鉄道模型工作記録帳

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恒例!北海道廃車体ツアー2011E

2011-09-09 00:25:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

豊富を後にして、

枝幸町に向かます。

情報が途絶していた物件を見に行くためです。

18件目

の前に。

元駅前旅館だった「一級食堂」で腹ごしらえです。
なんせ、飯には物凄く五月蝿い、過剰に五月蝿いわたくし。
友人たちの呆れ顔をよそに「絶対汎用コンビニ弁当なんて嫌!」
と、

あのね、本当に呆れられているんです。
しかも「絶対ラーメンは嫌」ときたもんだ。
わたくし、ラーメン嫌いなのです。

それだけで選択肢の1/3は消滅するもんですから本当に手間とウンザリする男と思います。

目指すは「定食屋」
地雷であろうとなんであろうと、地元の手作り定食屋が一番と信じて疑わないのです。

「手作り定食屋には件数の分だけ味付けがある」

全国チェーン店や、味に妥協するような安易なチェーン店が大嫌い。
(そういう意味では函館のラキピとハセストは奇跡のチェーンです)

まぁ、ハセストはセイコーマートに買収されちゃったので、若干アレですけど。

うだうだはさておき、
この定食屋。
賭けたぞ!


早速「北海道拓殖銀行」のマスコットがお出迎え。
コレは行けるww

北海道拓殖銀行では口座を開くと、実に様々な種類の熊のキャラクターナイロン製貯金箱をもらえたのです。
数百種類あると言われています。


実に幅広いラインナップに迷います。
「ホタテカツ丼」があったのですが、シケのために一昨日から無いそうです。
なんという新鮮。

この心意気、気に入った。

無理に冷凍で妥協しなくっていいんだよ。無いなら無いほうが、あった時の良さは格別というモノ。


仕出しもやっているなら期待できます。

北海道では、葬儀や法事のたびに、割と豪華な折り詰めをいただくのが慣習です。
旨い仕出し屋は生き残り、安く不味い仕出し屋は淘汰されるのです。
(葬儀系折り詰めって安くて一食3000円や、普通に8000円はくだらないくらい豪華飯です)



天丼をいただきました。
ボリュームが凄いです!

タレが割と少なめですが・・・・?


いやね、これが非常に甘じょっぱくて旨いタレでありました。
ちゃんと地店で作っているのか、タッパから掛けていましたよ。
嬉しいじゃぁあーりませんか。


ごちそうさまでございました。
友人も喜んでくれて掛けには勝てたw





コレを見に来たんです。スユニ50 515。
これは2005年の姿。
昔はキハ27も繋がっていたんですが・・・。




で。

はい、消えたー!!!!!(TдT)

またしても消滅物件です。
実に悲しい。

で、旧歌登町に向かいます。
枝幸町内になっていますけれどもね。

町営軌道の車庫です。
19件目でしょうか。
この横には

画像が乱れていますが、こんなのが15年ほど前の最近までありました。
が、今はありません。

20件目
うたのぼり健康回復村に参ります。

あった!


2004年の姿。


2007年ころに一度塗装が修復されていてから5年余り。
ここには4回ほど来ていると思います。












ご堪能いただけましたでしょうか?

次。


21件目
美深のトロッコ王国。
残念ながら雨でパス。
サハネはあった模様です。

22件目
下川町のキハ22の2連

2002年


これは2009年時。
ここも4回は来ているんじゃないかな。


これは2010年次。
丁度、お祭りの時。

そして

ことし。
えらいゾンザイな撮り方だなぁww
車から降りもしてません。
もう飽きた?


特に変わりはありません。


下川町から今度は友人UDの願いを叶えるべく


これ・・・?

旧式の横断歩道があるそうで。
それを見に来ました。

水はけを良くするために、いまはサイドラインがないそうです。

え。

そーなんだ。


廃車体ツアーも12年目になりマンネリ打破には珍百景も含んでいくのかもしれません。
珍百景なのか!?


うむむ。

さて23件目
2000年


2002年


2005年


2009年


そして
2011年

なぜだか途中でテールライトが復元されたり、無線アンテナがついたり、塗装やレタリングが良くなったり、少しづつ原型に戻っていく不思議なキハ27


この不思議なスタイルと変遷の西興部のキハ27-109です。


と、DD14-302のラッセルヘッド。

24件目

そうです。苗穂工場キハ183-501です。
西興部から一気に札幌に戻ってきました。

今年はコレにて終了です。
全道各地の廃車体、貨車のダルマは除くと殆ど見ていきました。
数は数えておりませんが、100件200輌はあるんじゃないでしょうか。
今年のツアーでは消滅物件が4件となりました。

あとは
旭川に3件の気動車貨車
釧路に1件の自動客車
北見に1件の気動車
空知地方に1件の貨車の噂
渡島地方に1件の気動車の噂
十勝地方の山中に1件の客車の噂
石狩地方に1件の電車の噂と気動車1件、さらに1件の貨車の確定
ぐらいになりました。
個人完全格納と言われる一部は知っていても厳しいと思いますがあとはほぼ見て回れたんじゃないかと思います。
来年は何処を確認しに行きましょうか。


お別れの時間です。















ひとりははまなすで離道し



もう一人は

車で船に乗って離道して今年は終了と相成りました。

今年は2泊3日で1750kmの走行距離でした。
あまり多くない距離かもしれません。
(猛烈工程期は2600kmという壮大な移動をしたことも)

車はホンダステップワゴンスパーダ2010年式。
初代は平成7年レガシィワゴン(2000年)、2代目はKWの平成3年レガシィワゴン(2001年~2004年)、3代目はKWの平成6年レガシィワゴン(2005年~2008年)、4代目はUDの平成3年キャラバンロイヤル(2009年~2010年)、今回が5代目のツアーカーでして、最も燃費が良かったです。
リッター12.2キロはなかなかの好成績。

燃費も重要なファクターです。
ただ、乗り心地はキャラバンが最高でして、燃費は極悪でしたが。


考えてみれば私は廃車体の系統立てた記事は書いていません。
なぜなら、「最新同時期情報」として纏められないからです。
1週するのに12年掛かってもやりきれておりません。
確かに何回も訪問したところはありますが。

いつか書いてみると良いのかもしれませんね。

それではまた来年も行ければいいですね・・・。




  ↑
「廃車体」というサーチが毎日10件はあるこのブログ


恒例!北海道廃車体ツアー2011D

2011-09-08 01:53:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

翌朝。
私とMYは割とグロッキー。
そらそうよ。

3日目。
疲れが見える3日目。

16件目に入ります。

美深の道の駅。


このようなものが


あるはずなんですが


ハイ消えた!
真ん中辺りにありました。

次!!

17件目

豊富駅です。
まさに北海道縦断!



