リクルート関係の撮影をしていたのは例の事件以前、バブルへ向かう頃だった。
銀座エイトと言われる本社ビルは出入り自由で納品等でよく行ったものである。
今では出版社内へ自由に出入りは出来ない。宝島社社長宅襲撃、フライデー事件等色々あって制限される様になったのだ。
24時間年中無休状態で多くの人が出入りした時代が懐かしい。
っで、リクルートだが非常に奇妙な会社だった。
始まりはご存知の様に江副さんが東大時代に創業した訳で基本は広告業である。
本来は求人広告を束ねただけの冊子なのだ。
出版業だと業界人で認識していた人は皆無だった。
それでも何故か社名に”出版”を入れてしまう。
実はここに江副さんの妙なプライドが見える。
只の広告屋じゃないぞ、出版社なんだぞと。
新興企業のリクルートは財界から全く相手にされない存在だった。
それも悔しかったのだろう。何とか政界と繋がって己の力を誇示したい、そんな思いも強まっていた。
或るパーティーで財界人から江副さんはこう言われた。
「出版社を名乗るならもっとジャーナリスティックな内容にしろよ」
次の日、江副さんは全社に号令を発する。
「もっとジャーナリスティックな記事を載せろ!」
そのまんま。
そして編集から我々下請けに通達。
「もっとジャーナリスティックな内容にしてください」
広告を束ねただけの存在の何処にそんな内容が入るんだ???
天才と言われた江副さんも狂ったか?
自分の会社の商品を知らんのか?
ここら辺りからどんどん妙な事になっていく。