切れたメビウスの輪(2)

2016-11-27 09:33:57 | 怪奇小説
第二章 縦顔死郎

縦顔死郎は、オーケストラによるクラシック演奏会に来て、静かに聞き入っている。
演奏が終わった時の、割れんばかりの拍手と、『ブラボー』、『ブラボー』の歓声は自分に対する驚嘆とも受けとれ、ホール全体のうねりが自分を包み込んでいるように思われた。
『ああ、死んでいて良かった。これが俺の死に甲斐であり、これ以上の至福の時はない。』

 縦顔死郎が、クラシック演奏会に行くようになったきっかけは、自分の家からクラシック演奏会が行われている世界に迷い込み、そこに置いてあったパンフレットを手にしたのがきっかけであった。

しかし、なぜ違う世界に迷い込んだのかは未だに定かではない。

 縦顔死郎の世界では読経の単調なリズムはあるが、抑揚が有って迫力のある音は聞くことが無かったので、クラシック演奏会の魅力に引き込まれていった。

それにしても、随分と小さな至福の時である。

帰宅した縦顔死郎がベッドに入り、目を閉じた時に星が輝きだした。
今週、俺は何をやっていたんだろうか? 
コンサート以外は思い出せない。
もしかしたら、ベッドの中でずっと死んでいたのだろうか?
縦顔死郎は昨日までの事を思い出した。

『そうだ、月曜日にコンサートに行ったが、それ以外はずっと死んでいたのだ。』
縦顔死郎は、昨日、夢の中で作ってテーブルの上に置いていたスパゲッティと野菜サラダを、ベッドの上で食べている。

これは、死んでいる者の幸せな時間である。
しかし、この死んでいることの幸せは誰にも邪魔されない。
俺は声を大きくして、死んでいる幸せを叫んでいる。
他人が、どう言おうと俺の幸せは変わらない。

それでは、他の死んでいる者も、みんな幸せなのだろうか?
電車に乗っている時に、俺の前の座席に座ってメールをチェックしているこの男は、死んでいる幸せをLINで共有しているのだろうか?
それとも、この男は生きていて、死んでいる者の幸せを知らないので、分刻みで忙しくしているのだろうか?

ベッドの中の縦顔死郎は、静かに起き上がり、また穏やかな一日が始まって行く幸せを噛み締めた。これは死んでいることの幸せに他ならない。

縦顔死郎は考えた。
『俺は今、生と死のどちらに居るのだろうか。そして、それを誰が認めるだろうか?』
『俺は今ここに居るし、死んでいると思う。誰か答えてくれ、俺は死んでいると。』

目覚めた時に起き、気の向いた時に食事をして、気ままな時間を過ごす。
しかも、酔い潰れる事もなく、快適な生活である。
まさしく死んでいる幸せである。