オエ61
北海道最北端かもしれない廃車体。


状態は良かったんですが、かなり劣化が進み危険信号です。
補修するなら今がラストチャンス!というレベルです。




・・・。
張り替えたい・・・・。

まだ台枠は強度を残し、車体も外板腐食以外は丈夫です。


空気配管をサーチします。




執拗にサーチします。












大分判って来ました。


ボルスタも。


現役車両もパチリ。


逞しい走行音のキハ54
本当に逞しいエンジン音です。
500PS2軸駆動の凄いやつ。
クーラがないだけで北海道型としては現在もなお完全体。





  ↑
明日本年の最終回。


恒例!北海道廃車体ツアー2011C

2011-09-08 00:44:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

登別で一泊の後。
車は北上を重ねます。
各地に廃車体はあるのですが本日は上川方面に行く予定にしていたため、「変化のあったもの」「実はまだまともに見ていなかったもの」を中心に駆け足で回ります。

8件目

岩見沢市の「岩見沢さくら南公園」のD51とC57です。
あまりにも大街道そばにあるため、12年ここを通り続けてもまともに止まったことがありませんでした。


C57-144
基本的に非常にノーマルな北海道型C57だとは思います。
パッと見、特に「これはこの機体ならではだなぁ!」と思うところもありません。
デッキの逆U字手すりとか、切り詰めデフなども北海道型ならではではあります。


色もともかくとして、あまりに普通のスタイルであるので今までスルーし続けていました。


「色はともかくとして」状態もとても良く、綺麗です。


何度もイイますが「色はともかくとして」


同場所のD51-47です。


これもナメクジスタイルですが、北海道保存車ではナメクジはそう珍しいものではなく、神居古潭駅跡(D51-6)や札幌市発寒(D51-11)、新得(D51-95)にもナメクジがあるので食傷気味にはなります。

北海道には4台ものD51ナメクジが保存されていますが、どうしてこうしてすべての状態が割とよくて標準型美麗のほうが珍しい状態です。

9件目
一気に留萌本線沼田町方面に入ります。

これは移動物件ということで、過去は役場近くの市街地にあった「留萌鉄道(昭和鉱)クラウス15号」です。
30代後半以降の方には「トミースーパーレール」で手にした方も多いと思います。


現在は沼田町ほろしん温泉ホタルの里に移動しております。


2002年ころの姿。
この当時も立派な上屋と立派な設備であったのですが。


更に立派な施設に格納されて、本当に幸せな機関車です。

以前もそうですが、お願いをして

引き出していただくことが出来ました。
ほろしん温泉のスタッフの方に感謝です。


影の主役、アント君です。


1970年製!実は地味に彼も頑張り屋だったりします。


走行距離は31.2km




ここから舐め撮り開始です。


というか、ブログで全公開すべきか迷うくらい、詳細に100枚近く撮影しました。


今回は全公開は見送り、印象的な部分で抑えておきます。
「とにかく撮り切った!」

いつでも走り出せそうなコンディションです。
全て油引きされており、本当に直ぐボイラに火を入れたいくらいです。




素晴らしいですよね・・・。




クラウスの特徴とも言えるそうで、サード水タンクが台枠に抱えられています。





















見学が終わると


このように収納されました。


このとなりの


炭鉱記念館も必見です。






炭鉱の記念品がずらっと並ぶ中。


留萌鉄道コーナー!






そしてかなり精密、いや、作品レベルの昭和炭鉱Nゲージレイアウトがあります。


見事です。








チビロコをかなり「いや、そこまで普通の人わからないでしょ!」ってくらい改造したクラウス15号と17号が「走りまわります」

単純にチビロコを塗っただけではありません。



ぜひご見学ください。


このほたる学習館が兼用です。
が、

私にはチャ○ネにしかみえなかった邪心ものです・・・・。

10件目
深名線沿線に

遠巻きに9645を確認。
解体されたのではないか?という情報を確認しに行きました。

異常なし。直ぐ時間が迫っているので退散です。

旭川市内に入り
11件目


ある会社の倉庫として利用されている

キハ22-136です。

ご許可を頂き、見学させて頂きました。


おお、車体だけではありますが、錆落ちているものの部品はほぼ完璧です。


ジャンパ温め用の


温水パイプもよく解ります。

「中も見ていいぞ!」
と促していただき・・・


お、倉庫w





つり革一本!

誠にありがとうございました。

次。
12件目
不明物件として「もう解体されたんだろうなぁ・・・」と思っていたら存在情報が出てきていた

ん?

「あった!!」


スハ42-70です。
元の所有者の方にご相談したことがあり「売っちゃった」ということで微かに期待はしていたのですが。まだ有りました。


残念ながら営業中ではあるものの、関係者の方が居らっしゃらなかったのでお外から。
こちら盛業中でございましたので、いずれ。
自動車貿易業の事務所のようです。

13件目

あ・・・居た。
キハ22-119の・・・ちょっと悲しい姿。


角度無理したズーム&トリミング。
ええっと。
解体直前かもしれません。

重機の腕が乗っかっています。
屋根ボコボコです・・・・。

時間がないので次。

14件目

旭川通運機関車の確認。

今年については変化なしでした。




行き止まりの道にあります。

15件目

旭川市南部にあるオエ61-301・・・オロ35改造車。

と、2件忘れてしまった。
もう2物件あったんだけど・・・・



何故か模型店に立ち寄って


西條百貨店名寄本店で飯を買って


名寄の温泉でまたも運転会。


バスコレもよく登りますね!


ちょっと感心の登坂力。
バスボディは「道北バス!」


ナイト撮影会!


「畳の上とは思えないでしょ?」
LED街灯を作った友人KWはこのとき眠りに轟沈。
このシーンを作った盾役者ごめんさい。
友人MYと夜中まで悶々と撮影会は続いたのです。


ほらw畳の上ww



  ↑
てけてんてんてん



恒例!北海道廃車体ツアー2011B

2011-09-07 00:56:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

初日の午後に入ります。
この日は札幌を出て、豊浦~八雲町~流山と続いています。

大沼公園の程近く。
に凄いところを見ることが出来ました。

SLギャラリー「ポッポ爺」大沼
電話番号0138-67-3335
亀田郡七飯町大沼町762-2
函館本線砂原支線大沼駅 徒歩3分
函館本線大沼公園駅 徒歩20分
開館10:00~17:00(不定休)


目立つんです。
で、ひょいとおじゃましました。


「ぽっぽ爺(や)」


普通のお宅を改造した個人博物館です。




屋外プラレール!

で、中に入りますと・・・・

唖然呆然吃驚仰天。

え!!!???
凄い!

元々横浜でデザイナーとして活躍されていたオーナー様が、5年前大沼移住を決意。
この博物館を建設されたそうです。


24歳の頃に鉄道に目覚め、鉄道写真を中心に深いコレクションの収集に励まれ、この一同に集めた展示をされたそうです。


お髭のキュートなオーナーさんは蒸気機関車に非常に愛情を込めて建築を決意したそうです。

いや、凄いです。
Nだけだから、HOだけだから、トイは・・・なんて言う御託いりません。
それだけ圧巻の鉄道模型博物館です。


本当に凄いんだってばww




何処を見てもSL模型がぎっしり。










どさくさ紛れに

拙作DD1001入線!


ついでに友人MYのDL55も入線!


