ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

2人のニューフェイス登場!

2004-11-04 23:11:01 | Weblog
        ◎ 本日のキャスト

   マッキニィ・・・韓米ハーフアメリカ人宣教師、英会話入門クラス担当
   ノゲイラ ・・・ブラジル人宣教師、英会話入門クラス担当
   クリスチャンセン・・・カナダ人宣教師、後半ゲーム担当
   ランguストン・・・アメリカ人宣教師、  同 上  
   大和ノブコ・・・「古本屋」女主人、英会話クラスメイト
   六会ミチコ・・・英会話クラスメイト
      他大勢の生徒&宣教師達
   マルコ(保)・・・エスタンシア・プラザ店長
   アンドレーア・・・ マルコの奥さん
      他 従業員

早く家を出て、エスタンシア・プラザで、お遊び。もちろんポルトガル語の。
スペイン語と共通単語もあるのに、マルコをはじめ、エスタンシア・プラザの皆さん
が話すそれは、全然聞き取れないのよ。
そして、参考書を読んでいたら、その本を見て、マルコが
「この本は難しいよ。嫌になっちゃうよ。今度、もっと簡単な本を入れとくから、
それで勉強したらいいよ」ですって。フ~~~。

いらっしゃいました、同期の桜・・・戦友みたいだけど、知り合って日の浅い書店
オーナーの女性。本日お名前を知った、そんな間柄。今後は、ノブコサンで。
そして本日の、もう一人のニューフェイス、ブラジル出身、日本語・英語堪能宣教師。
イエーツの代わりの入門クラス担当。

本日のお題「あなたは何者?」関連事項を吐き出すのよ。名前から始まって、出身、趣味etc.
「質問は?」に、さっそく疑問をぶつけるノブコサン。こうでなくっちゃねえ。
「?」を「?」のままにしちゃあいけない。けれど、よく子どもに言った、
「わからない事は、先生にチャンとお聞きするのよ!」
「でも~~、何を聞いていいんだかわかんないんだよ」
って、状態になっちゃうのよね。
でもね、マッキニィが「何か質問は?」で、うっかり目が合っちゃったら、
なにもなければ「ありません」て、言うわ。わからないときは、何度も何度も、
「もう1回お願いします」ってね。

ノゲイラ宣教師は、日本人と変わらない流暢な日本語をあやつって、こちらが
ポロッとこぼす日本語も、ちゃんと理解できる優秀なブラジル人。
ノブコサンは、20年もブラジルに住んでいらした方なので、ドンドン紹介
しちゃったわ、ノゲイラにも、「エスタンシア・プラザ」の皆さんにもね。

そうそう、昨日あったばかりなのに、ランguストンが、必死に
「お元気でいらっしゃいましたか?」を、ひっかかり、つっかかり言うのよ。
「お元気でしたか?でもいいのよ」って、言ってもね。エライ!
そういえば最近、そんな丁寧な言葉を話す日本人にはお目にかかってないわね。
そういう風に聞かれたら、
「はい、お陰様で元気にしておりました」
って、応えたくなるものよね。やっぱり美しい言葉はいいものねぇ。そして、
たたずまいもシャキッとなるような、「言霊(ことだま)」って、こういうことなのよね。
言葉には力がある、という事。あばずれ語なんかしゃべってたら、外見も中身も
グズグズデレデレに崩れまくって「お行儀?そんなもの知らない」になってしまうのよ。

ミチコサンに「土曜日もいらっしゃる?」って、お聞きしたら
「土曜日は、多分無理だと思います」ですって。 そうよねえ、「毎日が日曜日」の
私のような人間ばかりじゃないのよね。ましてや彼女はお若いのですもの。

ノブコサンの、初日のご感想は、
「ちょっと宗教臭さが気になるけどね。毎週来るようにするわ」
ご紹介はしたけれど、その後は、ご本人が決める事だから、それ以上は何も言わないわ。
教会だから、お祈りや讃美歌があるのは仕方のない事ですものね。

