女装子愛好クラブ

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1968年の女装美青年④~顔に化粧をしてやり、カツラをかぶせ、ストッキングやハイヒールをはかせ、ベッドの上で彼の飽くことのない、ねばっこい愛撫がはじまる。若者たちは、女のように声を忍ばせて泣いた。

2023年08月10日 | ★女装の本・雑誌
アルゼンチンで舞台女優に囲われていた藤島安雄は日本に帰ってきます。
そして、東京で違った形で自分の欲望を満たすのです。

彼は、日本へ帰って来た。
以来、彼は”女装”を捨てて、男になり切ろうと努力している。
しかし、女をどうしても、好きになれないのであった。
目下、彼の趣味は、新宿あたりに出て、チャーミングな高校生ぐらいの男の子を探し、言葉巧みに自分のアパートヘ連れ込むことである。
それも、童貞の男の子に限るのだ。

酒を飲ませ、彼の描いたワイセツな絵画をみせる。
理性をうしなわせ、そして欲情の火をかき立てるのである。
一緒に風呂にはいり、異性を知らない部分に彼は悪戯をする。
若者は、はじめいやがる。
しかし、安雄が接吻しだすと、抵抗をやめてしまう。

湯から上がると、あとは安雄の言いなりである。
顔に化粧をしてやり、カツラをかぶせ、ストッキングやハイヒールをはかせ、ベッドの上で彼の飽くことのない、ねばっこい愛撫がはじまる。
若者たちは、女のように声を忍ばせて泣いた。

なかには、
「あっ、ママー ママー 死にそうだよう、ママー」
と、悲痛な叫び声をあげた者もある。

安雄は、女装した美少年たちを、愉悦の絶頂近くまで導いては愛撫をやめ、しばらく休憩しては、再び愛撫した。これを繰り返すのだ。
少年たちは、気も狂わんばかりに、ベツドの上をのだうちまわり、ハイヒールの爪先を痙幸させ、ひと思いに殺してくれと哀願した。
それを眺めるのが、安雄には愉しいのであった。

相手は若いだけに、一度、その甘美な歪んだ愉悦を知ると、一夜に何回も何回も、それを求める。
安雄は、一夜限りで、あとは突き放した。彼から受けた愛撫と、複雑なテクニックとが忘れられなくて、彼のアパートの周囲を、うろうろする者があとを絶たなかったが、彼は冷たくはねつけた。
「ぼくは、浮気は一回ぼっきりの主義でね。でも、きみの童貞を奪ったのは、このぽくだということだけは忘れないでくれたまえ……」
と言って。

出所『美男奴隷』(梶山季之)

いまであれば絶対にアウトである藤島氏の行為も1968年は咎められなかったのでしょうか。
1968年の東京、美少年にとって危険で甘美な罠が待ち受ける危ない都市だったのかもしれません。
美少年を女装させて弄ぶ藤島安雄氏は1968年において36歳という設定ですから生年は1932年。
ちなみに故ジャニー喜多川氏は1931年生とのことです。


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