ランデブー走行をさせてもらいました。




ここ、北海道旅行に来た際は必見と思います。
真面目に凄いです。
楽しいです。

ここは予定になく、不意に見つけた場所故に驚きました。

入館料100円です。

オリジナル写真集も必見。ベストバイアイテムと思います。
(公開を許可いただき、詳細をブログ掲載させて頂きました。)


さて次でございます。
5件目

函館市ききょう幼稚園。
園長先生様にご許可を頂きたくさん見させて頂きました。

まぁ、この一枚でも凄いのですが、幼稚園に鉄道車両を情操教育に利用されております。
過去はキハ27などもあったとの噂もあります。
平成に入り車両を入れ替えて今に至ります。

・クモハ781-2


・サハ780-4


・モハ781-4


・クハ780-2


・オハ50-5003


・オハ51-5004


・オハ51-5001


・入れ替えスイッチャー06-28-01-004



番号不明ワフ


あひるの「ポチ」
※このあひる、凶暴に付き。

立派に外敵から守っている護り鳥。
はい、敵認定されました・・・。





えーーっと、雨樋から170mmに


30mm白帯っと・・・


裾から475mmに


幅200mmの白太帯っと・・・

念願の50系5000番台帯を計測させてもらう。


いろいろ・・・


計測・・・。




イメージの確認っと・・・。






正面のR具合はっと・・・。
ああ、空が綺麗だ。


飛び出し具合・・・。


園長先生ありがとうございました!!!!

このあと激しく攻撃されました・・・・。


お昼飯が遅くなりましたが、函館グルメに舌鼓を打ちます。

ハセスット!
ハセガワストアです。

ただのコンビニではないんです。
ここの名物。


やきとり弁当。


何故か異常に名物化している焼とり弁当!

「 で も 何 故 か 豚 串 」


コンビニに展開される焼き鳥の焼き場。
そして、豚バラ串しか載っていない「やきとり」




ガンガン焼いております。


秘伝の甘ダレに漬けて


できあがりー!


うまあーーーーーーーーー

やきとりなのに、「豚!」


細かいこと(・ε・)キニシナイ!!

続いて

マクドナルドが裸足で逃げ出した(本当)
地元強力バーガーチェーン
「ラッキーピエロ」!


うっまーーーーーーーー。
大ボリューム!
うっまーーーーーーーー!

これでも小さいほうだぞ

うっまー!じゅーすぃーーーーーーー!

この2店を食わずして、函館語るべからず。

6件目

一点普通の廃車体見学。
上磯の5号機。


上磯セメント万太郎線を走っていたクリーム色の各種機関車で唯一残っている小型電気機関車です。
本当は9号機関車か10号機関車が大好きだったのだけど・・・。
1984年くらいまでは少なくとも残っておりました。


電磁ブレーキなど、結構ゴツイ装備です。







7件目
木古内手前の

灯台列車ペンションききょう。
オエ61とオハがあった。
7年前には確認していたのですが。


無くなっておりました。


入口に行くとオマケに廃業されているような様子でした・・・。

解体と見て良いかと思います。

直ぐ上は海峡線です。

この日はこのあと木古内でオハフ51-5004の救援車を見たかったのですが、
蔵の中にあり撮影断念。


登別第一滝本館の宿に入り、簡易運転会で盛り上がったのでした。





先日のRMMに載せた車両たちで遊んでいます。


おいおい・・・。


友人KWによって持ち寄られた手作り街路灯。
これ、すごくいいです。
(ヤフオクで小遣い稼ぎに400円で販売中だとか)


KWのお手製ポイントマシン。
左旧型、右新型。




  ↑ザ・お座敷運転会!


恒例!北海道廃車体ツアー2011A

2011-09-06 23:36:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

毎年恒例行事となりましている北海道廃車体ツアーが今年も敢行されまして。
参加5名の模型オタが車で北海道を駆け巡るという2泊3日の旅であります。
2000年から今年で12回目!

さて、
今年は。
(0時までに100枚アップしたいのでアップが先で記事が後に部分があります。)


出発は全員集合が午前7時でして。

一軒目
豊浦町のD51-953
元胆振縦貫鉄道の私鉄発注D51として知る人ぞ知る存在です。
数年前まで割と放置されて荒れていましたが、有志の活躍で解体検討も吹き飛ばして綺麗に修復された機関車です。

図書館の横にあります。


ぱっとみ普通のD51ですが・・・?




煙突をご覧アレ!


ギースルエゼクター式の煙突の貴重な生き残りなのです。
「汽車のえほん」でもピーターサムが途中からこの方式の煙突を取り付けていましたね。
「だれだ、僕の折角の煙突をぺしゃんこにしてしまったのは!」
とピーターサムが怒っていても
「これは新型の煙突だ」
と取り付け、
回りの機関者から笑われながらも、いつの間にか「ピーターサムは息切れをしなくなったんだよ!あの魔法の煙突が原因らしい!」となって誰もが羨んだという煙突です。





キャブは新製の頃から密閉型です。
(うろおぼえ)


と言っても、実際は密閉とは程遠い構造ですけどね!



2003年訪問時。


かなりクタびれておりました。
このあとに解体発表がされて、撤回されたのです。

2件目
八雲町市街にあったオハ51二車体半分づつ。
という物件があったのですが、解体されたのか消失していました。


3件目
こちらはちょっと驚きの展開。
二海郡八雲町富士見町7の「カラオケ いさみ」さんを経営するオーナー様の「 ご 自 宅 」です。
公開可ということで、「お店の方の住所を」公開致します。


え・・・?


じゃーん!
オハ51、それも3扉改造の41号車改造の「ご自宅」です。
鉄オタとしては羨ましい限りですが、オーナー様は「鉄分全くなし」で、たまたま勿体無いからお引き受けした物件とのこと。


お店で成功され、ちょっと離れた故郷でトマトを作るための小屋からスタートしたそうです。


2003年訪問時。

室内もご案内いただき・・・


千客万来用に様々な快適装備に改造されています。
座席などはあちこちの博物館に寄付されたとか。


川側外もこんな感じ。
様々な「勿体無い」を集めて「トイレ4箇所風呂3箇所!」
にご自慢ハウスになりました。
3扉の試作的改造のオハ51-41はこうしてオーナさんに徹底的に改造して利用され末永く使用されることでしょう。



網棚改造のキッチン棚



オハ51-41の反対側は



川がいい感じで流れております。


全部で2車体3番号からなります。
こちらは

オハ51-48の半分を活かした部屋。


関係図。

で、こちらはゲストハウス。

オハ51-5と読み取れます。




こちらの関係図


下は2003年


設置当初1999年の鳥瞰写真。

ここから4棟13部屋の構造が改造開始になったということ。
大変フレンドリーなオーナー様で、約1時間歓談させて頂きまして、お手製のトマトも頂きました。
美味しかったです。
ありがとうございました。

