言の葉花壇

何度聞いても美しい日本語に、今日もマナ女とカナ女がにぎやかに呟きます。ぜひお気に入りを見つけてください。

うづみ火に

2021年01月26日 | その他

#うづみ火に……★☆ うづみ火に 足さしくべて 臥せれども こよひの寒さ 腹にとほりぬ: 良寛 : 歌意:灰の中に埋めた炭火に足を差し入れて寝ているけれど今夜の寒さは腹の中にまで浸み透る。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ #良寛歌集 冬より■□■

みんなぁ、元気ぃ~?

読み方やでぇ。

うづみびに あしさしくべて ふせれども こよひのさむさ はらにとほりぬ

埋み火(うづみび)=灰の中にうめた炭火のことやで

エアコンがなかった昔は、寒い時期になると炭をおこして火鉢に入れて部屋を暖めていたのよ。

そして夜には、その火が消えないように、灰に火種の炭火を埋めておくの。

それを「埋み火」と言いうのよ。

直接の炭火に布団などかけると火事になるので木箱の中にうづみ火を入れて布団を暖めて寝ていたんやね。

今の電気炬燵やね。

もっとも、ウチは湯たんぽ派やけど。

良寛さんみたいに寝る前にお布団の中に湯たんぽ入れて温めて寝るんや。

大寒のこの時期にはそんなことしても、まだまだ寒いと良寛さんは言ってるわね。

ほんまや。

まだまだ寒いけどみんなも風邪ひかんように暖かくしぃや。


双六のさえ

2021年01月23日 | 万葉集

#双六のさえ……★☆ 一二の目 のみにはあらず 五六三 四さへありけり 双六のさえ: 長意吉麻呂 : 歌意:一や二の目ばかりでない、五・六・三・四の目さえあるんだ。双六の賽には。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ #万葉集 第十六巻より■□■

みなさん、お元気ですか?

この時代、中国から伝わった双六にみんな夢中だったんですよ。

689年には双六禁止令も出たと『日本書紀』に載ってるわね。

双六のさえ=は双六の賽(サイコロ)のことですよ。

そこで、長意吉麻呂(ながのおきまろ)がその双六のサイコロを詠んだ、ちょっとしたコミックソングですね。

みんなぁ、元気ぃ~?

読み方やでぇ

いちにのめ のみにはあらず ごろくさむ しさへありけり すぐろくのさえ

村の長「おー、意吉麻呂、意吉麻呂、ちょ、ちょ、ちょっとこっち来て、酒、飲めや」

意吉麻呂「へーい」

皆の衆「ほれ、飲めや、飲めや」

村の長「ああ、夜も更けて狐がコンコン泣き出した。

おまえ、ここにある鍋やサイコロとかで、歌を詠んで宴会を盛り上げてくれや」

意吉麻呂「へーい」

皆の衆「そうや!そうや!なんか詠んでくれや」

意吉麻呂「へーい」

『一二の目 のみにはあらず 五六三 四さへありけり 双六のさえ』

村の長「アハハ、おまえ、まんまやないか!」

皆の衆「ワッハッハー、まんまやないか!ワッハッハー」


庭の雪哉

2021年01月22日 | 詩歌集

#庭の雪哉……★☆ まつ人の 今も來らば いかゞせむ 踏まゝく惜しき 庭の雪哉: 和泉式部 : 歌意:私が待っている人が今来たらどうしよう。踏み散らかされるのが惜しい庭の雪です。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ #詩歌集 第四巻より■□■

 

 みんなぁ、元気ぃ~?

読み方やでぇ

まつひとの いまもきたらば いかがせん ふままくおしき にわのゆきかな

ウチわなぁ、雪が降ってきれいに積もったら新しいとこ、踏みたなるねんで。

ポコポコって。足跡つけたるねんで。

みんなはどう?

和泉式部が、もしもそんなとこ見たら、きっと、めっちゃ!怒るんやろうな。

 


そことも見えず

2021年01月18日 | 万葉集

#そことも見えず……★☆ 山の狭 そことも見えず 一昨日も 昨日も今日も 雪の降れれば: 紀男梶 : 歌意:一昨日も昨日もそのうえ、今日までも雪が降っているので山や谷のどこが境目なのかを見分けることができない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━ #万葉集 第十七巻より■□■

 

 みんなぁ、元気ぃ~?

