セミの終わる頃(17)

2017-01-07 12:20:47 | 小説
ある秋に大きな台風が湯治場を通過する危険性がでてきたので、みんなで温泉宿の痛んでいる窓や庇の修理をしたの。

そして、風雨共に強くなって湯治場の温泉宿の中でじっと台風の通過を待っていると、玄関の雨戸がトントン、トントンと誰かが叩く音がしたので、隙間から覗いてみると、あなたが前足で叩いていたわね。そして、玄関に入ってきたあなたは私の袖をくわえて玄関の外へ引っ張ったわよね。

そして、台風が去るのを待って、リゾート施設に向って行ったんだけれど、私はリゾート施設の変わり果てた状況に目を奪われたわ。
小高い丘を無理な造成を行なったことにより、がけが崩れてリゾート施設全体が土砂で押し潰されていたわよね。
あなたのお父さんが命を掛けて反対していたのに無理に工事をしたからなのよね。
だけれど、私の勤めている温泉宿は古くからの地山のままなので災害は免れていたのよ。」

それまでじっと治子の話を聞いていた鹿は大きく頷いて見せた。
「私があなたのお父さんを自宅近くの雑木林に埋葬している時にあなたが私にすり寄って来て、
「お父さんは治子さんが好きだったんだね、僕も治子さんが好きだよ。」
と言っていたでしょ。
それから、あなたは母親の鹿の元を離れ、一日中私に寄り添うようになったわよね。

私が
「あなたのお父さんもそうだったけれど、私は人間よ。もっとも、あなたのお父さんも好きだったけれど、あなたも好きよ。」
と言ってあげたらあなたは微笑んだわよね。

あなたはお父さんにソックリよね。あなたも、あなたのお父さんも、私が鹿であれば結婚していたでしょうね。私は独身だけれど人間なので残念ね。
私も若いあなたが人間であれば不倫に及んでいただろうと考えて、フッと白石さんとの思い出が頭をよぎることが有ったわ。
白石さんとは恋人ごっこであったけれど、体は激しく燃えていたのよ。本当の恋人であれば、この上ない幸せであっただろうと考えると寂しさが込み上げてきたわ。」