田舎で親戚の叔父さんが近所の61歳のお祝の宴に出たのでと、その振る舞い懐石料理膳を持って来てくださった。お酒が入っているので多弁である。多分主人と一緒に飲みたかったのかもしれないが、、主人はお酒がべら棒に好きではなく、お酒を毎日飲む習慣も持たない。母一人の家で生憎お酒がなく、さりとてお酒を買いに走るわけにもいかず、ただお話を傾聴するだけになった。互いに礼を失した気まずい雰囲気であった。
はるみ・ミカンは倉庫に入れて保管し、いしじ・ミカンは今年中に売らないといけないので青いものを天日に干す。昨日の予報がなければ今日、明日摘み取っても良かった気がするが、これはあくまで結果論に過ぎない。
母が選り分けた良品ミカンは1コンテナーにも満たなかった。施肥、一年間に6回の消毒、夏の水やり、摘果等丹精込めた作業の結果がこれである。次第にミカン農家を辞めたくなる気持ちが理解できる。ただ、年齢が老いてきて作業の負担が厳しいだけの問題ではなさそうである。
それほど美味しくないミカンでも不平を言わず、味わって食べないといけないと思った。
母が選り分けた良品ミカンは1コンテナーにも満たなかった。施肥、一年間に6回の消毒、夏の水やり、摘果等丹精込めた作業の結果がこれである。次第にミカン農家を辞めたくなる気持ちが理解できる。ただ、年齢が老いてきて作業の負担が厳しいだけの問題ではなさそうである。
それほど美味しくないミカンでも不平を言わず、味わって食べないといけないと思った。
昨夜、田舎の母から寒波が来るので農協からミカンを摘んでくださいと連絡が来たので帰って来て欲しい。電話でそう言われたので朝早く久しぶりに主人と7時20分の新幹線に乗り、新大阪から福山まで丁度1時間掛け、島には9時半頃着き、小雪が舞う中ミカン摘みを手伝う。完熟して欲しいとの願いも虚しく、まだ青いものもあったが霜が降り、皮が凍てつくとダメになるので全て摘む。小枝に鋏を入れるとミカンの香りがじわっと漂ってきた。
来年の干支の辰イラストをどんな絵にするかについて主人が考えてくれています。イラストは波、家、家族写真も控える方がよく、昨年に引き続きとか、おめでとうとかを書かない方がよいと言う。考え過ぎかもしれないが東日本大震災の被災者、福島第一原発の避難者につながる人にとっては、その言葉・絵が恨めしく思え、年の初めに希望が縮むからだそうだ。心機一転、勇気を与える言葉を探している。
今日の夕食は、
◆鶏もも肉のトマト煮込み ◆大根サラダ ◆ほうれん草と海老のグラタン ◆ご飯
今日の夕食は、
◆鶏もも肉のトマト煮込み ◆大根サラダ ◆ほうれん草と海老のグラタン ◆ご飯
クローズアップ現代でやさしい虐待を特集していた。子育てはその時の親の状態が反映するのではなく、その親が受けた育て方が影響をしているのだそうだ。そう思うと自分がしてきた子育てを反省します。娘に辛い思いをさせているのは私自身の所為(せい)だと思うと申し訳ない気持ちになりました。これからは親を反面教師として受け継いだしつけを断ち切って、娘は娘なりの教育なり、しつけをしていって欲しい。無条件に、いっぱい愛情を注いで子どもが安心して、自分を信じれるようにしてあげて欲しい。そのような期待を自分の行動で示すにはどうすればよいかの見本を示していく責任がある。娘を信じ、見守ること、口出しをしないことから始めて行こうと思う。
今日の夕食は、
◆魚のサラダ仕立て ◆サーモンのお刺身 ◆自然薯とろろ ◆なます ◆ご飯
親が先回りして、子どものことを考えていろいろアドバイスすることが子どもの負担になる。それがやさしい虐待である。子どもを信じていないから子どもが自信が持てなくなっている。子どもが甘えてきたら安心を求めてきているのだから愛情を注いであげる。でないと親からも見放されて子どもは不安な状態のままになっている。だから、子は粗暴な振る舞いをする。親から受けて来た教育・しつけで厭(いや)だったことを列挙してみる。それを断ち切るようにしなければならない。大変なことを子に引き継いで与えてしまった。申し訳ない気持ちで一杯です。