一日休んで、きょうは草刈り。
そう思い、起きがけにグラス一杯の水を飲もうと
台所に行った。
ここ二十数年来の習慣である。
これから動くぞ。
そう、おのれの体にいいふくめることが出来るら
しい。
寝起きの、まして高齢者の身体である。
せかせかと動くと、ちょっとした危険がともなう
からである。
野良着にきがえ、
「田んぼに行くよ」
と声をかけた。
しかし、連れ合いは、見あたらない。
「気をつけて」
ようやく返事が耳にとどいた。
玄関から向かいのガレージに向かった。
鎌と砥石、それから一般ごみの入った袋を一輪車に
のっける必要があった。
両手でハンドルを持ち、一歩二歩と歩き出したが、い
かんせん、からだが重い。
「ちょっと体の調子がわるい」
「きょうは休むといいよ。その年までがんばったんだ
から。あとは無理しないこと」
「ああ……」
わたしはばたばたと野良着を脱ぎ捨て、身軽になった
身体を、すぐさま、一階の居間のソファに横たえた。
なんといったらいいか。
まるで風船のごとく、からだから力が抜けだしていく。
そんな気分になったのである。
人間のからだは先ずは五十年。
よほどのことがないかぎり、そのあたりまでは生き延
びることができるらしい。
わたしは七十五歳であるから、もう二十五年おまけに
生きている勘定だ。
あとは運しだい。
どこかに弱点があれようなら、そこからこわれていく。
それでも、医療の進歩はめざましく、かなりの部分を
カバーしてもらえるから、ありがたいことだ。
わたしが生まれ育った家族は、総勢五人。
両親と子ども三人。すべて男ばかりだった。
わたしは長男として生まれ、ふたつ離れて次男が、そ
して六つ離れて、三男とつづいた。
今生きているのは、わたしひとりだ。
次男は東日本大震災の起きた年の五月に亡くなった。
三男が身まかったのは三年前の八月。
次男は膵臓に悪性の腫瘍ができ、三男は片足の付け根
リンパが腫れた。
「おれ、がんやね」
宇都宮にデーラーで新車の商談をしている際に次男が
電話をよこした。
わたしは一瞬、どう応じていいかわからず、
「とにかくいま、子どもの車を選んでいる最中だから」
そう答えるのが精いっぱいだった。
早速、仕事の都合のついた一番下の子どもを連れ、実
家に見舞いに向かった。
膵臓の場合、気づいた時には、腫瘍がかなり大きくなっ
ていて、
「もう、どうしようもありません」
となることが多い。
しかし次男の場合、黄疸が出たり、蕁麻疹がでた。
そのせいで、手術可能だった。
胃をすべて切除してしまい、その後は不自由な生活をし
いられた。
「両脚ならな。兄貴よ、良性だったんだがな。右足の付け
根のリンパにできものができてるってよ」
三男は自分のことなのに、まるで他人事のようにしゃべっ
たが、さすがにショックを隠せなかった。
顔色が暗く、声がしだいに小さくなってかすれた。
ふたりとも六十代で鬼籍に入った。ちなみにふたりして、
愛煙家だった。
ふた親は気力で、九十代まで生きた。
はてさて、生まれて以来、ともに暮らした家族はすべてこ
の世の人ではない。
おらは弟たちの分まで生きるぞ。
そう思っている。
そう思い、起きがけにグラス一杯の水を飲もうと
台所に行った。
ここ二十数年来の習慣である。
これから動くぞ。
そう、おのれの体にいいふくめることが出来るら
しい。
寝起きの、まして高齢者の身体である。
せかせかと動くと、ちょっとした危険がともなう
からである。
野良着にきがえ、
「田んぼに行くよ」
と声をかけた。
しかし、連れ合いは、見あたらない。
「気をつけて」
ようやく返事が耳にとどいた。
玄関から向かいのガレージに向かった。
鎌と砥石、それから一般ごみの入った袋を一輪車に
のっける必要があった。
両手でハンドルを持ち、一歩二歩と歩き出したが、い
かんせん、からだが重い。
「ちょっと体の調子がわるい」
「きょうは休むといいよ。その年までがんばったんだ
から。あとは無理しないこと」
「ああ……」
わたしはばたばたと野良着を脱ぎ捨て、身軽になった
身体を、すぐさま、一階の居間のソファに横たえた。
なんといったらいいか。
まるで風船のごとく、からだから力が抜けだしていく。
そんな気分になったのである。
人間のからだは先ずは五十年。
よほどのことがないかぎり、そのあたりまでは生き延
びることができるらしい。
わたしは七十五歳であるから、もう二十五年おまけに
生きている勘定だ。
あとは運しだい。
どこかに弱点があれようなら、そこからこわれていく。
それでも、医療の進歩はめざましく、かなりの部分を
カバーしてもらえるから、ありがたいことだ。
わたしが生まれ育った家族は、総勢五人。
両親と子ども三人。すべて男ばかりだった。
わたしは長男として生まれ、ふたつ離れて次男が、そ
して六つ離れて、三男とつづいた。
今生きているのは、わたしひとりだ。
次男は東日本大震災の起きた年の五月に亡くなった。
三男が身まかったのは三年前の八月。
次男は膵臓に悪性の腫瘍ができ、三男は片足の付け根
リンパが腫れた。
「おれ、がんやね」
宇都宮にデーラーで新車の商談をしている際に次男が
電話をよこした。
わたしは一瞬、どう応じていいかわからず、
「とにかくいま、子どもの車を選んでいる最中だから」
そう答えるのが精いっぱいだった。
早速、仕事の都合のついた一番下の子どもを連れ、実
家に見舞いに向かった。
膵臓の場合、気づいた時には、腫瘍がかなり大きくなっ
ていて、
「もう、どうしようもありません」
となることが多い。
しかし次男の場合、黄疸が出たり、蕁麻疹がでた。
そのせいで、手術可能だった。
胃をすべて切除してしまい、その後は不自由な生活をし
いられた。
「両脚ならな。兄貴よ、良性だったんだがな。右足の付け
根のリンパにできものができてるってよ」
三男は自分のことなのに、まるで他人事のようにしゃべっ
たが、さすがにショックを隠せなかった。
顔色が暗く、声がしだいに小さくなってかすれた。
ふたりとも六十代で鬼籍に入った。ちなみにふたりして、
愛煙家だった。
ふた親は気力で、九十代まで生きた。
はてさて、生まれて以来、ともに暮らした家族はすべてこ
の世の人ではない。
おらは弟たちの分まで生きるぞ。
そう思っている。
人生って、自分でプログラミングして生まれてくると美輪明宏さんの本に書かれていました。
種吉さんは、きっと健康で長生きされることと思います。
少しずつ秋になりつつありますが、これからもどうぞご自愛くださいね。
この猛暑の中、一輪車で草刈りに出掛けるとうのは危険だと思います。
せめて、曇りの日の朝夕にした方が良いと思いますが・・・
お身体の声を聞いてすぐに休憩されて本当に良かったです
これからも奥様とお二人ご健康にお気をつけて ご兄弟様の分まで、そしてご両親様以上に〜もっともっと長生きされて下さいね‼︎(ちなみにうちの母は今98才です😉)
寒暖の差に秋バテしません様にお気をつけてお過ごし下さい!