この小稿も読者諸賢のお陰で100回を迎えた。
この期に隠者流スピリチュアルライフの更なる理解と充足のため、もう一度初学に戻ってこれまでの試行を纏めてみようと思う。
全人類の政治 経済 科学 芸術などのあらゆる奮闘努力は、煎じ詰めれば「より良い暮し」を目的としている。
良い暮しと言っても様々あるが、現代人が物質的に生きるだけでなく精神面の充足を願うなら、20世紀に廃れてしまった哲学 宗教に代わるスピリチュアルな物を見つける必要があるだろう。
古からの食前の祈りのように、気候風土に溶け込んだ暮しの中での精神性だ。
俗化した己れの衣食住と生活習慣を見直し、暮らしの折々に霊性を取り戻そう。
(ハーミットレリーフとブラス ピューター製の器類 19〜20世紀初頭)
先達の隠者(ハーミット)の小屋を描いた陶板で、私もこんな部屋で書見彩管に明け暮れたい。
これまで何度か話したように初学は自分なりのアーティファクト(聖遺物)を探し出し、祭壇とまでは行かなくとも卓上に飾り茶飯を少し儀式化するだけで、小さいながら離俗の結界として己が楽園建立の橋頭堡となる。
また季節季節の供花も、人生に荘厳さを加えてくれる。
一卓から一室、一室から一館へと聖域を広げて行けば、やがては夢幻の楽園に至るだろう。
先ずはそんな精神の不可侵領域を持つべきだ。
離俗の結界を作るに、幻獣 守護聖獣は動物好きの人達にお薦めだ。
(瑪瑙製僻邪像 元〜明時代 ファイアーキング オーロラガラス 20世紀)
僻邪は有翼の獅子のような姿で邪気を遠避けてくれる聖獣。
こういった物は古ければ古いほど強力なので、出来ればアンティークで探したい。
聖獣のうち鳳凰 麒麟 獅子 龍の絵皿や花瓶なら、ネットオークションでも結構見つかる。
暑い夏もたまには戸外の木陰で、風に吹かれながらのアイスティーで天霊地気を取り込もう。
隠者流の夢幻観想法は、止観(見るのをやめて想う)、観応観入(事象に反応し感じ入る)、観想(想い描き具現化する)、の三段階を経て観自在(観音の別名)に至る道だ。
例えば路傍の花を見ても、視覚には入っても認識しない人、見て何かを感じる人、その花から楽園を具現出来る人と色々いて、その経験が数十年も重なれば正に圧倒的な差になってくる。
想いの数だけシナプス回路が形成され、脳の処理速度が飛躍的に速まる訳だ。
さてこの辺で街まで散歩に出てみよう。
外界をぶらつく時にも季節の風光や花鳥に観応し易くなれば、詩画の題材も輝いて見え見飽きた街も楽土と化すだろう。
---旧世界定めの通り裏路地は 朽ちて明るく花に埋もれる---
芭蕉の「虚に居て実を行う」は少し難解だが、例えば映画のワンシーンのように自分が野や街を歩いているのを観客席から眺めている感じだ。
又は夢幻界で美神詩神達と茶会をしながら、現世の自分を題材に詩歌を吟ずるようなものだ。
歩きながらそんな視点の多角化を行うと良い。
---街中の色の滅する炎昼も 窓辺を好む選良の民---
いつものカフェで、ぼーっと孤高に稿を練る。
店ではほとんどの客が数人連れだが、詩想を求めて街中に出る時は努めて一人でなくてはならない。
友人知人がいると大抵は楽しくも俗なお喋りで時が過ぎて行くものだ。
どうにもうまく纏まらない文で申し訳ない。
理想のスピリチュアルライフも結局は禅と同じく不立文字で、それぞれ自分なりの方法論を探れと言う事だろう。
©️甲士三郎
この期に隠者流スピリチュアルライフの更なる理解と充足のため、もう一度初学に戻ってこれまでの試行を纏めてみようと思う。
全人類の政治 経済 科学 芸術などのあらゆる奮闘努力は、煎じ詰めれば「より良い暮し」を目的としている。
良い暮しと言っても様々あるが、現代人が物質的に生きるだけでなく精神面の充足を願うなら、20世紀に廃れてしまった哲学 宗教に代わるスピリチュアルな物を見つける必要があるだろう。
古からの食前の祈りのように、気候風土に溶け込んだ暮しの中での精神性だ。
俗化した己れの衣食住と生活習慣を見直し、暮らしの折々に霊性を取り戻そう。
(ハーミットレリーフとブラス ピューター製の器類 19〜20世紀初頭)
先達の隠者(ハーミット)の小屋を描いた陶板で、私もこんな部屋で書見彩管に明け暮れたい。
これまで何度か話したように初学は自分なりのアーティファクト(聖遺物)を探し出し、祭壇とまでは行かなくとも卓上に飾り茶飯を少し儀式化するだけで、小さいながら離俗の結界として己が楽園建立の橋頭堡となる。
また季節季節の供花も、人生に荘厳さを加えてくれる。
一卓から一室、一室から一館へと聖域を広げて行けば、やがては夢幻の楽園に至るだろう。
先ずはそんな精神の不可侵領域を持つべきだ。
離俗の結界を作るに、幻獣 守護聖獣は動物好きの人達にお薦めだ。
(瑪瑙製僻邪像 元〜明時代 ファイアーキング オーロラガラス 20世紀)
僻邪は有翼の獅子のような姿で邪気を遠避けてくれる聖獣。
こういった物は古ければ古いほど強力なので、出来ればアンティークで探したい。
聖獣のうち鳳凰 麒麟 獅子 龍の絵皿や花瓶なら、ネットオークションでも結構見つかる。
暑い夏もたまには戸外の木陰で、風に吹かれながらのアイスティーで天霊地気を取り込もう。
隠者流の夢幻観想法は、止観(見るのをやめて想う)、観応観入(事象に反応し感じ入る)、観想(想い描き具現化する)、の三段階を経て観自在(観音の別名)に至る道だ。
例えば路傍の花を見ても、視覚には入っても認識しない人、見て何かを感じる人、その花から楽園を具現出来る人と色々いて、その経験が数十年も重なれば正に圧倒的な差になってくる。
想いの数だけシナプス回路が形成され、脳の処理速度が飛躍的に速まる訳だ。
さてこの辺で街まで散歩に出てみよう。
外界をぶらつく時にも季節の風光や花鳥に観応し易くなれば、詩画の題材も輝いて見え見飽きた街も楽土と化すだろう。
---旧世界定めの通り裏路地は 朽ちて明るく花に埋もれる---
芭蕉の「虚に居て実を行う」は少し難解だが、例えば映画のワンシーンのように自分が野や街を歩いているのを観客席から眺めている感じだ。
又は夢幻界で美神詩神達と茶会をしながら、現世の自分を題材に詩歌を吟ずるようなものだ。
歩きながらそんな視点の多角化を行うと良い。
---街中の色の滅する炎昼も 窓辺を好む選良の民---
いつものカフェで、ぼーっと孤高に稿を練る。
店ではほとんどの客が数人連れだが、詩想を求めて街中に出る時は努めて一人でなくてはならない。
友人知人がいると大抵は楽しくも俗なお喋りで時が過ぎて行くものだ。
どうにもうまく纏まらない文で申し訳ない。
理想のスピリチュアルライフも結局は禅と同じく不立文字で、それぞれ自分なりの方法論を探れと言う事だろう。
©️甲士三郎