
かけ布団も何も、敏夫の体をおおってはい
なかった。
「寒いし、ちょっと走りこんでくるか」
つぶやくように言って、敏夫はお勝手から
戸外に出た。
次の日の朝、敏夫の机の上にひらいたまま
の原稿用紙に斜めに朝陽があたっている。
「としおっ、ご飯だよ。降りて来て」
姉が階下で敏夫を呼んだ。
食事のために敏夫が一階に下りてこないの
を母が心配したらしい。
そのうち、階段をのぼる姉の軽い足音がし
だした。
敏夫の部屋のドアをノックするが、返事が
ない。
「としお、入るわよ」
恭子は入るなり、ベッドの上に敏夫がいな
いのを確認すると、あわてて階下に降りて行っ
た。
「きっと、散歩にでも出てるんだろ。そん
なに心配することないよ」
父の公彦が読んでいた新聞をたたみながら
言う。
「まだ六時よ。秋だし、外は暗いし……」
母の菜月が不安げな声をだす。
「おれだって敏夫の時分にゃ、親に心配ば
かりかけたさ」
「あなたと一緒になるかしら、あの子」
菜月がキャベツを刻みながら言う。
「むりむり。だけどあいつね、ゆうべ遅く
までお話書いてたわ」
恭子が右手で、熱いコーヒーの入ったマグ
カップを持ち、左手で長い髪をすきながら言
った。
「へえそんなことできるんだ。そりゃ楽し
みがひとつ増えたぞ」
公彦がそう言って、ほほ笑んだ。
「腰かけてお飲みなさい。まったく行儀が
わるいんだから、人のことをああだのこうだ
の言えないわよ。お父さん、ちょっとは娘を
叱ってくださいね」
と、菜月が夫と娘をたしなめる。