2003年訪問時。
かなり今より建築がまだ進んでおりませんでした。



今年


2003年同地点

建て増しされているのでした!
外袋位置が同じ場所であることを示しております。

3件目

流山温泉駅の


北海道新幹線開業への願いを込めた200系保存車両です。

多少の塗装傷みはありますが、アルミ車体なので腐食はなく、前2両は塗装メンテナンスもされているようです。

東北新幹線も

北海道式改造?が施され、外付け雨樋がw

一番奥の車両はかなり傷んでおりますが、車体は錆びないので大丈夫でしょう。






原型保存例では地味に唯一かもしれないグリーン車。


続いて同じ敷地にある51系5000番台3輌です。


オハフ51-5001



オハ51-5002



オハの台車は

TR217の空気ばねに改造されています。
ブレーキシリンダーが台車装荷ではないこの形式は、北海道では若干珍しものです。
元々14系座席車の早期廃車分から転用されたものです。
オハ14-522などが早期廃車組です。

あと、
意外と知られていないオハ51-5003

この車は敷地の最も中にあるので、お風呂を利用しないとわからないかもしれません。
外からフラっと見ただけでは見えないところにあります。



5003はこのようにロビーから見えて、


近寄ることが出来ます。

新設当初に来たときはピカピカでしたし、休憩に利用されていましたが、レストラン休業に伴い休憩場が余剰となったため現在はあまり使われておりません。



設置当初


2003年です。


こちらは奥の車がまだ森に飲み込まれていませんでした

  ↑初日午前中はこんなところでした。


【資料】名鉄870こと札幌市電A830

2011-08-26 05:23:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

お仕事から帰宅時間5時15分。

さすがに眠い上に9時出社なんで工作はお休みです。


ということで写真集です。
A830が見たくて岐阜に入ったのは既に8年以上前廃車直前とはつゆ知らず。
というか、廃止表明の数カ月前のはずです。


もっと追いかけたり室内を撮影しておくんだった!!!!


アフター・ザ・カーニバルもイイところです。





若干前の姿。
よくみると方向幕が終焉直前では変更されています。

ミラーも停車警告灯もなんと正面から見て左側面前方ドアすら最期に追加されているんですね。


札幌人から見ると、先頭形状はとても格好の良いシルエットなんですが、普通に考えると不気味かもしれません。
また最終改造はこの車の魅力を尽く失わせてしまっています。
この写真ではドアがありません。
ドアがあったように埋められていますがA830にはここでドアはなく、
むしろ前年製造のA820にはあったのです。

個人的には完成形と呼ばれるA830より、シンメトリーな側面のA820のほうが好みです。


巨大なパンタは逆に欧風チックで愉快なところです。


A820の解体済み廃車体姿。
ね?ドアがあるでしょ?


中央ドアも「片引2枚扉」のA830に対して、「両開き」でした。
こちらのほうがスタイル的には整っていましたが、札幌市の連接車・連結車は幾度も乗降方式が変更となり、形式によって扉枚数が異なったりするのであります。

個人的には後部車両後部に逆溜りの出来るA830の其れより、それ以前のスタイルのほうが良かった気がするのですが、お客は前半分から乗って後ろに吐き出されるスタイルから、全く逆の後部車両中央大型ドアから乗車して、編成中央で運賃支払」の前車両で自由下車する「パッセンジャーフロー方式」に到達するにあたり、A830では後部ドア一枚が略されたはずです。

つまり後部車両の客は未収金乗客で、前部車両の客は収金済み乗客ということ。

最後部から乗って後部車両大型ドアから降りる不届き者を抑制するためなのかもしれません。




  ↑寝る!!!


名古屋臨海鉄道のメモ書き。

2011-07-08 00:22:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

白灰状態です。

完全に東京の梅雨に負けました。
土曜日に帰ります。


名古屋臨海鉄道東港機関区です。
以前の見学記は
http://blog.goo.ne.jp/komume1973/e/e178a84163e3e29b28c2ff560e7ece46

専用線萌えのあたくしは寝ぼけを奮い立たせて萌え萌えです。


倉庫のワキ5000
色あせかと思ったら極めこの色に近い色に適当に塗ったくったそうです。
近くで見ると塗装垂れが凄いすごいw


3rd予備機のND5526
現有機では最後の自社発注一次型ですが、ものすごーく不調の釜で、予備機としてももう計算されていないとのこと。


そらもう40年にもなろうとしている重機ですからあちこち不調になるのが致命傷になりますね。



苔も生えています。


名古屋臨海当色は某臨海鉄道のカラーが良さそうだということで持ってきたとそうだそうで。
青の色調は違いますが、やっぱりそういうことだった模様。


驚いたんですけどね。


グリルの様子を
見てください。
溶接が点付けなんです。

きちんとしたはめ込みとか、連続溶接と思い込んでいた自分には驚きでした。

ちなみに最新鋭ND60も「車体ボンネットの周辺は点付け」だそうです。
名古屋臨海さんも納車されて吃驚だったとか。
「なんでこんな粗末な溶接!」と類似した感想だったとか。

ちなみに日本車両でも橋梁関係の部署で制作されていたそうです。
「溶接強度があればよい」という真割り切った工作ですね。

これだから産業機関車は萌えるんですよ。


ND5529は予備機の中でも稼働率が比較的高い存在だそうです。
故障個所は少ないものの、一部に修理不能な部分も出てきておりそれによって予備機になっているとか。


夏は灼熱
冬は酷寒

だそうで、いやぁ、そうでしょう・・・
現実に動かしている方々はこのような粗末?なキャブで何年も働いてらっしゃる。


DD13系の車内って、半分はがらんどうなんですね。
DE10がギッちり2セットの運転台を持っているのとは大変対照的です。


正面窓も、実は中2枚で大きさが異なっているのは初めて認識しました。
ワイパー分、運転台側窓が両サイド小さいんですね。


いろいろお疲れのエンジン。


名古屋臨海の特徴であるヒトツ目のシールドビーム。
N模型にするとなると案外このギリギリ前端設置が難しそうです。


ケーシングには結構な隙間があり、雨水は入り放題のように見えます。


ステイも芋付けと言うのが意外です。
というか一度取れて再溶接したような跡も見られます。






ND5529はマフラーカッターという追加部品が取り付けられていたことがあり、そのあとが煙突の異型に洗われています。


なかなか見ることが叶わなかった部分です。
この異型の煙突カバー、実は垂直で、オリジナルが傾斜流線型に比較して実務的形状となっております。
しかもヒト周り細い。


屋根周り。


実は自社発注機には信号炎管がありません。
室内に穴準備はされていますが、開業以来使用例はないようです。



放熱ファンの回転目印は、塊状です。
国鉄JRでよくみられる回転を見やすくするための廻り飾りは、どうも他私鉄でその飾りに巻き込まれ事故が発生したらしく、現代では廻り飾り撤去がトレンドだそうです。

苗穂工場ならワッシャー溶接した三つ葉のクローバー型とかありましたが、こちらでは撤去されているのですね。

回転が解るようにしたはずが、ヒヤリハットで済まず事故になっては改善対象になりますね。


ボンネット。
手すりの大きさが確認できます。




手すりの飛び出し加減は結構注目ポイントでした。


換気口。
ここがこんなに鮮やかに開くのも、あまり知りませんでした。
特に水シールがしているわけではないようです。


名古屋臨海独特の片詮式重連ジャンパ。
ここの接触が悪くなることもやはりあるそうです。
考えてみれば数十年経過した電気カプラーってそのままでまともに維持できるはずがありません。
手入れに苦労されているんだと思います。


DD13そっくりなようで、左ボンネットの付け根にあるグリルは国鉄タイプと異なるそうです。


こうしてみるとヘッドライト以外にもボンネット通気口(さっきの点付け溶接プレス板)、台車のほかにも微妙に異なる部分があるようです。


よく見ると、デッキステップが左に映っているND5527とまるで異なります。
5529は国鉄類似ですが、5527はほかの自社発注機t同じ形態です。
これは結構自社で作り直しているらしく、かなりのバリエーションが生まれているそうです。

要は登れれば良いのでファン以外は気にもしないところでしょう。


ND5526はさっきのボンネット通気口が後ろ2台と異なります。
見えるかな?