読み方やでぇ

やまのかひ そこともみえず をとつひも きのふもけふも ゆきのふれれば

山の狭(やまのかひ)=山と山との間やで

そことも見えず=見えへんからどこかわからんやで

天平18年(746年)のお正月に、ものすごい大雪が降って、橘諸兄ら諸大臣らが元正太上天皇の御所に参上し、積もった雪の掃いの奉仕をしたんやで。

そしたら、そのあとに宴会があって、お酒とか飲んでたら、雪を題に歌を詠んでみなさいとの仰せがあり、それに応えた歌のひとつやで。

もう、毎日、毎日、雪が降って、どこがどこかわからんわと言う歌や。


雪に騒ける

2021年01月12日 | 万葉集

#雪に騒ける……★☆ 矢釣山 木立も見えず 降りまがふ 雪に騒ける 朝楽しも: 柿本人麻呂 : 歌意: 御所の近くにある八釣山の木立も見えないほど、雪がどんどん乱れ降る朝は楽しいものです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ #万葉集 第三巻より■□■

みんなぁ、元気ぃ~?

寒いなぁ~

読み方やでぇ~

やつりやま こだちもみえず ふりまがふ ゆきにさわける あしたたのしも

この歌は枕詞に柿本人朝臣麻呂が新田部皇子(にいたべのみこ)に献れる歌一首、また短歌」とあるわね。

新田部皇子天武天皇の皇子で奈良時代初頭の皇族よ。

騒ける(さわける)=騒いでいる

矢釣山(やつりやま)明日香村八釣にある小丘で、柿本人麻呂は皇子の宮殿に馬を走らせて通っていたみたい。

つまり、通勤や。

まぁ、そうやけれど・・・あんまり雪が積もらない明日香にどんどん雪が降るんで柿本人麻呂は子供みたいに楽しいと言ってるのよね。

ウチも雪が降って積もるのは楽しい。まだ子どもなんかな 

そうやね。でもあんまり降りすぎると災害よ。

なんでもほどほどが楽しいわ。


せりなづな

2021年01月07日 | その他

#せりなづな……★☆ せりなづな ごぎやうはこべら 仏のざ すずなすずしろ 是は七種: 梵灯 : 芹(せり)薺(なずな)御形(ごぎょう)繁縷(はこべら)仏の座(ほとけのざ)菘(すずな)蘿蔔(すずしろ)これは七種

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ #梵灯庵袖下集より■□■

 

 みんなぁ、元気ぃ~?

今日は七草がゆ食べる日ぃやで。

 この歌は「梵灯庵袖下集」に出てる春の七草やね。

梵灯は室町時代の連歌師なのよ。

連歌は、和歌の上の句(五・七・五)と、下の句(七・七)を5名~10名くらいの人たちが交互に作り、連ねてひとつの歌にしていくことよ。

せり⇒芹

なずな⇒薺(ぺんぺん草のことよ)

ごぎょう⇒御形(ハハコグサの別名よ)

はこべら⇒繁縷

ほとけのざ⇒仏の座(葉っぱが仏さまの座っているハスに似てるのでこう呼ばれるのよ)

すずな⇒菘(蕪のことよ)

すずしろ⇒蘿蔔(大根のことよ)

 秋の七草は食べられへんけれど、春の七草はみんな食べられるわ。

もっとも、ウチは七草がゆより、やっぱり、お餅やわ。

お餅を七草がゆの前に食べるか、後に食べるか・・・

う~ん、迷うなぁ~

・・・


たみのかまどは

2021年01月05日 | 新古今和歌集

#たみのかまどは……★☆ たかきやに のぼりて見れば けぶりたつ たみのかまどは にぎはひにけり: 仁徳天皇 : 歌意:高殿に上って見ると 家々から煙が立っているので民のかまどは豊かで賑わい国が栄えている。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ #新古今和歌集 第七巻より■□■

 

仁徳天皇「おー、見てみ! 家々からご飯炊く煙がいっぱい見える。わしは幸せや!」

お妃「なんでやねん  何が幸せなんですか?宮殿がこんなにボロボロで雨漏りいっぱいしてるのに・・・」

仁徳天皇「そやかて、3年間、税金を免除したんで、国民がご飯ちゃんと食べれるようになったやないか。

そやから、あちこちの竈から煙があがってるんや   

人々がご飯食べて、ちゃんと暮らせることが天皇としてのわしの幸せや

お妃「まぁ、そうやったんですね。お心も知らずにごめんなさい。

これからもこうやって人々がずーっと幸せに暮らせたらいいですね。」

仁徳天皇「そうやな。国民の暮らしが安定したら、また、みんな一生懸命働いて税金納めてくれるやろう。

そしたら、国家もわしらも元気で安心や」


常葉の樹

2021年01月03日 | 万葉集
第 1009
◆ ◆ 冬十一月左大辨葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首
橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹
聖武天皇 ◆ ◆
     
