郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

カフェオレ大福、メガネの三城、母のこと

2013年10月03日 | 日記

 冷やしたカフェオレ大福を食べました。芳醇な香りのコーヒー豆に包まれたクリームのほのかな甘さがほど良く、異質感がなくて美味しく感じました。同じ因島の和菓子でも、有名な八朔大福とまた違った味わいで、人それぞれ好みが違いますが、私はカフェオレの方が好きです。 今日、母はディサービスに行って高槻滞在記を来ておられる皆さんに見せていることでしょう。また、メガネの三城・高槻店で誂[あつら]えた母の眼鏡が届いていることでしょう。家人も数年前、同じ店でレンズを入れ替えたのでアフターサービスに行きました。そこで眼鏡ケースを貰い、ガラガラを回すとパリ賞に当り、ハーフボトルのワインを貰ってきました。なお、昨夜姉から電話があり、母のこれからについて考え方にまだ姉と大きな隔たりがあることが明らかになりました。これまで母の世話を何もして来なかった姉&弟たちは口ばかりでよりそうことをしないのが気がかりです。
  今日の夕食は、
















◆秋刀魚の塩焼き ◆イカのお刺身 ◆豆腐のきのこあんかけ ◆牛蒡の味噌煮 ◆ご飯

        次元の違い
 弟は親を見るために帰って来た。親を姉が見るのであれば、この家に居る必要はなく、子どもの住んでいる岡山、静岡に行きますと言う。また、「お母さんが第一」と言う私のことばはどう言うことかと聞いてきた。⇔私は悲しくなった。次元の違いを感じた。見るためではなく、見させてもらうでしょう。そこには感謝の気持ちがない。自分達本位が見て取れる。今、ここにこうして居ることが出来ているのはお母さんがいろいろとして下さったからと言う感謝の念が欠けている。長男だからの体面とか、慣習とかで見るのであれば、見て貰う方が気の毒だ。この家だってお父さんとお母さんが苦労されて建てられたものだ。これを、この土地を守って行こうとする愛着がない。こころがない。有るのかも知れないが見えてこない。私たちはそうではない。お世話になった感謝の気持ちがある。口幅ったい言い方だが、恩返しをしたいと言う思いがある。だから、「お母さんが第一」なのだ。だから、次元が違うのだ。

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