時間の都合で舐め撮り出来なかったこちら。
検査待ちのND55215と休車のND55210、廃車のND55217です。
55217は以前8年前に居た時と同じ場所にありました。
知多ジャパンエナジー専用線配置後、そこの仕事終了とともに除籍されたそうですが、まだ姿が残っております。
手前の215は今では珍しい日立製DD13ですが、今回かなり修理個所があるようです。
ほんとうに普通に走っているようでたくさんの老朽化との闘いがあるんですね・・・。


ND5529についていたのはこれです。
煙突が同じですよね?
手前のND55210は本来これを積んでいましたが、煙突カバーも原型に交換しており、あとは屋根上のボルトだけになっています。

ND5529の銘板




容量の小さな燃料タンク。
両脇のエアタンクは長い2本ではなく短い2本×2の4本のタンクになって居ました。






廃車から取り出した台車は予備や検査時の仮台車として使用。

ちなみに自社発注台車と国鉄台車ではボルスタの凸凹が逆だそうで、自社発注が台車から凸。国鉄が台車に凹だそうで、共用できないそうです。




自社発注の台車




上から
ND5529
ND5527
ND5526
全て配管が異なります。
しかも外見から解りにくいいのですがND5526の台車は形式が違うそうです。


とまぁ、なんとも変な撮り方しかしておりませんでしたが8年前に比較して
ND552 2.3.5.12.18が消えていました。

その代わり217は解体されていたと思っていたら残って居ました。
(5521と55211は当時すでに廃車で消えてました)

変形機のほとんどが消えており自社発注機に国鉄後期型ボンネットを乗せた5523や、イコライザー台車のヒトツ目のはずなのに後期型ボンネット&後期型台車からエアタンクを外した独特な姿だった55212などは消えていました。
結構な数が消滅していたのは衝撃的。
その代わりND601、602が入っているのですが、これらは60t機ではなく64t機。
燃費も2割以上良く、引張力もほぼ倍。
それはもう主力交代するでしょうし、重連運用などもあったときを単機に出来るのかもしれません。

性能もハンプ時代は割と良かったものの、現在のように突放をしなくなってからは発信とブレーキ、それに貨車の重みが全て掛るそうで、ギリギリの性能で余裕が薄いとか。
だから所定運用でもトルコンやブレーキの痛みは相当あるようです。
性能の余裕を求めてDE10の購入を検討したそうですが、検査体制の部分で一部工作機械がDE10の機器の重みに耐えられないそうで、見送ったこととか、

DE10を使う衣浦臨海鉄道は夕張鉄道廃止時にその乗務員受け入れ鉄道だったとか!ためになるお話を聞かせてもらいました。
なんと、夕張鉄道の社員さんは名古屋地区で鉄道員として定年を迎えられたそうです。

この日は
ND601、602、5528がこの付近で働き、5513(元苫小牧)が名古屋ターミナル常駐、55216(元苫小牧)が名古屋ターミナルで故障。という流れだったようです。

既に漏電を起こして絶縁不良をしたり、エンジン関係の不調がいつまでも完全回復しないなど、いろいろ苦労されているようですが、末永く走ってほしいものです。





名古屋臨海鉄道さんありがとうございました。



  ↑苫小牧機は搬入時にフェリー全高の都合で港でキャブ上部を切断して名古屋で綺麗に再溶接と言う話は衝撃以上でした。


徹夜明けに<八>の字は輝る。

2011-05-06 23:35:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

え>意味解らんですね。

一昨日昨日と徹夜仕事だったんですよ。


仕事の最後に市内に走る羽目となりまして。
あ、左は定鉄の跡地です。


よりみち。
時間は午前5時半


これ撮っちゃおう!


ホームへ

すると






回送電車が通過。


とりあえず、今日はこの朝方のときにリコーCX4の連写で遊ぼうというだけです。

その結果。


パシャ!

パシャ!
パシャ!パシャ!パシャ!パシャ!
パシャ!パシャ!パシャ!パシャ!パシャ!パシャ!


・・・・・・・・・。


ええっと。

「オハ14がずらっと並んでいるのはもうここだけだよ~」
という写真でした。マル


新札幌は撮るに向かないね。
それだけがはっきり解ったww


だぁめだw


奥に露出併せるとこんなもん。



動くのが希なオハネフ25-3もこんなに無残にw


だめやね。
苫小牧行かねばだめか。
または南千歳で36号線から?

やけっぱち

で、そこからはなれまして車を流して厚別某地


へんなもん見た。
あれ?


おお。


このマークは、


名古屋市営バスじゃぁありませんか。


と、ググルと
http://mantetsu.s10.xrea.com/busphoto/nagoya-city/KC-UA460LAN_99.html
バスマニアの方があっちの姿を撮影して居ました。
ナンバー123!だったのね。


http://blogs.yahoo.co.jp/gala8357/51654585.html
これも以前の姿が。

定鉄にでも買われたのかな?
定鉄は良くここで買い付けてきた中古バスを整備していたから。


凄い台数です。
てか奥のほうには


なにか鶴見とか川崎で見たことのあるような色のものまで居ました。


記念にバシバシと。

敷地外・・・いや、視キチガイww



  ↑
キュービックはどこに行くのかな?