教会に行くまで、かなり時間があったので、セニョール・ダンが、借りている菜園まで
行って、お大根の間引きをしてきたんだけど、セニョールは、間引きが思い切ってでき
ないって。わかるわその気持ち。でも、間隔をチャンとあけないと、結局いい結果は
得られないから、私はドンドン間引いてきちゃったのよ。そして、その、結構大量の
間引き菜を、きれいに洗って、樽に漬け込んだわ。明日になったら、本漬けよ。

ノブコサンと、1日48時間欲しい~~~~!って。
ホントにそう思うのよ、したい事だらけでね。

いただいちゃいました

2004-11-04 00:48:11 | Weblog
       ◎ 本日のキャスト

  マッキニィ・・・韓米ハーフアメリカ人。モルモン教宣教師
  ランguストン・・・アメリカ人、アイダホ州出身。 同上  
  古本屋の店員・・・アルバイト女性
  セニョール・ダン・・・我が夫(つま) 

無料英会話教室のパンフをお届けに、「古本屋」の女主人のところへ、本日は電車に乗って。
「本屋さんへ行って来るわね。車には乗らないわ」
「夕方には帰ってくる? マリリンを風呂に入れたいから」
「ええ、そんなに遅くはならないわ」
NHKテレビ放送「今から出直し英語塾」で、毎日の行動を、日記に書いて、声に出して読む。
その次は、書かないで、言う。それが上達を早める秘訣ですって。
フ~ン、で、まあ、やってみるのもいいかもね。で、ブチブチ独り言よ。
「今、駅に向かって歩いている。右に曲がって、まっすぐ。次は左。自動車がきたわ。etc.」
というような具合で。誰も聞いてるわけじゃないし、まあ、少なくとも、何もしないよりは
いい、ってね。もちろん、電車の中や、公衆の面前ではしないわ。そこまでは少し抵抗が
あるもの。

昔々、松本亨という人がパーソナリティを勤めていた、それこそNHKラジオ「英会話」。
なんともいえないバリトンのい~い声。私は、顔より声にいかれる女だから、ウットリ
聞き惚れてたものなのよ、十代の頃の話。蛇足ながら、セニョール・ダンは、もちろんいい声。
十代の小娘が、結婚相手は声がいい事!なんて決めていたくらい、私にとっては声は重要なのよ。
これまた、活字がなかったら生きていかれない、という従妹もそうだったって言ってたわ。
ええ、その従妹の夫もい~い声よ。
もとい!
その松本亨が言うには、英語についてね。
「まわりの人がどう思おうと、極端に言えば、あいつは気が変なんじゃないか?って、
思われたとしても、声に出さなきゃな~んにもならない。僕はどこででも声に出して、
英語をものにしました」
って、言ってたわね。言葉は、何語であっても声に出さなきゃ意味ないのよね。
「声に出して読みたい日本語」の著者も言ってるじゃない。面白い学者の彼も。
「声に出して初めて言葉は生きる」ってね。
養老孟司も、言ってるわね。「入れる」=知識の吸収、はしても「出す」=表現すること、
が大事って。脳味噌の筋肉運動で、その「出す」が少ないって。

