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小嶋つうしん(号外)

(元)大分県議会議員 小嶋秀行の徒然ブログ

スペシャルオリンピックス・大分地区競技会に参加しました

2007年10月14日 | 社会
スペシャルオリンピックス日本・大分夏季地区競技大会が、10月14日(日曜日)に由布市挟間町上の原グランドと、挟間町B&G海洋センター等で開かれました。

 私は、今回もボランティアとして運営スタッフに加わり、できるお手伝いをしました。私の今回の主な仕事は、アスリートの会場移動の手伝いと、お弁当運びなどでした。

 今回の競技大会には、約80名のアスリートとそのファミリー、大会役員を含む約100名ものボランティアなど総勢約300余名の参加がありました。
また、行政から大分県、大分市、地元由布市の教育委員会、福祉関係部門の責任者にも参加いただき、盛大に開かれました。

 年々盛大に開催されるようになりましたが、その陰には、スタッフはじめ最初から運営にかかわっている浜田英敏会長や青柳俊大会実行委員長などのたゆまぬ努力があります。

 私は、第1回大分地区大会が大分市で開催される際、教育委員会や各種団体への働きかけに加わり、力添えを頂く為のお手伝いをしたことがきっかけで、現在NPO法人化されたこの組織の評議員として関わりを持たせていただいています。

 これまでに、2002年8月15日から18日まで東京都で開催された、第3回夏季ナショナルゲームに随行ボランティア(兼コーチ)として自費参加し、アスリートの世話役を務めました。また、2005年には第8回冬季ワールドゲームが長野県で開催された折、応援部隊として加わった経験があります。

 スペシャルオリンピックス(SO)とは、知的発達障がいのある人たちの自立と社会参加を目指し、日常的なスポーツトレーニングプログラムと、その成果の発表の場である競技会を開催する国際的ボランティア団体で、1963年に故ケネディ大統領の妹ユニス・ケネディー・シュライバーが、自宅の庭を開放して開いたディ・キャンプがSOの始まりです。

 知的発達障がいがあるために、まだ一度もプールで泳いだり、トラックを走ったりバスケットボールをした事がない人たちに、スポーツを提供する。それが彼女の願いでした。

 1968年にジョセフ・PケネディーJr財団の支援により組織化され、「スペシャルオリンピックス」となり、全米から世界へと拡がりました。1988年には国際オリンピック委員会(IOC)から「オリンピック」の名称使用を正式に認められました。

 本部はアメリカ、ワシントンD・Cにより、現在約150カ国が加盟、125万人のアスリート、55万人を超えるボランティアが活動に参加しています。

 日本では、SOの理念の素晴らしさを知った人々の熱意により、まず、熊本の地でボランティアの輪が広がり、1994年に日本の本部組織として「スペシャルオリンピックス・日本」(理事長・細川護煕氏の奥様)が設立され、熊本に日本事務局を置いています。

 大分は、1995年12月に設立され、全国では、2006年7月現在、45都道府県で4200人のアスリートと15000人のボランティアが活動を支えています。

 この会の良さは、一口で言い表せませんが、あえて言うならば、人間の素晴らしさを改めて実感できることにあります。また、スタッフやファミリー、ボランティアと交わる度に、人の温もりというものを感じることができるところにあります。

 これからの私なりの努力で、卓球のプログラムを開設することを、浜田会長に約束していますが、近いうちにコーチクリニックを受けて、開設できるようにし、少しでもお役に立てればと考えています。応援できる方は宜しくお願いします。

 今日は好天に恵まれて、清々しい一日を過ごせました。SOスタッフの皆さんありがとうございました。(2007年10月14日)