【資料】C11すずらん青20号編成の記録

2011-01-01 21:16:00 | 北海道廃車体めぐりレポ


1999年の記録です。
C11が復活するに当あたり二方面で広報のお仕事の手伝いをしました。

一件が

このようなPR誌の編集主幹としての携わり。
記者兼カメラマン兼ディレクターとして。
(記者やカメラマンはサポート程度にしましたけど)


こんな紙面を「新創刊なんだから結構趣味全開で」作ったことがあります。

限られた紙面だったので人にスポットを当てて3回くらい連載記事にしたでしょうか。

このPR誌タイトルも自分案のひとつだったので思い出深い仕事です。
この仕事を3号まで編集し最期に広報会社を辞めたので仕事から脱することになったのですが、この仕事は続けたかったなぁ・・・。

そこでの取材のときのこと。

落成写真を撮りに行ったのでした。


ちょっと有名な「幻の青20号編成」です。

塗色変更されたオハ14 519・526とスハフ14 505の3両で「なんで15号じゃないんだろうなぁ」とはお仕事の中で納得できる理由があったので結構サラッとしておりました。
のちの増備車「巨峰色」のときも同じ感想。

屋根の色は14系がねずみ色でしたが、スハシは完全にGMダークグレイそっくりな色の「塗り屋根」で、ベンチレーターも一切なく腐食対策で割り切られていたことが解ります。


実はこのとき、ストーブ無しであったのでストーブ煙突もなかったんですよ。

一度スハシ改造当初に取り払われたテールライトは、オハフ51のテールライトを変形おわん型にベースを介して追造し、幌座も撤去。
外配管の不恰好なものが取り付けられておりました。

床下機器も近代的な装置が取り付けられています。
すずらん号運転当初は3連でスハシは編成端であったため取り付けたのはわかるのですが、原型とはかけ離れた姿だったのです。


後日、関係者運転会では既にぶどう色になりましたから。その姿を。
貫通扉はオハ45系の「側扉」が嵌められており、奇妙な概観を際立たせておりました。
ぶどう色のときに屋根も塗りなおされており、ジャーマングレイのような濃度になっておりました。


14系は青に塗っただけで、蒸気機関車のサウンド放送するスピーカーが別添で取り付けられている(試運転当時は録音ドラフト音で噴出しそうになった)以外は原型で、後日固定クロスシートに交換するわけですが当初は簡易リクライニングシートでした。
客車の機関区配置札入もこのときはありませんでした。




C11は前から見た目、客車と異なり非常にプレーンなスタイルで、過剰な装飾はありませんでした。
復元当初は現役時代の再整備であり、バルブひとつとっても当時のものだったのです。
現在はかなり現用品に交換されたと聞きます。

復元後しばらくして増車。スハシは中間車になりました。
考えてみればこのときのオハ14ゲテモノテールライトをちゃんと撮影しておくんだった・・・・。


各部の「構造」が原型に近かったのは復元に当たった国鉄OB、当時札幌交通機械のKさんの計画と現場艤装指導のNさんによるものであることから、当時の仕様に近かったのかもしれません。

軸受メタルも記事には書きましたが、「笹葉きさげ」と呼ばれる「削り専用ノミ」のようなもので削る作業もそのままであり、機械転削ではありませんでした。
確かに、笹の葉型の刃物で傷をつけるんだか削るんだか難しい小手で削り上げて軸を整えていく作業は、熟練を要することは良く解り、北海道のC11が何度も軸焼けを起こしたのも、この作業の伝承が如何に難しいものかを後で思ったものでした。
当時、指導にあたられていたのは当時78歳になられていたIさん。
確か手稲オリンピアでミニ弁慶号の運転手として余生されていたところを、期限付き復帰され、削っておりました。

このときの復元では、デフレクター、キャブ、炭庫、ボイラケーシングの一部、プラウを新製していました。
軸受けメタルはもちろん新製です。
水槽は元のものを再利用。
復元の条件となったのはタイヤの厚みが残っていたことと車軸が磨耗していなかったことだったと聞きました。


コンプレッサーは標津のC11からだったと聞いたかもしれませんが、現在では苫小牧のC11-133もダミーとなっているのでどのコンプレッサーかは今はわかりません。
コンプレッサーも作りにくいから探したと聞きました。

未完成の時期に当時のポスターを作るのに
標津機関区の同僚であった大井川C11-227の写真をCG改造したり、C11-207の現役走行写真を1灯に改造して使いました。
マニア(w)ですから、徹底的にこだわってCG改造したと思います。
それぞれ標識等掛けやデフレクターの裏側、煙室扉の当て板補修に違いがあり、こだわりまくって「誰もわからない精密写真」を造ったりしました(苦笑)
207の写真は鉄道写真の巨匠の作品で、「巨匠の写真をいじっていいのかなぁ」なんて思いながら。
あとで207が復帰したときはちょっと驚いたもんです。

秩父別からの依頼の写真はそうやって改造したんです。



後部はかなり現役時代と異なるというか、保存状態の炭庫を見本に新規設計&合理的に作成してあります。
「予算が足りなくてここまでしか造りかえられなかった」と聞きました。
本当は水タンクも痛みがあったので作り変えたかったそうです。
そのような事情や、マニア的ではなくコンディション重視のため現役時代との機能は同じでもディテールと異なるのは当然です。
キャブも新製ですから炭容量含めてサイズが全て微妙に異なるのですから。

この炭庫は札幌交通機械の工場内で作成されており苗穂工場に搬入されています。


このときの予断でマニアな私は取材にかこつけていろいろ馬鹿なこと聞いておりました。
「9600は・・・だめだったんですかねぇ」
「9600はだめだ。ボイラがどれも激しく痛みが来ていて、現役末期もギリギリだった。フレームの歪みもどれも酷い。軸重も重いから扱いにくいだろう。バックも難しい。C11のような「新しくて」手軽な機関車が一番だよ。C11-171でも決して状態は良くないからね。軸とタイヤだけで選んだようなものだもの」
ぐうの音が出ませんでした(笑)

「D51は・・・」
「C62で懲りているのと同じだよ。一般に人気はあるかもしれませんけどね、維持費も運用コストも膨大だ。C11が一番なんですよ」

「移送のときの苦労話は・・・?」
「現地で解体するときだったかな、とにかくあちらは湿地地帯でしょ、かなりばらばらにしないとC11といえど重すぎて運べないことがわかって、とても悩んだよ。ばらすのは昔は簡単だったけど、何せ今の若い本社の人たちはSLをあまりばらしたことが無いから、説明が大変だった。そして、いざ解体するときに、ちょっと目を放した隙に若い人がガス切断機で灰箱周辺に火を当てている。もう慌てた慌てた(笑)あの部分は部厚い部品でもう日本では造れないからね。切られたら全てが終わるところだった!怖いね」

「復元の苦労話は」
「とにかく若く良い人たちを選んで集めたけど、知らないことはしょうがない。説明しながらだから大変時間が掛かっているよ。特に私の仕事は検査計画の策定が中心だから、いろいろなことを知って居なきゃならない。D51-603の最終検修まで見守った自分たちから数えても30年近い。本社現場が誰も知らないからとにかく大変だよ・・・Iさんだって作業開始前の10日位前かな、暇しているってんで呼んだの。誰も軸受けを削れないんだもの。今は機械でやればいいものばかりだけど、SLはそうはいかないからね」


などでした。


    ↑なんか・・・熱ぼったいなぁ


三菱大夕張炭鉱スハニ6

2010-11-01 06:46:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

元美唄鉄道の客車で、更に辿ると3軸木造客車のこの車。
TR71の台車はなかなか御目に掛かることができません。


その概観から、オハフ61に良く似ているとされますが


やはり『まったく同じようなところが見当たらない』独自の構造がたくさん見られます。

既に国鉄とはまったく異なる隅柱。
もともとここに扉は無かったと記憶しています。
シルヘッダーが隅まで届いております。
テールライトの痕がありますが、鉄板で塞がれているだけです。
幌釣りの痕は見えますね。