そんなこんなを考えながら、大和駅から、そのお店に向かってたら、あちらから、見覚え
がある2人連れがこちらへ向かってきてるじゃない。
「ハーィ!」「ワォ、元気?」って、マッキニィとランguストン。伝道の帰りにバッタリ。
食事時間あたりだと、すぐ聞くのよ、誰にでも
「ご飯食べた?」
「いいえ。今日は食べられない」
「何か悪いことをして、神様ごめんなさい。ご飯は食べません、からって?」
「違うよ」
「フフフ、イスラムのラマダンみたいな断食?」
なんて、からかって、
「ミスターランguストン、日本と日本人好き?」
「はい、愛してます」
「またあ、上手なんだから。そういうのをお世辞が上手っていうのよ」
「お世辞?」
「たとえば、そんなにきれいじゃない女性に向かって、あなたは美しいって言うようなね」
「わかった。でもお世辞じゃない」
「アメリカ人は心にもない事を平気で言う、ってパックン(今や大活躍タレント。パトリック
・ハーラン。ハーバード大学卒のアメリカ人)が言ってたからねぇ」
と、心の中でつぶやいたりしてね。それでも、
「ありがとう。もっと好きになって欲しいわ」
でも、悲しいけど彼等と同等な意識で渡り合える人がどれほどいるかしら?
教養がなさ過ぎるもの。教育=教養ではない! 母がよく言ってたのよ。高学歴だと尚の事、
教養を身につけなければ、とっても恥ずかしいことなのよ、って。しかり、同感!
うっかり、〇〇大学卒なんて聞くと、
「それで?」
って、思わずいやらしく値踏みしちゃうのよ。大いなる期待を込めて。う~~ん、落胆が
ほとんど。悲しい!
最近も、「私は〇〇大学の国文科を出て、日本語にはうるさいんだから!」って、悪し様に
人を罵ったうら若いお嬢さんとお会いしたんだけど、こういう人のことよ、教育はあっても
教養がない、という人は。教養とは「恥じ入る」ことを身につけている人の事よ。多くの知識
の貯蔵があった上で、心から「まだまだ知らない事だらけの私です」って。
そういう奥ゆかしい人は、尊敬されるわね。ううん、尊敬する人も、そういう心作用ができる
って、ステキな人だと思うのよ。
ランguストンに、
「私の英語とあなたの日本語は同じくらい下手ねぇ。もっと頑張りましょうね!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あのね、なんで14才の少年が、それまでのキリスト教を非難して、モルモンに出会ったのか、
それが知りたいのよ、私は。なぜ14才?なぜ少年?なぜ?だらけよ」
「少年は、純粋です。神が選んだのです」
「フ~ン、だけどモルモンは今までのキリスト教とどう違うの?」
「知りたいですか?」
「ええ、なんでも知りたい女だからねぇ」
「はい、あげます」って、鞄の中からモルモン聖書が。
「だからって、会員にはならないわよ。それでもいただけるの?」
「はい、いいです。読んでください」
「OK!ウチの聖書と比較してみるわ。ありがとう」

私が触れた宗教は、数え切れない(忘れた)ほど。その中の一つになるだけなんだけど。
なにせ、なんにしても集団には属さない、蚊帳の外にいたい女だから私は。
集団の怖さと、危うさを知ってるから、属さないのよ。
でも、なぜ、人は宗教を求めるのか?今、神も仏も死んだのにって思ってる私だから。
でも、次から次へ現れる新興宗教。エホバの証人も、モルモン教も、日本人信者達は、
ちょっと変。・・・って、マッキニィに言っちゃったわ。やっぱり白人コンプレックス? 
それが狙い目なのよね、とは言わなかったけれど。
帰国したイエーツには言ったわ、前に。「世界戦略の一つよね、無料英会話は」
それにしては、「戦術」がお粗末だけど。

「イエーツが、帰っちゃったでしょう。明日は誰が先生になるの?」
「まだ、決まってませんが、ブラジルから、日本語と英語が上手な宣教師が来ました」
「ホント?楽しみに伺うわね。じゃ、明日!」

古本屋の女主人はお出かけで、アルバイトの女性が、せっせと発送準備を。
インターネットのホームページでの売上の方が大きいのですって。
そうそう、「自費出版承ります」って、看板に書いてあったので、
「出版の注文あるの?」
「ええ、ボチボチ。こちらのオーナーも出そうか、なんて言ってますよ」
「色々お書きになる方なの?」
「ブラジルに住んでた、その間の、あちらの風習や出来事なんかを、書きとめようか
なって、言ってましたね」
「ああ、それはいいことね」

フラ~ッと見せてもらって、
「今日は買わない!って、かたく誓って来たのよ。じゃないと、誰か~、私を止めて~!
になっちゃうので。それでもいい?」
なんて、言わずもがなのことを言いながら、ハタと停まった和とじ本。手にとって見たのは
初めて。吸い寄せられちゃったわ。けれどもかなり高額で、おいそれとは手は出ないシロモノ。
大正時代に書かれた古典ものも。 もう、ダメ! 早く帰らなきゃ!後ろ髪引かれながら帰って
きて、シーズー犬の入浴の手伝い。今日もまた、中身の濃い1日だったわ。幸せ~。
手ぶらで帰ってきた?ハイ、1冊買っちゃいました、なんてこともない本を。フ~~ククク。

   ☆ 本日の言葉・・・「声に出して読みたい日本語」齋藤孝著