油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

芭蕉に手をひかれて。

2022-05-14 08:52:44 | 日記
 山路来て 何やらゆかし 菫草

 若い頃から、芭蕉は近江を愛した。
 生まれは伊賀上野。
 少年の時分から、天賦の才につき動かさ
れたのであろう。
 琵琶湖のほとりに住んでいた北村季吟に
俳句をおそわりたくて、険しい鈴鹿の峠を
八度も越えたという。

 近江は昔、俳句が盛んだった。
 それは近江商人に負うところが大きい。
 彼らの教養のひとつとして、俳句に親し
んだからである。 
 大津市湖南市に芭蕉の碑がある。

 
 行く春を 近江の人と 惜しみける


 980句のうち近江で詠んだのは89句。
 彼がどれほど近江の地を好んだか知れる。
 芭蕉を好んだ作家・司馬遼太郎。
 彼が近江ファンになったのは、芭蕉のおかげ
である
 
 わたしが短歌や俳句に興味をもったのは、中
学二年生。
 国語の教科書にいくつか載っていた室生犀星
や与謝野晶子の短歌にこころ揺さぶられた。
 小林一茶の俳句をふたつみっつと読んだ。

 わが次男が中学生のとき、一茶ゆかりの炎天
寺のコンテストで、入選したことがあった。

 かっこうの 声聞きながら お茶をのむ

 教えてもいないのに、わたしに似ている。
 明治生まれの、わたしの母方の祖母も俳句が
好きだった。
 里芋の葉っぱに、雨露がたまり、ころころし
ているのを見て、小さいときに、俳句にしたた
めたらしい。

 彼女の句は忘れてしまったが、
 「尋常小学校の先生にほめられたやで。わた
しの母さんは大和小泉藩の奥女中だったんや。い
つも朱鞘の懐剣をふところにしてね。おまえも
がんばりや」
 いくども、少年だったわたしに言い言いした
ことである。
 
 血は争えないものである。
  
 栃木に住むことになってからは、「奥の細道」
が目の前にあった。
 宇都宮市の北部に白沢街道がある。
 黒羽市には、雲巌寺。

 芭蕉が門人曽良と歩いたと聞き、一度は彼ら
の足跡をたどろうと思ったことがある。

 俳句はまったくの素人。
 ここで一句むりやりひねろうと思ったが、やめ
にした。

 これから、基礎を学ばせていただく。
 

 
コメント (2)
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