扉の縦横バランスは最も見慣れた雰囲気ですが、やはり一致せず。
また扉もきわめて薄く簡素なものです。
で、ステップの高さに注目。後述。


奥まっているバッテリー


荷物扉。
これは移設されてここにあと付けされたものです。


先ほどのステップ。
実は前後で微妙に高さが異なっており、こちらは約5cmステップが下がって取り付けられております。
ドアの設置時期が違うのではないかと考える一端です。
模型で表現することは大変微妙ですけれどもwww


扉は割りと新しくふさがれています。


真ん中に写る窓の下になにやらありますが、ここにもと荷物扉がありました。
後年、荷物室を移動したのです。



元の荷物室区界はここ。
内装の木目から判断できます。
窓柱中心ではありません。


便所もちろん?ありません。


またも台枠の形状は異なります。




普段あまり見られない逆サイドにも荷物扉移設跡があります。
こちらのほうがハッキリしています。

こちらから見ると、オハ1の幅が一致しているように見えるのですが、おそらく傾いているのでしょう。




こちらがオハ1
違いますね。
胴受の関係から台枠の高さも違うかも知れません。


一見、オハ61系に見えなくも無いのですがねw


煙突の位置がわかる写真です。


判定する写真。


黄色のスポットは現役時の煙突場所。
赤線左は現在の仕切り、右は過去の仕切り場所。
どれも窓や窓柱とはオフセットしています。


スハ二のみ室内に入ることができます。
座っても汚れないくらい綺麗です。

保存会の方の努力が少しづつ実ってきています。



  ↑
ここまで良く綺麗になったものです。


三菱大夕張炭鉱オハ1

2010-11-01 06:34:00 | 北海道廃車体めぐりレポ


一時は転倒していたオハ1


やはり簡素な車体で、こちらは切妻です。


ドアは国鉄と同じ開きかた。


雨樋は一切ありません。


ステップの張り出しは3両中最もこの車が飛び出ています。




20mの大型車体ですが、全体的な寸法の雰囲気は窓位置が若干高い場所にあり、それでいて木造客車の窓天地より大きい、やはり独特な形になっています。

窓割りはオハ60に良く似ています。


ぶれた・・・。
しかし、台枠がぎりぎりまであり、そこに車体を被せた簡易な構造です。


今回はパスしましたが、油化した危機のそれぞれの設置位置について、国鉄の常識が通用しません。
これは3両とも同じことです。


エッチングで表現することができるのかなぁ。












貫通戸は桟がありません。


車体幅はナハフ1とオハ1については狭い車体であることがわかります。
こうしてみると車体の寸法は木っ端微塵にばらばらです。



  ↑
ここまで良く綺麗になったものです。


三菱大夕張炭鉱ナハフ1

2010-11-01 06:33:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

ナハフ1の舐め撮り


舐め撮り
17m級の客車ですが、国鉄のそれよりは遥かに簡素な構造です。


扉ひとつ、窓ひとつとっても独特な寸法を持っています。


ステップの構造も国鉄とは異なります。


幌は無く、また炭鉱鉄道に良くあった観音扉が特徴的です。


スタイルとしては好ましい整ったデザインと言えるかもしれません。


車体の裾の仕上げも独特です。


後悔しないように部品単位で撮影。


中桟つきのガラス戸
よく見ると塞がれているようです。






裾がほぼ一直線。










今度、採寸しに来よう。


あれ?


よく見ると扉の開き方も国鉄とは逆です!


  ↑
ここまで良く綺麗になったものです。


週末お出かけマニア道

2010-11-01 05:56:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

土曜日昼。

私は苗穂工場の一望できるお立ち台にいました。


廃車となってしまったキハ183-501
26年間お疲れ様。

そう考えると、キハ82系などより遥かに長命でしたね。


約15年間以上、苗穂機関区の転車台庫に入っていたキシ80-501が引き出されました。
ついに・・・?
汚れは鳥の糞だそうで。


「例の事故」の789系です。


被害の少ない2両は露出しています。
勿体ナーイ!


実はPDCの屋根を撮りに来ていました。



そそくさと

すぐ近くのスタジオでお仕事を片付け。


この撮影のディレクションです。


25時。
ようは日曜日の午前一時。
友人MYの家(自宅から25km)に走り、


たんぽぽデカールを受け取り・・・

午前4時20分

なぜか南千歳駅にいる。という。



南千歳4時30分♪




はまなす到着!
てか

これだけしか撮れず!!

左にいるのが友人MY
なに、ただ汽車が見たかっただけです。

で、一度解散して

ちなみにここは、撮影地として有名な西の里信号所の入口

午前10時に再び集合。
ここまで一切寝てないねwww

友人MKも合流していざ北上!


120km走行には


敵いません。



で、友人SDも合流しておっさん4人。


4人集まれば、「東千歳バーベキュー」で


豪快に鶏料理を食らいましょう。


熱々の炭火で


鶏を焼いていただく。


うめーーーーーーーーーー!!!

で。

ある原野に来ました。


原野にある、廃車体。
まだちょっとモザイク。

ふむ。

さらにそこから友人の運転で山道を1時間。

連れてこられたのは、構造物の廃墟。
ここはどこ?


全景。
ここ・・・

4110や9600がウジャウジャと走っていた、北炭真谷地炭鉱跡地なんだそうです・・・。
何一つまともな痕跡がありませんでした。
立ち入り禁止の先の空き地が、昔の炭鉱積み込み施設があったそうです。

無常だなぁ・・・。


その近くのなんだか普通の空工場。
何コレ?と聞くと
「真谷地炭鉱鉄道の機関庫です」と。
へぇぇぇぇぇぇぇ!!!

真谷地といえば

昨年まで姿があった9645の働いていた場所です。
真谷地時代は24号を名乗っていました。



所有者の逝去で解体されたの惜しいですね。



確かにそう言われれば、シャッターの間隔がそれっぽいですね。


操業を止めてかなり経つようです。

ここに4110が・・・。


しかし、鉄道痕跡は見つけられませんでした。




左が、その車庫。
奥が真谷地鉱跡地になります。

1913年(大正2年)12月 沼ノ沢 - 真谷地間4.4km専用鉄道開通

1915年(大正4年)12月 便乗扱いで客車運行開始

1932年(昭和7年)5月 客車連結を廃止、旅客は夕張自動車会社に転換

1936年(昭和11年) 燃料統制によりバス運休、客車連結を再開

1940年(昭和15年)1月 1180形9号機(旧1181号機)を日本製鋼所より譲受し5号に改番

1950年(昭和25年)7月 8100形8118号機を国鉄より譲受し5051号に改番

1951年(昭和26年) 8100形8106号機を国鉄より譲受し5052号に改番

1951年(昭和26年)4月 1180形5号機用途廃止

1965年(昭和40年)12月 4110形3号機を三菱鉱業美唄鉄道より譲受し5055号に改番

1966年(昭和41年) 4110形4142号機を三菱鉱業美唄鉄道より譲受。5056号機に改番して使用。8100形5051号機は北星炭礦美流渡礦専用鉄道に譲渡。5052号機は用途廃止

