::: 備考 :::
右一首丈部稲麻呂 / 二月七日駿河國防人部領使守従五位下布勢朝臣人主實進九日歌數廿首 但拙劣歌者不取載之
この歌は、兵部少輔 (ひょうぶのしょうふ) となった、大伴家持が天平勝宝7年 (西暦755年) 2月に、 交代する防人たちの歌を集めた中の一つで、 駿河國 (するがのくに) の防人部領使守 (さきもりぶりょうしかみ)、 布勢朝臣人主 (ふせのあそんひとぬし) が 防人達の歌を20首提出したので、その中の稚拙なものは省いたと注意書きがあるのよ。 作者は丈部稲麿(はせつかべのいなまろ)で、 読み方に、『さくあれて』と『けとばぜ』となっているのは上代の中部地方の方言だそうよ。 防人は九州地方の警備に3年間単身赴任するんやけど、旅費と食費・武器等は 自前だったので、『兵士の賎 奴僕と異なるなし。一人点ぜられば、一戸随って亡ぶ』 と壮絶な文章が当時の書物にあるくらいやから、個人、家族はもちろん、集落の負担はかなり大きかったんやろね。 小さい子供のように頭をかき撫でた両親にとっては、もしかしたら、二度と会えないかもしれない息子の無事をひたすら、ひたすら祈る必死の思いやね。 そんな両親の気持ちを忘れない稲麿は、きっと親孝行な若者で、離れて暮す寂しさと不安がひしひしと伝わってくるね。 いつの世も子供を戦場に出す親の気持ちは張り裂けそうにつらい事やわ。絶対に戦争はアカン!!!
防人制度の間、九州で実戦は一度もなかったけれど、家持は防人やその家族達の苦労と悲しみを少しでも天皇に知ってもらいたいと思ってこの歌を選出したのかもしれへんね。
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