木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

早苗並び立つ

2022年07月03日 14時50分59秒 | 棚田

早朝には少しひんやりとした空気が流れている。初夏特有の湿った重苦しい暑さでは無いようだ。この季節、油断すると体調を狂わせやすい。暑さ、ヒンヤリ・・・・の変動に体がついていかないのだ。風邪など召されぬように、ご注意あれ。まだ仲間達が出動しない農園を彷徨っていると、彼方此方に早苗が見受けられる。どうやら先週中位で当地の田植えも終わったようだ。ほぼ連日農園には出向いていたのに、田植えの賑やかさは感じないままだった。従前のように、大勢の方々が田圃に入り込んでの田植え作業・・・・・といった光景は無くなった。田植機が走り回り、見掛ける人影はせいぜい2名程度。田植機を操作するオペレーターと苗を補充するアシスタント位だ。師匠宅の田圃も何時の間にか田植えは終わっていた。どうやらサラリーマンの息子氏が仕事の合間に片付けてしまった模様だ。

聞くところによると、稲作で田圃に入るのは年間10日~20日程度とか。苗のJA購入や機械化による時短或いは省力により、僅かな日数で米作りは終了するそうな。そりゃあ、田植えの賑やかさも感じないままであろう。江戸時代の、全てを手作業で行っていた稲作が懐かしくもあり、思い出深い作業でもある。激しい労働だったとは思うが、収穫への期待と思いが作業に耐えさせたのだろう。収穫の喜びに天地に感謝しきりだったかと思う。今は短時間で収穫可能な故か、作業は楽になったが喜びは減少したようだ。何が良いのか悪いのか。

初夏の農村風景だった、田圃とツバメとのコラボレーションは見られ無い。当地にはまだツバメの飛来は無さそうだ。それとも別の地域へと鞍替えをしてしまったのだろうか。農家風建物が減少し、民家から軒先が無くなってしまった。人と共存して安全を守るツバメにとって、当地は生存不能な地域となってしまったのかも知れない。ツバメの姿は明日の我が身かも、そう思うと・・・・・・寂しい限りだ。健気な早苗たちは、微風に揺らぎながら懸命に生きようとしている。秋の実りへと、与えられた使命を全うしようと必死なのかも。今年の台風は如何か、襲撃の無い事を願っているのだが。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ゴーヤを植えよう | トップ | サツマイモの定植 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

棚田」カテゴリの最新記事