1966年(昭和41年)9月 国鉄の運転管理終了。客車連結廃止

1969年(昭和44年) 9600形24号機(旧9645号機)を夕張鉄道より譲受。4110形5056号機用途廃止

1971年(昭和46年) 9600形22号機(旧9682号機)を夕張鉄道より譲受。4110形5055号機用途廃止

1975年(昭和50年)4月 DD1002を夕張鉄道より譲受。9600形22号機用途廃止

1977年(昭和52年)5月 9600形24号機用途廃止

1987年(昭和62年)10月13日 真谷地炭鉱の閉山に伴い、専用鉄道廃止


なんでも、この周辺には廃止後も4110の同系機であった5505号のボイラが、5505号廃止、鉄道廃止後も据え置き露頭煙管ボイラとして活用されていたそうです。


夕張線を超え
およそ10分で


またもシューパロの保存施設へ

帰りの車では気絶してましたとさww


  ↑続く



生田公園のスハ42

2010-09-07 23:03:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

ぐったり。
会合会合また会合で会合3連荘。



ということで工作は出来ませんで。


神奈川県生田公園のスハ42の記録です。
なんてったって美しい!

廃車かと思えないくらい美しい。
復元動態保存の客車より美しい。






考えてみれば、新製7年で更新って早すぎません?


端張も非常に綺麗です。


歪み無きシルヘッダー。
露天保存と思えないくらいパーフェクトな外観。


元尾久区ではないでしょうか?
Hゴム2段のドア窓の貴重な保存例。


原型には無い、資料的価値があります。






美しすぎる内装。


床に油を引いていないのが惜しいくらい完全な姿。


正面から撮ると自分が丸写しになってしまうので斜めから。

青15号ってこれだよね!っていい色です。


露天なのが不思議なくらいです。


保存例としてこの食パンは小樽のオハ36がほかにありますが、状態が違いすぎます。


ゴルフ場にこのように綺麗な保存車両があるなら行ってあげるw




  ↑あすは平日昼間にゴルフコンペですって。私は行きません。


北海道廃車体ツアー2010-3

2010-08-30 23:55:00 | 北海道廃車体めぐりレポ

ただいま家に戻ってまいりました。



2日目からの行動ですが、



旭川市の旭川通運を敷地外から撮影できる廃車体スポットである元国鉄DD13-40の廃車体です。

残念ながら、DE15-1521の配属で予備からも除かれたらしく、プレートが外されています。



それ以外はまだ走り出しそうな感じで残されています。





一方、メインマシンから予備機に降格になったのは、元苫小牧埠頭のD5603

DD13に大容量インタークーラーを装備した類似機でキャブ窓とラジエーターが大きく異なるほか、ボンネット点検扉構造も異なるマシンです。





続いて、留辺蕊児童会館跡地のD51-311へ。





かなり手入れは省かれて痛みが来ています。

既に留辺蕊町も合併で北見市に編入されており、北見市にはD51もD50もC58も保存されているので、このまま朽ち果ててしなうのではないでしょうか・・・。















見た目はかなりボロボロになっています。





さて、先を急ぎます。





某所の個人管理物件です。





一時期より塗装も直されているようなんですが、ちょっと不穏な噂がありますので近いうちに見納めかもしれません。









痛みは見られますが、それぞれの実際の状態は極めてよく、キハ27については道内で最高のコンディションと言えるものです。





日本にここだけのスユ15も現存です。





50系車体構造に、手動扉を組みつけた独特なデッキが特徴ですね。







何とか末永い維持が果たされることを望む次第です。



この日はコレで終わりではなく、もう一件新規物件を探して市中走りましたが、ついぞ見つからず。

翌日も見つからなかったことから、再調査をしないとなりません。



網走に宿泊した後



C58を見に行きました。

美幌町 柏ヶ岡公園のC58-82です。







4年前とほぼ同じ状態でした。













お値段まで書かれている詳しい紹介文。













エンドビームがシルバーという・・・。





保存機関車としては標準的な姿です。



続いて津別21世紀の森キャンプ場へ



オロネ10-502と、在姿最後のスハネ16が拝めるありがたい場所です。





アスベスト使用施設として、数年前に使用停止するまでは、冷房機が現役時代のものをそのまま稼動させる宿泊施設でした。

























スハネ16がこの時代にまでまだ姿が見られるのはありがたい限り。

10系B寝台車両は横川のオハネ12とこの車だけですね。





オロネ10も数が少なくなってきました。













室内も現役当時のままです。

























管理が大変厳しいこの公園。

ぶっちゃけゴミひとつゴミ箱に入れても利用料を徴収されます。



続いて陸別駅へ



綺麗に塗装直しされたものが出てきました。





CR75-101と





CR70-8です、



それぞれ、初期塗装、中期塗装に異なる赤帯の太さになっております。

が、初期塗装の赤はもっと細かった記憶が・・・。



まぁ、細かいことはどうでもいいのです。





この美しさ!

ガン塗装で大変見事な美しさです。





ベンチレーターが唯一3個配置のCR75-101





運転体験は全ての日ではなく、この日は「2万円を納めた会員のみの予約日」ということで、一般体験は出来ませんでした。





しかし、実際に動く姿が見ることできます。

事前に確認の上ご訪問という場所です。











陸別の腹ごしらえは、駅前の秦食堂。

そばと豚丼がおいしいと地元に方に勧められての食事です。





大豚丼1000円





上手いタレが決め手。



蕎麦は取ったけど撮りわすれてしまいました。



自慢のはずの自家製粉工場。



お勧めです。





続いて幸福駅。





何回も足を運んでいるのでイメージ写真を





びっくり!

なぜ東京の個人タクシーが!!!



どうやら運転手さんご夫婦と友人ご夫婦で、プライベートドライブ旅行のようでした。





びっくりしたw





















駅跡地以外は路盤も全く痕跡を留めておりません。





線路跡には見えませんね・・・。











綺麗な室内









ゴミ屋敷状態にまでヒートアップ

















いい天気です。



さて、続いて



愛国駅。





9600型19671号は変わらないようで・・・・





ん?





あれ?





まさかの屋根延長。

雨浸入対策かと思います。









おおおwwww

なかなかダンディーな。













これで全見学工程終了。





解散式。

ここで1名、はまなすに乗るために離脱です。









釧路運転区キハ40勢ぞろい





こちらは新得向き。





ことらは釧路向き



そう、愛称枠は釧路向きのみなのです。





ジェットストリームアタック状態。





愛称板が挿されたところを見たこと無いんですけどね。









さぁきた。





さよなら!同士よ!

また会う日まで。



と言うことで事実上解散しましたが・・・。





十勝鉄道の様子を見に行ってみました。







あ。





DD201が場所移動して留置されていました。

動かしたのか動いているのか?





もう日没です。





10分くらいの間にどんどん日は沈み

明星まで映るようになってしまいました。







また来たいですね。



で、今回は札幌で食事して完全解散しました。

お疲れサマー!



また来年出来るといいね廃車体ツアー。







   ↑今年で11年目でした。