「神は愛だ」と言われると、杖を持った白髪髭面の爺さんがまず思い浮かんで、そんな近所のちょっと品の良い年寄みたいなのがこの世界を創造した「愛」なのか?と思うと、素直に納得できない。
「愛が神だ」、「愛は神だ」ならすんなり入るんですけど。世界は酷いことも多いが部分的に、時々愛もある。愛は万物の創造主ではないかも知れないが、愛によって生まれたものもある。その貴重で儚い愛の存在を証明するために、イエスは無実にも関わらず、最も苦しく、惨めで、哀れな死に方をしなければならなかった、してくれた、というなら分かる。「愛=神」に道徳や倫理を絡めて人格にするから組織ができて、権威を振り回す輩が生まれて、ややこしくなるんじゃ?
最近キリスト教がマイブームで、アマゾンUSでカスタマレビューが多いこの本を読んでみました。カエサルの話から始まるので、最初の2~3割は塩野七生の「ローマ人の物語」のようです。いかにローマの圧政がユダヤ人にメシアを渇望させたか。ナザレの大工の息子イエスはthe Passover festivalで神殿を汚す両替商のテーブルをひっくり返し、The Sermon on the Mountで救いと愛を語り、人々にメシアの降臨かと思わせるが、結局伝統的なユダヤ教の既得権益者の反感を買い、奇蹟を起こして自分を救うこともできずに無残に36年の生涯を閉じる。
共著者の一人Bill O'Reilly によればこの本は事実に基づくノンフィクションだそうですが、テーブル返し場面など、非常にドラマチックで「見てきた」ような描写が満載で、飽かずに読めました。彼はアメリカでは有名なニュース番組の司会者だそうで、他にもKilling Kennedy, Killing Lincolnなどのベストセラーがあり、そちらも面白そうです。
イエスがユダの裏切りで捕まったあと、他の使徒達は情けないことに逃げ出した。要するに、裏切ったのはユダだけではなかった。しかし、イエスの死と「復活」の後、彼らは世界各地に散らばって布教し、ほとんどがイエス同様の痛ましい最後(beheaded, skinned alive, sawed in half...)を迎え、martyrとなったとは知りませんでした。
これに続いて文庫で遠藤周作の「イエスの生涯」も読みましたが、「イエスはすべての人々の永遠の伴侶となるために死んだ」等、心に響くものがありました。
爺さんの話は放っておいて、イエスだけで十分なんじゃないかという気がします。