万葉集 第六巻 より

::: 読み :::

たちばなは みさへはなさへ そのはさへ えにしもふれど いやとこはのき

::: 意訳 :::

橘は実まで花まで、その葉までも、枝に霜が降ってもますます栄える永遠に常緑の美しい木である

::: 付記 :::
右は、冬11月9日。
従三位・葛城王、従四位・上佐為王らが、皇族の高名を辞し、外家の姓を賜わることを言い伝えた。
時に、太上天皇(元正天皇)および皇后、ともに皇后宮において、肆宴(とよのあかり)をひらく。
即ち、橘を祝賀する歌を作り給える。
また、御酒を宿祢等に賜う。
或いは云わく、この歌1首は、太上天皇のお歌である。
ただ、天皇皇后のお歌各1首ありといえば、その歌は遺落しており探求するも未だ得ない。
今、案内を検すると、天平8年年11月9日、葛城王ら橘宿祢の姓を願って表を上り、 17日をもって、表の乞に依りて、橘宿祢を賜うという。

 天平8年(736年)聖武天皇橘諸兄(たちばなのもろえ)一族への祝賀に贈った時の御歌やね。 皇族だった葛城王は弟の佐為王と共に母の橘宿禰(たちばなのすくね)姓を継ぐため、 臣籍に降下することを朝廷に願い出て、許されたので、 これに伴い、葛城王から橘宿禰諸兄(たちばなのすくねもろえ)と改名したのよ。
『宿禰(祢)』 (すくね)とは八つの姓(かばね)の中の3番目で、 諸兄も後の天平勝宝2年(750年)正月16日には2番目の 朝臣(あそん)の姓を賜り、これ以降、橘朝臣と称してるのよ。 
 今度は偉くなたんやね。橘ってみかんのこと?
 「橘」 は、みかんの古名で、 『古事記』『日本書紀』 によれば、 垂仁天皇の命で夕ヂマモリが常世国からもたらした 「非時香このみ果」 で、 実や花よりも、樹全体が常に緑の常緑樹なので、 永遠の不老長寿と言うとても吉祥な意味を持っていたんやろうね。
そのため現在では文化勲章の勲章のデザインになってるわね。
最初は桜が考えられていたそうだけれど、昭和天皇「桜は散るところに価値があるが、 文化は永遠であるべき」 との意向で常緑樹の橘になったそうよ。
 ああ~、それで、右近の橘左近の桜と対になってるんやねんね。

 


咲くやこの花

2021年01月01日 | 古今和歌集
仮名序
◆ ◆ おほささきのみかどをそへたてまつれるうた
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
王仁 ◆ ◆
古今和歌集 仮名序 より

::: 読み :::

なにはづに さくやこのはな ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな

::: 意訳 :::

難波津に咲いたよこの花が。冬の間は籠って寒さを耐えていたけれど、今はもう春になったので、咲いたよこの花が

この歌は、古今和歌集の仮名序の中で紀貫之が紹介していて、 百済から日本に渡来し儒教や漢字を伝えたという王仁(わに、生没年不詳)仁徳天皇の即位を称えて 詠んだものとつたえられているわね。

現代ではかるたの会の始まりを知らせる時に詠んでるよね。
へぇ~。よく知ってるわね。
百人一首に含まれているわけではないけれど、歌人の佐佐木信綱が序歌に選定したとされていて、 現代に引き継がれて、全日本かるた協会の大会の時に一番最初に詠まれているわね。
『日本書紀』 によると、王仁は百済王の学者の推薦を受け、応神天皇の招待に従って応神16年2月(285年)に百済から渡来し、後に帰化した学者で、儒教や漢字を伝えたとされてるわね。
古今和歌集仮名序によると 「難波津の歌は、帝の御初め也。おほさざきの帝の難波津にて 皇子ときこえける時、東宮をたがひに譲りて、位につき給はで、  三年になりにければ、王仁といふ人のいぶかり思ひてよみて奉りける歌也」
つまり、応神天皇の崩御後、二人の皇子が互いに天皇の位を譲り合ったため 3年間空位となっていたのだけれど、 大雀命(おおさざきのみこと) が 仁徳天皇となった際にその治世の繁栄を願って詠んだと言う事よ。 その際に梅花にこの和歌を添えて、奉ったと伝えられていて、 「この花は梅のはなをいふなるべし」 と。
この時代は花と言えばよりもだったのね。
平安時代以降は難波津の歌は誰でも知っている歌の代名詞となって江戸時代には手習いの手本の代表となってるわね。